正体
佐藤の家に着くと、玄関には鍵がかかっていました。当たり前だって?いえ、昔の田舎は違ったんです。
玄関の戸を開けて「すみませーーーん!」とか「ごめんくださーーーい!」って大声で呼ぶのが知人の礼儀でした。呼び鈴を鳴らすのは他人行儀なので、宅配とかの業者以外は基本的に使いません。
ともかく、登校時間にまだ玄関が空いてないというのは、それだけで不穏な物を感じるんです。
私たちは、おそるおそる呼び鈴を鳴らしました。
「何でしょう?」
しばらくして、疲れ果てた声が玄関のドアの向こうからします。戸を開ける気配はありません。これも昔の田舎では不思議な対応です。今なら当たり前なんですけどね。
ただ、私たちは少し躊躇しました。
「サッカー部の田中と言います。先輩はいらっしゃいますでしょうか?」
意を決して田中が言いました。
「体調崩して寝ているの。学校も休んでいるから。ごめんなさいね」
そう言って、おそらく佐藤の母親は戻ろうとします。
「その体調が心配なんでね。そこの神社から伺いました。須賀原と言います」
老人が声を張りました。やはり祝詞などで鍛えているのでしょう。とても通る、張りのある声でした。
佐藤の母親は躊躇したようですが、奥で何やら話をしている声がします。
しばらくして、玄関が空きました。
「わざわざご面倒かけます。やはり、そうなんでしょうか?」
玄関を開けた小さな老婆が、老人、須賀原さんに深々と頭をさげました。その奥には佐藤の母親らしき人と父親らしき人。二人ともひどく痩せている、というより、やつれています。
「まだ、分かりませんが、彼らに聞いた限りでは力になれるかもと思いましてね。朝からすみません」
須賀原さんが答えます。
「とんでもないです。ありがたい、ありがたい。なんとか孫を助けてやってください。どうかどうか」
老婆は神仏に祈るかのように須賀原さんに手をすり合わせました。
私たちは、玄関でコートを脱ぎ、中に案内されました。
佐藤の家は、玄関で既にとてもコートを着ていられないほど暑かったのです。
それが奥にいくほど、更にどんどん暑くなります。
茶の間を抜け、台所に入るとその原因が分かりました。
家中から、かき集めたようなストーブが、そこらで炊かれています。灯油の物もあれば電気の物もありました。灯油ストーブには上にヤカンが置かれ、湯気を吐いています。
ずっとそうしているのでしょう。とんでもない湿度でした。
そうせざるを得ない原因が、間もなく分かります。
台所を抜けると風呂場の脱衣所でした。
おそらく風呂場から発せられている、ひどく生臭い臭気が充満しています。
「ここから出ないんです・・・」
意を決したように父親が風呂場の戸を開けました。
そこに佐藤はいました。
水をはった湯船の中で体育座りをして、虚ろな目をしています。
例の有刺鉄線で付けたであろう傷が痛々しく足に残っています。肩から腕にかけても大きな青黒い痣がありました。手足ともガリガリにやせ、これが生きた人間の色と思えないほどの青白さでした。
(生きているのかな?)
と疑ったほどです。最初はあまりに痛々しい光景に直視できなかったので、余計にそう見えました。ただ、状況に慣れ、よく見ればわずかに呼吸するように肩が動いているので、かろうじて生きていることだけは分かりました。
「あれ・・・傷だよな?」
田中が変なことを耳打ちしてきました。
「この前の傷だろ。なんで?」
「だよな。なんかさ・・・一瞬、虫に見えたから」
その言葉に私は返せませんでした。確かに有刺鉄線で引っ掻いたであろう傷の瘡蓋は、水に揺れて、虫が這っているように見えなくもありません。
一旦そう見えてしまうと、肩の広く斑な痣も、甲殻類の甲羅のようにも見えてきました。
「中は水ですか?」
私達の動揺に反し、須賀原さんが日常会話のような口調で両親に聞きました。
「はい。お湯にしても自分で埋めてしまうんです」
だから部屋を温めているのでしょう。
「水を抜いたらどうします?」
「・・・抜いた人間に何するか分かりません。。正直手がつけられないんです」
それを聞いて私は、改めて佐藤を凝視しました。
こんなに細く、青白く、動かない佐藤が豹変すると考えると、ますます気味が悪くなったのです。
そんな私達を他所に、須賀原さんはとんでもないことを云います。
「なら水を抜きますか」
ギョッとする父親と私達に向けて、須賀原さんは補足します。
「お子さんに憑いているのは動物霊です。彼らとは対話が出来ません。だから、追い出す為に少し怒らせてみようと思います」