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冒険させたい神様と冒険しない転生者

平穏に暮らしたい転生者、治療される獣人

作者: 玉菜

 私の朝は裏庭で薬草の収穫から始まる。

 以前の世界でたまたま丁度良く死んだ私を拾ってこの世界に転生させた神様に与えられた能力のお陰で大した知識は無くても良質な作物を育てることができる私は薬草を街の商店に卸すことで多くはないが収入を得て生活している。薬草畑の一画には自分が食べる分だけの野菜も育てているし、なによりこの世界は以前私がいた世界よりも出費の嵩む娯楽が少ないこともあってそれだけで十分暮らしていられた。神様は異世界からの転生者に圧倒的な力を与えて無双する様を見たかったようだけど、残念ながら私は今のスローライフを愉しんでいる。

 いつものように裏庭に続く扉を開けてぎょっとした。裏庭の中央、広めにとった通路に何かが倒れていた。獣のような体毛をしているが、明らかに人の形をしているのが見て取れる。心配する気持ちより、誰なのかどうしてここにいるのかという疑問が先に立つ。

 混乱して立ち竦んでいると背後から「どうかしたか」と声が聞こえてハッとした。振り返ると黒猫がこちらを不思議そうに見上げていた。視線を正面に戻す、それは変わらずそこに倒れていた。私の足元までやってきた黒猫――もとい神様がそれを見て、何だアレはと言った。


「放っておいていいのか」

「いえ。……死体、じゃないですよね」

「どうだろうな」


 動じた様子のない神様の言葉にごくりと生唾を飲み込んで、先に出た彼の後をゆっくりと追う。うつ伏せに倒れた何者かはハスキー犬のような顔をした獣人で、すぐ近くまで来ても動く気配はなかった。その背中はなにかに引き裂かれたように服が破れ、赤黒く汚れている。胸のあたりからこみ上げるものを感じて思わず片手で口を押さえ顔を背けた。

 魔物に襲われてここまで逃げてきたのだろうか。この家の周りには結界を張っているが、少し森の中に入り込めばそこは凶暴な魔物のテリトリーだ。あまりの状況に本当に死んでいるのでは、と足先から寒さが駆け上がってきた。

 神様は私の状況を察してか、息はあるようだと代わりに生死の確認をしてくれた。それを聞いてひとまずは胸をなでおろす。


「獣人は生命力が強い、この程度なら放っておいても死にはしないだろう」


 そう言って私を見上げる彼の目は「どうする?」と訊ねていた。

 死にはしないといっても、怪我人をそのまま放っておいて何事もなく過ごせるほど私は薄情な人間ではない。大分落ち着いてきた吐き気を吐き出し、両頬を叩いてから、ひとまず屋内に運びますと答えた。気持ちを切り替えるだけのつもりだったのに、パァンといい音を響かせた両頬が痛い。

 自分自身に筋力強化の魔法をかけて、倒れている獣人を肩に担ぐ。人助けとはいえ、それなりに体格のいい成人男性ほどの獣人を軽々と持ち上げている状況は少し複雑だった。私だって女だ、口にはしないがお姫様抱っこに憧れはある。

 家の中に運んで少し悩んでから私のベッドに担いでいた獣人を下ろした。改めて背中の裂傷を見ると血に濡れた毛が傷口を覆うように固まっている。まずは傷口をきれいにして露出させるところからだろうか。傷の状況を想像し治まっていた吐き気が戻ってきそうになって頭を振りその想像をかき消す。


「治すんじゃないのか」

「いや、改めて考えてみたらこんな大怪我処置したことないのでどうしたものかと」


 一応、常備薬として傷に効く軟膏は作ってあるけどこの傷はそれでは心許ないだろう、ポーションを作ったほうがと思考を巡らせていたところ、神様が「治癒魔法を使えばいいだろう」と言うから思わず目を見開いて彼を見た。そんな私を見て、神様は呆れたような顔をしていた。そういえば、私は彼のお陰で聖女にもなれる治癒魔法が使えるのだった。今までもこれからも使うつもりがなくて選択肢として思い浮かばなかった。そんな私の考えていることを察したのかため息を吐く猫がそこにいた。


「ところで、治癒魔法ってどうやって使うんですか? 呪文とか」

「あー、なんだったか、神への祈りの言葉だった気はするが……治したいところに手をかざして適当に力を込めればなんとかなるんじゃないか」

「ええ……」

「そもそも呪文なんてものは自己暗示のようなものだからなくったってなんとかなるんだよ。そもそもさっきだって何も唱えずに使ってただろう」


 言われてみればそうだと普段使いしている魔法のことを思い出す。筋力強化は自身の筋肉に魔力を巡らせるイメージで使えているし、火を焚べるときも火種を飛ばすイメージで魔力を飛ばしたら火が付く。なるほどと納得して言われたように獣人の背中に手をかざして「治れ」と念じながら掌から魔力を放出するイメージを浮かべる。すると手のひらに温かさが集まるような感覚があり、その後ぼんやりと光が生まれた。それに驚いて集中が乱れた途端、光が弱まり慌てて意識を治癒魔法に傾ける。私の手から出た光は獣人の背中の傷を覆い、炭酸の泡のように弾けた。傷口が露出していないせいで治癒魔法が効いているのか正直分からなかった。

 神様のもうそろそろいいんじゃないかという言葉を聞いて、手に込めていた力を抜いた。光は空気に溶けるように霧散して、私は肺に溜まった空気を吐き出した。緊張していたのだろう、どっと疲れが襲ってくる。

 身体強化といった生活に便利な魔法はそれなりに使ってきたものの、治癒魔法はそれとは感覚が違って思わず両掌を見る。転生前よりも皮が硬くなっているように思うが何の変哲もない掌だった。ベッドに横たわる獣人に目を向ける、運んだときより穏やかな表情をしているが目を覚ます様子はない。傷が治ったからといって体力を回復するための休息は必要なのだろう。

 そういえば神様はと姿を探すと、いつもの陽だまりで丸くなっていた。この気ままさは本当の猫のようで笑いそうになった。



□ ■ □ ■ □



「ここは……?」


 掠れた低い声に顔を上げると治療した獣人が目を覚ましたようだった。

 看病なんて必要なさそうだったけど、万が一を考えて作業台をベッドの脇に運んできて商店に卸すための薬草を束ねていた。

 気が付きましたか、と声をかけると警戒した目がこちらを向く。見知らぬ場所で見知らぬ人間に突然話しかけられたのだから当然だ。顔色、は毛皮で覆われていて伺い知れないがわずかに浮かせた身体に痛みを覚えた様子はない。


「今朝、裏庭に倒れていたのですが、覚えはありますか?」


 そう訊ねると僅かな逡巡のあと昨晩のことを思い出したのか背中に手を回し、裂傷を受けていたところに触れて驚いたように目を見開き、治ってると小さく呟いた。

 私はといえばそれを聞いてきちんと治療できていたことに内心安堵していた。


「あなたが治療してくれたのか?」

「そう、ですけど」

「すまない、感謝する」


 身体を起こし、ベッドに腰掛け深々とお辞儀をする獣人になんと返したものかと悩みながら、どういたしましてと答えた。

 神様に言われるがまま治癒魔法を使ってしまったけど、よく考えたらその行為がこの世界においてどのくらいの価値に相当するのかわからない。私としては大したことをしていないつもりだけど、治癒魔法を使える存在が稀有だとしたら……もっとこの世界のことをよく知っておくべきだったと世間知らずを悔いた。

 獣人は冒険者らしく、昨日あったことを話してくれた。曰く、魔獣の討伐の依頼をこなしていたところ、普段は見かけない強い魔物に襲われ、なんとか身一つで逃げることは出来たが家の裏庭に迷い込んだところで体力が限界に達したらしい。そして今朝、私が見つけるに至ったとのことだ。もし、彼が倒れた場所が森の中だったら本当に命はなかったかもしれないと思うとぞっとする。


「なにか謝礼をしたいのだが、今はこの身くらいしか差し出せるものがない」

「え!? お構いなく! 放っておけなくて勝手にやったことなので!!」


 この身くらいしかという言葉に動揺して思い切り拒否するような物言いをしてしまった。言ったことは本心だし、決して見返りを求めた行為でもなかった。施されたほうからすれば何もしないというのも気が咎めるのだろうけど。あと、不謹慎ながらわかりやすくシュンとたれた耳が可愛らしいと思ってしまった。


「でも、倒れた場所が家の敷地で良かったですね」

「この場所に入った瞬間空気が変わったというのだろうか、ここは大丈夫だと思えたんだ」


 結界が張ってあるのを研ぎ澄まされた感覚なのか本能なのかわからないが感じ取っていたのだろう。獣人はそういう感覚も人間よりも鋭敏なのかもしれない。

 話を聞き終わって汚れを落としていくなら浴室を貸すと申し出たら、流石にそこまでしてもらうわけにはと断られた。代わりに鳴ったお腹を聞き逃さず、私の朝食の残りもののパンと野菜のスープを提供した。やっぱり申し訳無さそうにしていたけど、口にはあっていたようで耳がピクピク動いていた。


「この礼は後日必ず」


 家を出る際、彼はまっすぐに私の目を見てそう残していった。


「しばらくはこの家に繋がる道に隠蔽魔法でもかけようかな」

「礼がしたいというならさせてやればいいじゃないか」

「神様はここからなんらかの進展が見たいだけでしょう」

「森の中の強敵討伐でも構わんが」


 そうですかと気のない返事をして、汚れたベッドシーツを引っ剥がした。

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