18▶袖振り合うは今生の縁
四人目の被害者が出たのは、真宙と百々が潜入して2日後の、11月29日のことだった。
クラスの真ん中にぽっかり空いた席は、被害を受けた彼女ーー名城百合亜のもの。朝の会では調査中ですという一辺倒で、本館の女子トイレの四階で発見されたという噂だけが、一人勝手に歩いている。
国語の授業を聞き流しながら、真宙はこの2日で拾い集めた情報をノートに書いていく。
・11/6 浅田美代 本館5階空き教室 首吊りの幽霊
・11/15 佐井寺満里奈 プール 子供の手
・11/21 間瀬文香 礼拝堂 血を流すマリア様
11/29 名城百合亜 本館四階 すすり泣きのトイレ
これだけ揃えば、少なくとも学校の怪談と一連の事件に何かしらの関係性があることは間違いない。
『気になるのは、それぞれの場所だ』
遠すぎると、それぞれの場所を記した校内図を見ながら百々は言った。
『命喰いが動けるのは、自分の巣の範囲だけだ。そして巣の境界は現世に領域に左右される。学校全体をひとつの建物としてみなすなら……これはさすがに広すぎか?』
『一体じゃないとか。本館と特別棟で……駄目だ、渡り廊下でつながってるし、プールと礼拝堂に説明がつかない』
『そうだね。巣をはるにしては、近すぎってのもある』
命喰い同士の縄張り争いは激しい。どこに巣を張るかが、その生存と直結している為だ。牡丹燈籠のように現身を得て、現世を移動できるようになれば、下級の命喰いの巣を奪うこともあるという。
(……なんか、変だ)
何とは言えないが、わからないが、何かがおかしい。あとひとつ、何かがハマれば解けそうな、そんなもどかしさに真宙は考え込む。とりあえず現場は放課後確認しにいくとして、あとは何を。自分達の目の前で事を起こしたのだ。これ以上、野放しにする訳にはーー
ーー半年前に、生徒が一人落ちて死んだんだって。
昨日聞いた話がふと閃いて、真宙は机の下でこっそりと指折り数える。半年前、ということは。
・6月中? 川戸美南 特別棟2階大階段 異界の戸
授業いっぱい、真宙はノートとにらめっこしまが、並ぶ被害者の名前は、何も教えてはくれなかった。
□■□■
放課後。生徒に捕まって来れない百々を置いて、真宙はひとり、現場を検めにいく。
立ち入り禁止のポールを越えて、まずは今回の現場となった女子トイレ。次に、階段をあがって突き当たりの空き教室。使っていない教室だけあって、こちらは施錠されていたが、借り受けたマスターキーで突破した。
開けられるものは全部開けたし、まだ試作品だという黄泉戸検知機でそこら中調べ回ったが、手がかりひとつ見つからない。
「駄目か……」
「何が駄目なの?」
独り言に返すように、その声は背中に刺さる。慌てて振り向いた先には、昨日大階段の所で会った先輩の姿があった。
「どうしたの? そんなびっくりした顔して」
「……立ち入り禁止じゃ、」
「その立ち入り禁止の場所で、転校生ちゃんこそ、何をしてたのかな」
「七不思議」
「うん?」
「昨日聞いた七不思議が、気になって……それで」
「だめだよ」
「え?」
「嘘はね、言おうとしたら嘘っぽいの。自然に、息するみたいに、もう百回は聞かれましたってくらい当たり前に答えないと」
ひゅお、と廊下からの冷たい空気が真宙の頬を撫でていく。
「嘘じゃ」
「嘘じゃない。ま、そういう事にしてあげよう」
言葉に被せるように、彼女は言った。楽しげに緩む口は、ややダブついたブレザーの袖に隠される。音もなく机の上に座って、指を組むその姿に、真宙は諦めて傍らの椅子を引き出した。黙って座り、後ろ手に隠していた黄泉戸探知機を、膝の上に置く。
一瞬目を落とすも、すぐに興味ないとでも言いたげな態度で先輩は真宙に目を戻した。リップでも塗っているのか、やけに鮮やかな唇が、手伝うよと言葉を吐く。
「手伝う……?」
思いがけない言葉に真宙は目を丸くした。
「ここは私にとっても大事な場所だからね」
全てを見透かすような眼差しだった。何が知りたいの。聞かれるままに、真宙は答える。答えてしまう。
「首吊り教室。すすり泣きのトイレ。異界の戸。血を流すマリア像。足を引く子供。七不思議にはまだ足りない」
「古い学校だからね。全部数えたら何不思議になるか、わかったもんじゃないさ」
「全部教えてください」
「いいよ。でも今日は駄目だ」
「どうして」
「生徒は帰る時間だ」
キーンコーンカーンコーン。彼女が指で示した途端、まるで示し合わせたように、チャイムが鳴り渡る。
ーーまた明日、昨日の大階段で。
座ったときと同じように、音もなく立ち上がった先輩は、繰り返すチャイムの中、そう言って教室を去ってしまう。
百々に連絡をしてみるが、彼はまだ捕まらない。仕方なく真宙は、次の調査に向かった。
プールは逆方向で遠いので、まずは礼拝堂。屋根のある外通路で繋がっているその場所が、ひとつの領域としてみなされるのか、本館の付属としてみなされるのかは微妙な所。
閉ざされている戸へと、足を進める。蔓のような装飾がされている金色のノブを掴もうとして、真宙は躊躇った。
もう一度、百々に連絡を取ってみる。
(……出ない)
島にあったのは、山と殆ど一体化したような寺がひとつ。神社や教会といった宗教施設を目の当たりにして初めて、真宙は自分がその場所が苦手だと気づいた。
様々な人が行き交う場所だし、邪険にもされづらい。父を探す手がかりを得ようと何度か挑戦したこともあるが、駄目だったのだ。何か、恐ろしいものに飲み込まれるような、そんな不安に襲われ、足が竦む。酷い時は、入ることすら体が拒否する。
何故かは分からない。神社を巣にする前例だってあったというから、自分が命喰いの血を引いていることは関係ないだろう。
(ここは学校だし、礼拝に来てる子なんてそんないないって、確か、)
大丈夫。
大丈夫。
言い聞かせ、開けようとした瞬間、突如として戸は内側から開く。全くの不意打ちに、真宙は思わずひっくり返った。
「ーーーんだよ、死ね!!」
邪魔なんだよと吐き捨てられた事を遅れて理解する。踵のラインから、同学年と分かった。突風のように走り去るその背を、呆然と見送った所で、足音。
「大丈夫ですか?」
束の間、息をすることを、真宙は忘れた。探し求めていた、追い求めていた、聞きたかった、父の声。
ーー真さん。
呼ぼうとした名前はけれど、途中で消える。そこに立っていたのは父ではなかった。
「……何処か痛いところでも」
「あっいえ、……大丈夫、ーーです」
伸ばされた手を断って、自分で立つ。ネクタイの代わりにカードキーを下げた、黒いスーツの男からは、星嵐とーー父とも同じ煙草の匂いがした。
「あの人は、」
「ちょっと、怒らせてしまったみたいです。失敗しました」
そう言って彼は、はぁ、と溜息。あの、と声をかけた真宙に、男はそういえばと口に手を当てる。
「君は転校生でしたね。確か……」
「矢野です。矢野ーー真宙」
「そうでした、矢野さん。私は、三池と言います。三池和真。大学の方で、倫理を。あとはこの礼拝堂の管理をしております」
「神父さんなんですか?」
「いえ、スクールカウンセラーのようなものですよ。真似事は出来ますが。……矢野さん?」
「あっ、すみません」
ぼうっとしていたことに気づいて、慌てて頭を下げる。勘違いじゃなく、本当に似ていた。目を瞑って聞けば、区別がつかなくなるくらいに。
「血が出てますね」
「えっ、……あ、ほんとだ」
「手当をしましょう」
「そんな、大丈夫ですよ」
「でもここまで来られたということは、何か話されたいことがあるということですよね」
礼儀正しい一方、おしも強い。いつしか真宙はあれよあれよという間に三池のペースに巻き込まれ、あれほど苦手意識を覚えていた空間に、足を踏み入れていた。