表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/47

06▶片鱗

 第一線で戦い続けた英傑のひとり、土岐家の星浪。短く刈り込まれていた黒髪は、耳にかかるまで伸び、うねうねと跳ねて、彼を以前よりずっと若く見せていた。

(ってか、ほんとに若返ってない?)

 活躍からして三十は下らない筈なのだが、学ランを着てたって違和感がないかもしれない。よく似た別人じゃないよねと、百々はその顔立ちに目を凝らす。

 だが、右目に走る刃物のような傷痕も、その下の泣き黒子も、確かに以前、配膳の傍らに見た彼のもの。


「ーーっくしゅ、」


 他所を向いたくしゃみの拍子に、がばっと空いた首元を汗が伝うのが見えた。病院から抜け出してでもきたのか、カガリのみが着用を許される紺色のジャンパーの下はぺらぺらの病院着で、足にいたっては医務室とマジックで書かれたサンダルである。

 離せよと、床の上でもがく真宙に、星浪は顔を顰めた。


「俺は敵じゃないーーつっても、聞くような奴じゃねーよな、お前は」


 億劫そうな態度だが、その身体はきっちりと少女の身体を抑え込んでいる。いくら彼女が人外じみた身体能力をもっていようが、人体の構造を無視して動くことは出来ない。

 レベルが違う。体術は入局の時にさらった程度の自分でも分かった。


「大人しくしてりゃ、すぐ外してやるよ」


 身を捩る真宙の腕をひとまとめにすると、星浪は空いた片手で、ポケットをさぐる。カチャ、という金属音に真宙はさらに暴れたが、星浪は構わず後ろ手に指錠を嵌めた。


「ちょっと、」

「なんだよ」 

「や……、いえ、ーーなんでも」


 やりすぎでは。言いかけた瞬間、切れ長の瞳で射竦められて、言葉に詰まる。

 なにこれ。

 気付けば大人しくなっていた真宙が言葉を発したのは、その時だった。


「なんか、力、入んない……?」


 不思議そうな声に、星浪の眉間の皺がさらに深くなる。苦しいか。そう尋ねる星浪に、真宙の視線は空に逃げた。

 ーーなにしたの。

 問いただす声は、怒りでも、苛立ちでもなく、困惑に揺れている。そんな真宙に、星浪は口をへの字に閉ざした。


「ねぇ、ちょっと!!」


 声を上げる真宙を無視して、星浪は華奢なその身体を、起き上がらせる。


「あのう、」

「何だ」

「あ……その、」


 今度こそ声は遮られず、だから、迷った。

(放っておいたって、別にいい)

 ふたりの視線が、ざくざくと全身を突き刺す。落ち着かなさに、百々はそろりと腰を浮かした。腰が引けた。そう言うほうが、正しいのかもしれなかった。

 天秤が傾く。 

 ーー僕は、これで。他に仕事があるので。 

 言葉は、喉の奥で時を待っていた。

 忘れてしまえ。

 何も見なかった事にして、これで済ませろ。

 逃げ道には敏感な直感が、今しかないぞと囁いている。今なら間に合う。そんな確信があった。

 言え。

 言ってしまえ。


「……彼女に、何をしたんですか」

「へ?」


 きょとんと見開かれた真宙の目に、百々は自分が何を言ったかに気がついた。射るを超えて、刺すような星浪の視線にざっと冷や汗が浮かぶ。だがもう、全部が遅い。


「お前、状況分かってんのか」

「そんなに馬鹿じゃないですよ。まぁちょっと脅されたり騙されたりはしましたけど、ワケアリっぽいしそれに、」


 息を継ぐ。開きなおってしまえば、言葉はつるつると溢れてやまない。

 ーー逆らうな。歯向かうな。従っていろ。

 理性さえも、自分を押し留める事は出来なかった。


「彼女、何も知らされて無いんでしょう。怖いんですよ」

「怖くなんか、」

「知らない所で勝手に判断して、勝手に決める。それがこの子を此処まで追い詰めた。僕はそのやり口が気に食わない」


 一息に言い切る。少しだけ声は震えた。でも、それ以上にせいせいした。

(だって、嫌だった)

 嫌だったのだ。ずっと。お腹をすかせている子供を、見ていることしか出来ないーーしない自分が。


「……知った時には、遅いかもしれないぞ」


 脅すような声に、百々は笑った。

 そうですね、多分後悔します。返す言葉は、混じり気のない本音だ。でも。それでも。


「だけど、そのほうがいいです」


 星浪が立ち上がる。厳しい眼差しに、殴られるかと一抹の不安がよぎったが、星浪は何をするでもなく、窓を薄く開けただけだった。

 首を伸ばして後ろから覗くも、何も見えない。


「出てくんな」

「痛っ」


 ぎゅむ、と頭が掴まれおしこまれる。でけぇな。膝を曲げた自分を見て、星浪は不機嫌そうに唸った。


「なんか、スミマセン」

「やめろ」


 溜息を一つ。こちらに一瞬だけ目をくれて、彼は真宙の前に膝をつく。ポケットから取り出したのは、一枚の錠剤のシート。

 それを見た真宙は、わたしの、と口にする。


「お前の父親が渡してたっつーこの薬だがな、そこらの店で買えるモンじゃねーんだわ」

「え?」

「念の為分析にもかけたが、一致した。こいつは拮抗薬。」


 こいつにはふたつの作用がある。

 淡々と、星嵐は続ける。


「ひとつは、失命者の命喰い化を阻止する役目」

「……は?」


 ちょっと待ってくださいと、百々は割って入った。


「その言い方じゃ、まるで、」

「そうだ。命喰いの正体は、人間だよ。失くした命を求めて鬼に堕ちた、元人間」

「命喰いは、この世とあの世の狭間、常夜(とこよ)の存在って、」

「嘘じゃねーよ。転下し、この世の理から外れた命喰い(やつら)は、この世にはいられない。死んでないから、あの世にも行けない。命管はただ、黙ってるだけさ。その正体が、元人間っつー事実をな」

「そんなの詭弁じゃないですか」

「じゃあお前、言えるか?」

「……それは、」

「だから言ったろ? ーー知った時には、遅ぇって」


 意趣返しのように笑われ、頭にかっと血が昇る。


「俺はッ」

「知った所で、どうせ人は命核を手放せねー。命喰いへの転下率はいいとこ0.1%。自分だけは大丈夫。そう思いこむに決まってる。いつか化物になる確率より、いつか死ぬ確率の方がよっぽど高ぇ……」

「二つって、言った」


 不意に、真宙が会話に割り込んでくる。彼女の身体は床に転がっていて、だけどその両の目は、下から真っ直ぐ、星浪を貫いていた。


「もうひとつの役目は、何」


 空気がさざめく。

 たじろいだのは、星浪の方だった。


「……知ってたのか?」

「知らなかったよ。嘘じゃない。でも、此処までされて、それを疑わないのはもう、無理だよ」


 わたしは、と。 

 問う声は、顔は、平静を保とうとしていて、痛々しい。


「私はーー命喰い、なの? 『おなかがへるのを抑えるやつ』……ってのは、……ひとを、」


 背後で、ガラスが割れる音がした。何が起きたのか分からないうちに、百々の身体は、突き飛ばされる。ごろごろと床に転げて、壁に当たって、遅れてやってきた痛みに、悶絶する。


「何が……痛ッ、」


 抑えた腕に、ぬるりとした感触。見指の隙間からじわ、と染み出すのは赤い赤い、自分の血。

 ふと、強い視線を感じた。

 何かが壊れる小さな音を、耳が拾う。

(何そんな、ーー血相変えて)

 音が消える。世界は奇妙に、スローモーに。真宙がバネのように跳ね起きるのを、自分の前で、自分を守るみたいに両手を広げた星浪が、真宙に突き飛ばされるのを百々はただ、呆然と見て。


 飢えたようにぎらついた、真っ赤な両の(まなこ)と、目が合った。

お読みいただきありがとうございました。

もしよろしければ、☆評価、いいね等についても、ポチッとしていただけましたら幸いです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ