表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名探偵の妻  作者: 菱川あいず
第一の殺人
15/25

名探偵とワトスン君

 僕は吐き気を催した。


 それは、被害者が、昨夜顔を突き合わせていた友人だった、ということにも由来するし、別のものにも由来する。



 吐瀉物である。


 貞廣の顔のあたりが吐瀉物で覆われていたのである。それが異臭を放っていた。



 その光景が、僕にフラッシュバックさせたのは、十七年前の祭りの光景である。


 あの日、運悪く毒豚汁を飲まされてしまった村人は、急な吐き気を催し、その場で戻していた。


 あの日の地獄のような景色が、否が応でも僕の脳裏に過ぎったのだ。



「犯人を見つけたぞ!!」


 背後から、男性の、威勢の良い叫び声をした。

 やがて、叫んだ男性が、人だかりの中央、つまり、貞廣の死体のあたりに歩み出てくる。


 男性は、別の男性のTシャツの首根っこを捕まえている。


――いずれも僕の知っている人だった。



 「犯人を見つけたぞ!」と叫んだのは、夕凪ゆうなぎ冬馬とうま――楓と唯鞠の父親である。


 そして、冬馬に引きづられている男は、あの垂れ目の男だったのだ。



「この男が犯人だ!」


 垂れ目の男が、冬馬によって、貞廣殺しの「犯人」だと糾弾されていたのである。



「違う! 俺じゃない! 離してくれ!」


 そして、垂れ目の男は、犯行を否認している。



「暴れるな! 大人しくしろ!」


 冬馬は、大工を生業にしており、鍛えられた身体を持っている。冬馬は、自慢の握力を使って、垂れ目の男のTシャツの襟を締め上げる。



「痛い痛い! 離してくれ! だいたい、俺が犯人だという根拠はあるのか!?」


「根拠? お前、怪しいんだよ! 最近この村にやって来て、不審な行動を繰り返してただろう?」


 不審な行動をとっていた、というのは、まさに冬馬の言うとおりである。おそらく娘の唯鞠からの被害申告なども受けていたのだろう。


 とはいえ、それだけの根拠で、この垂れ目の男を貞廣を殺した犯人だと断言するのは、さすがに論理が飛躍しているように思える。



 案の定、垂れ目の男は、



「違う! 不審行動じゃない! アレにはちゃんとした目的があったんだ!」


と反論する。



「はあ? 目的? なんだよそれ?」


「調査だ!」


「調査だって? 何のための?」


「……そ、それは……」


 垂れ目の男は、口篭った。


 この男は、秘密主義者なのである。自分自身のことは、極力他人に話さないタチなのだ。



 とはいえ、黙ってしまったことで、冬馬による、首の締め上げがさらに厳しくなる。



「く……苦しい。やめてくれ! ちゃんと話すから!」


 もはや拷問である。さすがに垂れ目の男が不憫に見え始める。



「……よし、じゃあ、正直に話せよ。嘘ついたら、窒息死させるからな」


「……は、はい。実は、俺――」


 「探偵バロックなんだ」と垂れ目の男は答えた。



――探偵バロック?


 聞いたことがなかった。


 それは、他の村人においても、冬馬においても然りだっただろう。



「はあ? 探偵? ますます怪しいじゃねえか」


 同感である。探偵という仕事がこの社会に存在していることは知っているが、決してマトモな仕事ではないと思う。


 浮気調査など、法律スレスレのところで、他の人がやりたがないどぶさらいをして、法外な報酬を得ているのだ。


 「探偵」と名乗ったことで、垂れ目の男への信頼は地の底まで落ちた。



「とりあえず、今から、お前を警察に引き渡す」


「……ま、待ってくれ……」


「抵抗するな!」


 垂れ目の男が、本当に貞廣を殺したのかどうかは分からないが、不審者として警察に引き渡すことについては、僕も両手を挙げて賛成したい。



 しかし――



「待ちたまえ!」


 思わぬ人物が、垂れ目の男に助け舟を出した。


 声を張り上げた人物は、僕もよく知っている人物、もっといえば、この村の者ならば全員が知っている人物だった。



 太田牧おおたまき重蔵じゅうぞう――J村の村長である。



「夕凪君、その男を離してやってくれ」


「村長……どうして……」


「良いから早く」


 さすがの冬馬も、村長の命令に逆らうわけにはいかなかった。



 冬馬が、掴んでいた襟を離すと、垂れ目の男は、空気の萎んだ風船のように、力無く地面に倒れ込んだ。



「君、『探偵バロック』というのは本当かね?」


 どうやら太田牧村長は「探偵バロック」を知っているようである。



「ええ……」


「どうしてこの村に……?」


「……興味があったから」


 垂れ目の男の回答は、たったそれだけだったが、太田牧村長は、納得したようである。



「君がかの有名な『探偵バロック』なのだとしたら、この村の村長である私から、頼みがあるのだ」


「頼み?」


「ああ、この殺人事件の解決を君に委ねたい」


 僕は耳を疑った。


 太田牧村長は、この不審な男に――今まさにその殺人事件の犯人だと疑われていた男に――何を頼もうというのか。


 頭にクエスチョンマークが浮かんでいたのは僕だけではなく、この場にいるほとんどの村人がそうだった。


 しかし、太田牧村長と、垂れ目の男との間では、話がトントン拍子で進んでいく。



「その依頼、受けさせてもらう」


「助かるよ。この事件は、探偵によって解決されねばならないのだ。もちろん、報酬は相応に支払うよ」


「それはありがたい」


 ところで、と村長は首を傾げる。



「探偵バロック、君は本当に名探偵なのか?」


「もちろん」


「では、『ワトスン役』はどこにいるのだ?」


 ワトスン役? これも僕にとっては少しもピンと来ない単語だった。


 ゆえに、垂れ目の男――探偵バロックが、人混みの先頭にいる僕の方に向き直り、僕を指差した時も、その意味するところさえ分からなかったのである。



「この男がワトスン君だ」


 僕が「ワトスン君」? 


 そんな名前で呼ばれたことは、過去に一度もないが。



「えーっと、たしか彼は……」


 僕と太田牧村長は、初対面ではない。

 もっとも、僕がこの村にいたのは、八年前であり、顔は大きく変わってしまっている。


 それゆえ、太田牧村長は、僕の顔をマジマジと見つめても、ついに僕の本当の名前に気付くことはなかった。



 村長は、探偵バロックの虚偽の説明を鵜呑みにした。



「彼は、俺が東京から連れて来た『ワトスン君』なんだ」


「なるほど。そうか。ならば安心だ」



 僕が何か言いたそうにムズムズしているのに気が付いたのだろう。探偵バロックは、僕のところまで歩いて来て、耳打ちをする。



「筑摩君、とりあえずここは話を合わせてくれ」


 僕は囁き声で反論を試みる。



「『話を合わせろ』って言われても、僕は何が何だかサッパリ……」


「村長の話を聞いただろ? 報酬がもらえるんだ。二人で山分けしよう」



 別に、僕は、贅沢な生活を望んでいないので、お金に困っているわけではない。


 それでも、お金の力というものは絶大だ。



 僕は、「……分かった」と、探偵バロックの提案を了解してしまったのである。



 こうして、僕は、まさしく「ハチャメチャ」としかいえない経緯によって、忌々しき事件の「ワトスン役」を務める羽目になったのである。


人を殺した途端に、たくさんブックマークをいただけて嬉しいです笑


さて、ここまでで第一章ということになります。起承転結の「起」らしく、最初の事件が起き、探偵役とワトスン君役が出てきたというところでしょうか。


本作の主人公の筑摩翔癸について、少し解説します。

創作をしていると、どうしてもどの作品でも主人公の性格が似てきてしまうなということです。そして、それは作者自身の性格と似てしまっているなと感じます。


そこであえて強烈な個性をつけて、作者とは別人に仕立てようと工夫することも多々あるのですが、本作の筑摩翔癸については、そういう無理はせず、作者がもっとも書きやすい主人公(つまり、筆者自身の投影)としています。


その理由は、翔癸がワトスン役であり、モブ役だからです。


他方で、他の登場人物には強烈な色をつけたいと思っています。


第二章もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ