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対決

 須賀原さんは、一切の躊躇なく風呂場に入って行きました。

 見知らぬ老人がすぐ隣まで来ても、佐藤は振り向きもせず、ぼーっと前を向いています。


 しかし須賀原さんが、風呂の栓を抜こうと手を伸ばした時、佐藤がその手を掴みました。

 獲物を捉える蟷螂のような一瞬の動きで掴んだんです。


「ヤ゛ア゛ヤ゛アヤア゛」

 佐藤が声を発します。この状態になった人間の、笑い声以外の声を初めて聞きました。

「ヤダって言ってるのかな?」

 私はそばにいた山田と田中に、小声で話しかけました。

「どうだろう・・・」

「おそらくそうですね」

 答えたのは須賀原さんでした。


「まがりなりにも言葉が出せるとは、随分浸食が進んでいますね。急いだ方が良い。少々荒っぽくいきますよ!」

 須賀原さんが、佐藤の両親に向けて言います。


 これは後で聞いたのですが、霊が「やだ」という言葉を理解しているわけではないそうです。霊は佐藤の脳をいじって『不快感を伝える』という動作を試みているだけとのこと。

 こういう試みをするということは、霊が佐藤を使いこなしはじめているので、危険な状態なんです。


 話を戻します。

 両親は須賀原さんの言葉に、無言で何度か頷きました。二人とも動転して声が出ないのです。


 須賀原さんはそれを確認するや否や、空いている方の手で栓を抜こうとします。

 それを掴む佐藤。

「ヤ゛ア゛ァァァァァァァァ」

 佐藤は絶叫して立ち上がります。


 両腕を掴まれたままの須賀原さんが、それを感じさせないぐらい軽く手を上げました。

 すると、佐藤は須賀原さんの両手を掴んだままフラフラとよろけます。

 後で教えてもらいましたが、合気道の技なんです。『合気上げ』といいます。


 須賀原さんがその掴まれた両手を更に揺さぶり、佐藤を湯船から引きずり出そうとしました。

 咄嗟に佐藤は掴んだ片手を放し、須賀原さんの髪を掴みます。


「さすが野生、危険への反応が早い。人間ならこのまま投げられるんですけどね」

 須賀原さんは落ち着いて話しています。そう話しつつ、片手はいつの間にか、風呂の栓に繋がるチェーンが握られていました。


 ゴボゴボと水が抜ける音が響き渡ります。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァァァァ」

 佐藤は泣くような絶叫。


 パァン!


 狂乱している佐藤の頬を須賀原さんが張り手しました。


「前はこれで出て来たんですよね?」

 須賀原さんは私たちの方を向きます。そこで、私たちは海岸のことを思い増しました。

 (だから怒らせるって言ったんだ!)と今更ながら納得しました。


「やはり、もうこれぐらいじゃダメか」

 いつの間にか佐藤を引きずり出し、うつ伏せに抑え込んでいる須賀原さんが言います。

 佐藤は奇声を上げながらじたばたしています。

「もう少し怒らせましょう」

 そういうと須賀原さんは、佐藤を台所まで引きずるように連行しました。

 そう、ストーブで熱気が充満した台所に。


「ア゛ァァ!ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァ!!」

 ますます暴れる佐藤。しかし、うつ伏せで片腕の関節を決められ、完全に抑え込まれており、脚をジタバタさせるのみです。

 それでも台所の床板を蹴り割るのではないかという音がしていましたので、抑えている須賀原さんにも相当な力がかかっているはずです。


 実際、須賀原さんの腕には太い血管がいく筋も浮き出ており、服の上からでも背中の筋肉がはち切れそうなほど張っているのが分かります。こめかみからは大粒の汗が流れ落ちていました。

 それでも抑え込みは解けません。


 佐藤はより一層強く床を蹴りはじめました。

 動かせる膝から下を最大限に使って、鞭のようにしなやかに、ハンマーのように強く叩きつけます。


 ガン!ガン!ガン!


 と、凄まじい音がします。その中に時折ミシッと木が折れるような音が混ざりました。


「折れてるよ!押さえよう!」

 私達3人は咄嗟に佐藤の脚を押さえました。一応サッカーしているから分かるんです。こんなの蹴る方の足も痛い。そして、蹴る時に足の指はこんなにブラブラしない。。。

 明らかに何かが切れてるか、折れてるかしています。


「うわっ!」

 山田が声を上げました。

 私もすぐにその意味が分かりました。

 動いているのです。

 佐藤の脚の傷がボコボコと。

 これは水の加減による見間違いではありません。


 その皮下でボコボコ蠢く者は、虫が這うように頭方に移動していきました。


「ウ゛れれれれエ、エ、エ、エ」

 とうとう観念したように佐藤は黒い物を嘔吐しました。

 凄まじい臭気が部屋中に充満します。


 今度は私も見ました。

 というより、正座の姿勢で脚を押さえていたので顔が床に近く、見えてしまったのです。


 その吐しゃ物は、千切れたゴカイや、蟹の脚、腹を食い破られた小魚、フナ虫の死骸など、海の生物で溢れておりました。

 その中に動く物があります。

 それは風呂場の排水溝の髪の毛を丸めたようなものでした。それが動いています。

 そして私に向かってくる。

 地を這う虫のように音と気配の無い動き。


「うわっ!」

 私が尻餅を付くと、それは跳び上がりました。

 目の前にそれがいます。

 

 私は、たまらず目を閉じます。


 目を開けた時、目の前には握り拳が見えました。

 その拳の端から髪の毛のような物が垂れています。

 おそらく、あれが拳の中にいるのでしょう。


 それは須賀原さんの拳でした。


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