悪役令嬢物の悪役に転生してしまった…………
「明日の卒業記念パーティーで、アルマを断罪しようと思う」
クリーニ王国王太子、ピュトロ。
輝くプラチナブロンドの髪に、白に限りなく近い灰色の眼を持つ彼が、睦言のように囁いたのが聞こえた所で、目眩にも近い強烈な既視感を覚え、思わず私は目頭を押さえた。
「アルマ、を……?」
生徒会室の奥にある来客用スペース。
三時のお茶会ピュトロが王宮のシェフに作ってもらった最高級のケーキに舌鼓を打つ私と彼の姿は、間違いなくどこかで見たはずだ。
「調査したら色々と証拠や証言が出てきた。明日からは父上も外遊で暫く戻らないし、私たちの邪魔をする者は居ない。誓ってレンの事を疑って調査した訳じゃないぞ? 迂闊に婚約破棄を切り出しても賠償がどうとかと騒がれて、金を毟られても癪だ。断罪するには客観的な証拠を相応に集めておく必要がある。やるからには徹底的にあの女を潰す」
アルマ。
この国でアルマと言えば、ピュトロの婚約者であるアルマ・デトルーロ侯爵令嬢以外あり得ない。
武人の一族でもあるデトルーロ侯爵家はこの国の国防の要だ。その御令嬢であるアルマは、剣術も魔法も算術も古代文書読解も、何もかもを涼しい顔でやってのける完璧な侯爵令嬢だ。そんな彼女とピュトロの婚約は、彼女を王家に引き込むことで若干頼りないこの王太子の将来の王政を盤石にするための物でもあり、この国の発展に大きく寄与するものとなるはずだった。
しかしよくある話の一幕の様に、彼はその完全無欠なアルマに対しある種の妬みと言うかコンプレックスを秘かに抱えており、彼はパーフェクトウーマンであるアルマよりも、自由気ままで天真爛漫で、時折ドジを装ったレンに心惹かれている、と言うのが設定であった。
そんな彼は彼女の事を「あの女」と忌々しく吐き捨てると、こちらと視線を合わせるや否や太陽のような笑みを浮かべて見せた。
このスチル見た事あるぞ。
そう思った瞬間、まるでフラッシュバックの様に過去の記憶が鮮明に脳裏を走り抜けていく。それは私自身の幼いころの記憶ではなくその前の……今生を生き始める前の記憶だった。
私はレン・ヴェルシーグ男爵令嬢として生を受ける前は、別の世界の住人であった。
チキュウと言う星の、ニホンと言う国で、しがない営業事務の仕事をしていた。月末月初になると取引先と自分からの請求書の束が入り乱れ気が狂いそうになりながら、普段は電話番をしつつ営業のサポートを行う仕事。それをひたすら半ルーチン化させて怠惰に続ける女だった。
そんな私の趣味と言えば給湯室で自分が正社員登用される前に所属していた派遣会社からきた派遣社員と駄弁る事……じゃなかった。恋愛ジャンルのネット小説を読み漁る事と恋愛シミュレーションゲームをやりこむ事だ。後者は純正の恋愛シミュレーションから恋愛要素多めのSRPGまで幅広くやってきた。
そんな私の記憶を思い出した今の私が、私の置かれた環境がかつて行ったSRPGゲームの世界であることに思い至るのにそう時間は掛からなかった。
「えっ……ちょっ、本当に……?」
ただ、その役周りが非常にまずい。
「ああ、本当だ。これでようやく、レンと正式に、誰にも後ろ指を指される事無く、堂々といられるようになる」
いや、そっちじゃない。と言うか絶妙なタイミング肯定するな。
まさか私、このゲームの、この役か。
徹底的にざまあされる側の。要人を片っ端から誑かし、悪役令嬢である主人公のある事無いこと吹き込んじゃう系の聖女。
もしかして私、『悪役令嬢物の悪役』に転生してしまった……?
思わず衝撃で口元を押さえてしまった私に対して、何を勘違いしたのかピュトロは私の頭を優しく撫で、こう続けた。
「明日には全てが終わる。そして、明日から全てが始まるんだ」
あーマズい。この発言にも聞き覚えがあるぞ。
これ確か第5章に有った敵視点での断罪前夜の回想シーンの一幕じゃん。この発言の翌日に開催される断罪劇がプロローグだったはず。
輝くような笑みに向けられた私は眩暈がして倒れそうだ。作中ではレンは嬉しさに言葉を失っていたが、今の私はそうじゃない。焦りと絶望で言葉が出ない。
もちろん悪役令嬢物だから、私の聖女としての能力は、無くはないがたかが知れている。もちろん私の固有スキルも癒しとは無縁な魅了系。当然のように性格はクズ。実際転生前の記憶ではなく今生の記憶を回想してもまあひどい。
だって、調査したとかピュトロは言っているが、当たり前のようにその内容は杜撰なものなのだ。
大体はレンの妄言や彼の側近と取り巻きたちや私の魅了しておいた人間に言わせているだけ。ちょっと真面目に調べれば出鱈目である事が分かる物だ。
それをこの男は大まじめにアルマ様との婚約を一方的に破棄し、その騒ぎの報告を受け国王陛下は血相を変えて外遊を切り上げて帰ってくるし、明日の断罪劇を皮切りに、最終的にこの国は消滅してしまうはずだ。
「殿下、そろそろ次のご予定が……」
「ん? ああ、分かった。すまないレン、あと三時間もすれば父上が出発するから、その前に父上と面会の予定が――」
その後彼が何と言っていたか、私は全く覚えていない。と言うか、そんな事はどうでもいい。
気が付けば私はピュトロの部屋で頭を抱えてこの後の展開を必死に思い出してどうするべきか思考を走らせていた。
この国は間もなく、ピュトロによる断罪劇を皮切りに動乱の時代に突入する。
悪役令嬢である主人公のアルマは、投獄されてしばらくすると脱獄し、反王家勢力をまとめ上げ、最終的にはラスボスであるピュトロを討ち滅ぼし革命国家の初代君主となるのだ。
ちなみに、国王陛下は外遊から戻ってくると早々にピュトロに蟄居を言い渡し離宮に放り込み、レンは姦通罪の容疑で牢に放り込まれる。これが大体10章ぐらいの話だ。
そこまでであればまあよくある話ではあるのだが、この世界は実はシミュレーションはシミュレーションでも、恋愛シミュレーションではなくSRPGなのだ。故に話がそこで終わらない。
アルマ軍はその後王が憔悴しきった顔で全軍を呼び戻すまでの間も、王子が勝手に出した王国軍に追い回されることとなり、13章でようやく陛下直属の部隊が仲裁し王宮で講和を行う。これが14章プロローグで、物語の折り返し地点。ここまではまあいい。
最悪なのは、いざアルマと王国とで和平が結ばれるという所で、牢に放り込まれてブチ切れていたレンの取り巻きによって、なんと陛下は暗殺されるのだ。
アルマはその濡れ衣を着せられる形で直ちに撤退戦に入り、命からがら逃げる事に成功するが、この事件でまだ王位継承権を剥奪されていなかったピュトロが何とそのまま繰り上がり即位し、レンが大逆転無罪で王妃となってしまう。
この時のムービーはレンはおよそ設定年齢15歳とは思えないほど老獪で極悪で……まあだからこそ最終章でざまぁされる時のカタルシスが良いんだけど……
最終的にレンは最終章マップに登場し、倒すまで無限に魅了された兵士を召喚する。この物量が凄まじく、放置しておくと本当に面倒なので、割と真っ先に狙われる。なのでもちろんアルマ率いる革命軍に殺される。
まあ最終章の敵なだけあってスキルはかなりいいんだけど……
「あっ、そうだ。スキル!」
最高難易度の粛清モードならいいスキルを持っているはずだし、最悪全てがシナリオ通りに行ってしまった時の最終手段として私が猛烈に鍛えれば戦えるかも!
という事で、慌ててステータスオープンしてみた結果。
「あーこれイージーモードだわ。私が粛清される側乙うううう!!」
せめてノーマルモード以上で使う(ゲームでレンが使ってくる)あのHPが2以上の時に致死量のダメージを受けたら一度だけHP1で敵の攻撃を耐えるスキルぐらいは欲しかったな……
この世界はSRPGゲームの世界だ。故に純恋愛シミュレーションゲームとかと違い、所謂バッドエンドはない。また大変残念なことに、これはシナリオ分岐の無い、一本道でハードボイルドな戦争ゲーだ。
そして悪いことにアルマはただの悪役令嬢ではなく、ヒャッハー系悪役令嬢だ。
そう。とても大事な事なのでもう一度言うが、彼女は「ヒャッハー系」なのだ。
正確には、脱獄後にヒャッハーに目覚める。
具体的には、彼女は獄中で裏ギルド主導の暴動に巻き込まれ、数百人の囚人と共に脱獄をするのだ。
その後は国の地下へと潜り、復讐に燃え上がり地下経済とヒャッハーに手を染め、裏ギルドと手を組みながら武装し、少しずつだが最終的にこの国の貴族共を残らずヒャッハーしてしまう。
この時、彼女は日本出身の転生者であるという事実を思い出し、普通の日本人であればどう考えても持ち合わせているはずのないミリタリー系知識チートにモノを言わせ銃を開発すると、なんとそのトリガーにハッピーになってしまい、汚物=消毒系に進化してしまうのだ。
故に、悪役であるピュトロや私が平民落ちしたり島流しになったりするような寛大な処置endなんて物はない。私たちは消毒される運命にある。
そして彼女の率いる反乱軍との戦争でこの国は大いに荒れる。
そりゃあもう大いに荒れる。
マップに盗賊が増援で出てきたり、盗賊化した村人が道中襲い掛かってきたり、この内乱で弱体化したこの国を巡る隣国の謀略もついでに退けるようなサイドストーリーとかがある程度には荒廃する。
所謂稼ぎ用シナリオと言えば聞こえはいいけど……
この国の政治は基本的に貴族が回している。それをヒャッハーして回れば当然政治は停滞する。領地不在の土地は荒れるのだ。多少であれば王家の直轄地と言った形で誤魔化せないこともないが、このゲームは貴族も王族も最終的には皆汚物=消毒。消毒と言うか滅菌されるレベルだ。
戦火に畑は焼かれ、川の水は遺体で汚染され、人々は明日の生活もままならなくなる。それを統率する人はもちろん消毒されてこの世にいないし、まあ食い扶持に困って賊堕ちもするよね。
ついでに誰にも管理できない資源が野晒しになっていれば当然、よその国からしたら欲しくもなるよねという話だ。
もっともらしい設定を付けやがって。現実に生きている私たちからしてみたらとんだクソシナリオだ。
とりあえず、時間がない。
クソシナリオにバッドエンドが存在しないのなら、断罪劇を回避するしかない。もう開催まで残り24時間切ってるけど。
考え直して貰おう。最悪考えを改めなくても、陛下が戻ってくるまで遅延させられれば、何とかなるかも知れない――
「なんだ、まだいたのか。珍しいな」
「ピュトロ……」
部屋で考えを巡らせている内に、ピュトロが謁見を終えたのか部屋に戻ってくる。
早速声をかけると彼は僅かに首を傾げて見せた。
まあ、今までの私なら、ピュトロが居ないなら早々に退散して別の男に媚を売りに行っていたし、この反応も仕方がないのかもしれない。
――もちろん、このゲームはハピエンなので、最終的にこの国は議会民主主義に移行して復興し栄えるのだが、私はもちろん惨たらしく死ぬ。
ゲームでは私と国王となったピュトロが倒されると、ピュトロは王家の秘宝を使って竜のような第二形態になるし、それを倒して最終章クリアになると、ムービーが入りアルマがなんとロケランを持ち出して竜化ピュトロの頭を吹っ飛ばす。某ウイルスゾンビゲーか。
そして虫の息だった私は半狂乱になりながら頭の無いピュトロの死体に泣きついた挙句、火を城に放ちお城と共に燃え尽きるというオチがエピローグの前に用意されている。
例えば、それでレンの死体が見つからないオチならワンチャン行方を暗まして生存できる可能性もあるが、残念ながらレンはそのムービーで息も絶え絶えだったために床に倒れ伏した拍子に上から降ってきた燃え盛る瓦礫に脚を押し潰され、そのまま生きたまま焼かれる模写があるレベルで念入りに死ぬ。酷くない?
ちなみにこの時のシーンがあまりに壮絶すぎてCER●が上がったという逸話がある程だ。普通C●ROを押し上げるのってお色気シーンじゃない? おかしくない?
「あのねピュトロ……さっき言ってた明日の件なんだけど、考え直さない?」
まあいい。
幸か不幸か、ピュトロは魅了状態で私の言う事なら概ね聞いてくれる。
ゲームの中ではほぼレンのイエスマンみたいな事になっていたし、エピローグでは邪妃レンの傀儡とか暗愚王とか散々な呼び名が残っていたはず。
「……? どうした突然。何も気にする事は無いぞ」
「私、上手く行くか不安で……」
悪い意味で上手く行くか不安なのですが。
それはもうとてもやめて欲しいんですけど!!
「全て上手く行く。レンは明日のパーティーを楽しむことだけを考えればいい」
「でも、どうして明日なの? 流石に陛下に判断を仰いだ方がいいと思うけど……」
「明日であれば盛大にあの女に恥をかかせることができるだろう? それにアレはお前に散々危害を加えてきたんだ。まあ、正直私も証拠を見るまでは、まさかアレがそんないじめなんて浅はかで愚かな行為に手を染めるとは思わなかったが……」
いいから早く折れて。手なんて染めてない。
そう思っていると、思いもよらない言葉がピュトロから飛び出す。
「第一、いじめなんて言うから響きが良いのであって、やってることは犯罪だろう。教科書を破り捨てたり花瓶を落としたりするのは器物損壊だ。倉庫への軟禁は誘拐とも取れる。階段から突き落とすのなんて殺人未遂で今にでも捕らえられるんだぞ? それをアレは、自らの手を汚すまいと卑劣にも教唆するだと!? もはや今生に救いは無い!!」
ピュトロには申し訳ないが、ここから軌道修正すれば最悪の事態は回避できる。
そう思っていた時期もありました。
控えめに言ってブチ切れている。これ全部自演だなんて言えないぞ……
私が余りにも後ろめたすぎて何も言えないし、これピュトロを説得するの無理かもしれない……
と言うか魅了されていて私のイエスマンかと思ったら意外とマトモな事を言えるじゃん……暗愚設定どこ行った……
完全に100%まともな事を言われているだけにとてもつらい。
「でも、せめて陛下に報告ぐらいは――」
「犯罪者一人を捕らえるためにわざわざ父上のお時間を拝借するわけにはいかない。事後報告で十分だ。むしろアレに妙な悪あがきをされて逃げられでもしたら大変だな……?」
そうと決まれば会場の警備に兵を回せるか近衛に相談をしなくてはなどと言い、ピュトロは足早に去っていく。
それ全部冤罪なんです……その冤罪で断罪されるとこの国は滅亡し貴方は頭が物理的にぶっ飛んで私は瓦礫に脚を潰されてそのままバーベキューなんですううう!!
……などと言う暇はなかった。
と言うよりも、今そう言われて気付いたけど、私がなんか訳アリ顔でそれっぽくアルマを逃がしてアルマ側に私が寝返ると言う選択肢があったのでは? 無理か。う~ん詰んでる。
恐らくもうピュトロを説得するのは無理だ。
周りから攻めて説得するには時間がないし、他に手段があるとすれば陛下サイドに直接干渉するしかない。だがそれをするにはもっと時間がない。さっきあと三時間で陛下が出発するとか言ってたけど、あれから一時間は経っているから後二時間。私が所詮は男爵風情であるのも考えるとちょっと面会は難しいだろう。
しかしそうなると今の私にはこの窮地を切り抜ける武器になりそうなものなんて……
「あっ」
そうだ。
私にも現代知識チートがあるじゃないか。
日本から転生してきた設定のあるアルマとは違う、本物のチートが。
私はこの後、裏ギルドが集団脱獄計画を起こす事を知っている。反乱軍がある事を知っている。その拠点も、私は知っている。
ではこの情報で、最終的に一番得をする奴は誰だ。
目先の利益ではなく、最終的に最も大きな利益をもたらすのは誰だ。
「ピュトロ……は、ないわね」
真っ先に目先の利益を得るのは間違いなくピュトロ。
確かに襲撃を潰して反乱軍予備軍たちを壊滅させる事が出来れば、反乱は起きないかもしれない。
しかしアルマはその場合どうなるだろうか。
それに、デトルーロ侯爵はどうなるだろうか。言うまでもなく激怒するだろう。
侯爵はゲーム内でもお助けキャラに近く、あらゆるステータスが最初から高水準かつ高成長をするぶっ壊れユニットだ。それと敵対するのは正直恐ろしい。現実世界でもデトルーロ侯爵は領民からの支持も厚く、他の貴族にも顔が広い。下手すると王国が割れかねない。割れたら内乱ルートに入る。革命軍ができる。私はもも肉ベリーウェルダンほかウェルダンのバーべキュー。おっけーピュトロは無しだ。
では陛下に直接言うか? 腐っても国家転覆を図り、やがてそれを成功させてしまう軍勢になるのだから陛下としても外遊を取り止める価値は有るだろう。
だがどうやって陛下のお耳にこの情報を入れる?
私は所詮ただの男爵令嬢。いくら貴族で平民とは明確に身分が違うとはいえ、陛下に直接進言出来るような立場ではない。
そういう点ではピュトロが私の知る中で最も陛下に近い人間だったのだが。ピュトロという手段を使えない以上ほかの手段を探さないといけない。
やっぱりアルマ本人に言うべきか? いや難しそうだ。
今の彼女は転生前の記憶という設定の物を思い出しているわけでもない、ただの令嬢。恋敵でもある私が突然訳知り顔で何を話しても聞く耳など持たないだろう。ましては明日のパーティーで事案があると言った所で彼女は動じないだろうし。
「となるとやっぱり、消去法でバステアしかいないわね……」
バステアはアルマ専属の若い執事だ。よくある主君第一主義野郎で最終的に革命後はアルマの夫となる。アルマの失踪後お暇を貰って彼女を探す旅に出て、陛下暗殺前に彼女と合流したはず。
彼にこれから彼女の身に降りかかる数々の困難について情報を流せば、そもそも明日のパーティーにアルマが出席しないしれない。
少なくとも事前に警告を送る事が出来るし、最悪断罪劇が起きてからも彼はアルマの場所を知る事が出来るので、合流も早まるだろうし。ほんの、ほんの気持ちだけ私への態度を軟化させてくれるかも。
仮に私の情報を妄言だと一度切り捨てられたとしても、その後の展開でいやでも私の言葉が真実であるとは分かるはず。そうすればどうしてもシナリオ強制パワーが働いてしまい陛下が殺されて後戻りが効かなくなったりしても、私の事は見逃してもらえる可能性がある。
シナリオが始まるまでバステアはデトルーロ邸にいるのだが、今は明日のパーティーの支度のために確か学園に来ていたはず……
よし、そうと決まれば即行動だ。もう一刻の猶予もない。
「とはいえ、いざバステアに会うとなると緊張するわね……」
バステアは当然私に良い感情は持ち合わせていない。しかも彼がいる場所となれば当然アルマの部屋だ。嬉々としてアルマの世話をしているであろう彼を、私が引きはがす事は容易ではない。
でも、やるしかない。
これをやらないと、私が死ぬ。数えきれないほどの国民の命と共に。
決意を胸にアルマの部屋の扉に、コンコンコン、と三回ノックをする。そして念のために覗き見穴の視界の外に外れる。私の姿を見られると多分と言うか確実に居留守を使われシカトされるからだ。
最後にキャラ通りの天真爛漫な笑みを作り、扉が開かれると同時に身を乗り出し扉の隙間に足を差込みつつ、私は猫撫で声を上げた。
「アルマ〜っ、おはよう! あのね、実は今日はバス――」
「む、ヴェルシーグ嬢」
部屋から出てきたのは。輝くプラチナブロンドの髪に、朱の混ざった灰色の眼を持つ男。
この人は……
「れっ、レイン殿下!?」
思わず転生前の素の状態で反応してしまう。
どうして第二王子が、こんな所に。
「何をしに来た」
レイン殿下も作中に何度も登場する。実はアルマに秘かに思いを寄せていて、作中も頻繁に登場し彼女の身を案じてくれる優しい王子だ。
作中ではレンの暗躍によって投獄されたアルマの身を案じ、こっそりと獄中にお見舞いに訪れ、とんでもない事をしでかしたピュトロに憤るのだが、その翌日に件の暴動があってアルマが失踪するので、その次に会うのは9章辺りか?
まあなんせ反乱軍鎮圧のために兵を率いる彼はアルマの姿を反乱軍で発見し衝撃を受けるのだ。
その場では倒すと撤退するし次に会うのは14章の和平の場だけど、まあなんせその章は激動の章で陛下は死ぬしピュトロとレンが実権を掌握すると早々に反乱軍との戦争に突入するしでレイン殿下はろくな目に合わない。
アルマとの距離は縮まることなく終盤で敵将として登場し、双方が双方を説得することを試みるが、その甲斐なく反乱軍に討たれ最期にアルマへの愛を告白しながら戦死する。あの時の死に際のセリフは当時プレイしていた時は涙腺に来たんだよね……まあアルマはその頃にはもうバステアとデキているのだけど……
まあ、要するにアレだ。
仲間になりそうでならない枠。
レイン王子はそんな奴なのだ。
「あ、いや、デトルーロ侯爵令嬢……正確には執事のバステア様に至急お尋ねしたいことがありまして……レイン殿下こそ、何故こちらに?」
「バステアに? 私がいる理由など、お前には関係のない話だ」
無論、この人もアルマを直接的に害している私にいい感情はない。
それを証拠に、彼の眼はとても冷たい。
「殿下、お呼びで――何故貴様がここにいる」
どうやら自分の名に反応したらしいバステアが、私の顔を見るなり般若の形相で此方を睨む。これでは折角の美形が台無しだ。
「お前に用があるらしいぞ」
「はあ?」
「暫し、お時間を頂けませんでしょうか」
「お前に割く時間などない」
取り付く島もない。自業自得と言う名のブーメランが容赦なく私に突き刺さる。
「きっ、緊急なんです!」
「緊急なら今この場で言え」
「えっと……それは……」
流石にこれから話す内容は、殿下の前では言い辛い。
しかし当然私の都合などバステアは気にも留めない。
「なら話は終わりだ」
「お、お待ちください!」
背を向け立ち去ろうとするバステアを、何とか袖でも何でも掴もうと手を伸ばす。
しかし私の手は立ちはだかった殿下によって阻まれてしまう。
「ちょっ……殿下、お戯れを!」
このままでは、全てが始まってしまう。
「なあバステア、コイツこんな顔と声でこんな敬語とか使う奴だったか?」
「……正直、驚いています。こんな流暢な人語を話せることに」
殿下にそう声かけられると、足を止めたバステアが深いため息と共にそう呟く。
そりゃあそうだろう。そういうキャラだし、その本性は老獪な傾国の女だし。
咄嗟に転生前の私として常識的な態度をしてまったが、端から見たらとても気持ち悪いだろう。
もちろんレイン殿下にもまともな態度では接したことはない。私たち名前が似てるし気軽に話してね!とか昔言って殿下の目が点になったのを覚えている。それ以来この人は私に近寄ろうとしない。私が殿下の立場でも多分近寄らない。
「今は、そんな悠長に馬鹿ッ面している余裕がないもので」
「……自覚あったのか」
「この用さえ終われば私はもう金輪際デトルーロ様にも皆様にも近寄りません。ピュトロ殿下は……まあ、何とかして離れて見せます。何卒お時間を下さい。お願いします」
そう言って私が頭を下げると、『ひっ』とバステアの情けない声が聞こえた。
なんか蠢く害虫が一か所に大量に溜まってるのを見つけてしまったみたいな声だ。まあ私がこの世で最も合わない態度でこの世で最も言わなそうな言葉だからね……そりゃあ気持ち悪いよね……
「だそうだぞ」
「えぇ……頭でも打ったのかコイツ……?」
「精神的に似たような事がありまして、この際いつものキャラはどうでもいいです」
「おぉん……そうか……」
そうこうしている内に通行人が私たちの様子にひそひそと声を上げ始める。
「どうしてレイン殿下がこのような場所に……」
「待って、どう言う組み合わせとシチュだよあれ……」
「あそこで頭下げてるのあのクレイジーサイコ女じゃない?」
「は? あの女が頭下げてるとか明日は槍でも降るんじゃない?」
「……私、今の内に遺書とか書いた方がいいのかしら」
「こんな風景、二度と見れないし絵師を呼んで絵画にしてぇな……」
おいお前ら。全員聞こえてるぞ。
転生前の記憶取り戻してなかったら今頃レンは地獄耳スキルのせいで発狂してお前らとてもめんどくさい事になってたぞ。
「とりあえず、人目につくし中に入れてやれ」
「……殿下がそう仰るなら」
「どんな話をするのか知らないが、俺の前でそれは話してもらうがな」
取り付く島が、ようやく見えた。
「あ……ありがとうございます!!」
思わず再度頭を下げながら叫ぶと、人だかりになっていた通行人がどよめく。
殿下とバステアも、心底気味の悪い物を見たような眼でこちらを見る。
でもそれでいい。
レイン殿下がいてもこの際構わない。それで話ができるのであれば。
「……」
アルマの部屋の応接室に通されたはいいが、どうにも居心地が悪い。
何故ならば目の前にレイン殿下が興味津々な目で私を見つめているからだ。
「あの、私の顔に何かついていますでしょうか」
「いや、今までの様子と比べてあまりにも別人の様に違うからな。はっきり言うが、君に敬語で話しかけられると、気持ち悪すぎて一周回って面白い」
でしょうね!!
私も逆の立場なら同じこと思ってると思いますぅ~!!!
とは言えないので曖昧に笑って誤魔化しておく。
「で、改めて何しに来た。本当に二度と顔を見せないんだろうな」
バステアが紅茶を淹れて入ってきたことで、自然に自分の背筋が伸びていく。
ちなみに部屋の主であるアルマは寝室にいる。バステアに『あの毒婦が来ているから一歩も部屋の外に出てはいけません』と言われているのが聞こえて殿下が思わず笑っていたのはここだけの話だ。全部聞こえてるぞコラ。
「本当です。神にでも悪魔にでも誓います。このままでは国が荒れて取り返しのつかない事になるし、そんな事になる位なら今の内に全てを吐き出して隠居します。確かに今までの私は世紀末ビッ……どうしようもなく軽薄な女だったけど、腐っても貴族だし、私も領民と自分の命は惜しい」
「国が荒れる? 取り返しの付かない? 何を言ってるんだ?」
「こいつ今自分の事世紀末ビッチと言おうとした……?」
おいバステア。拾うべき所はそこじゃないだろう。
「まず一番肝心のところを。明日の記念式典についてですが、このパーティーでピュトロ、殿下は、公衆の面前でアルマ様を辱める目的で、大々的に婚約破棄の宣言をしようとしています」
「なっ……」
「馬鹿な……!?」
二人は絶句している間に、私は矢継ぎ早に話を続ける。
「明日からは陛下が外遊でおらず、このためピュトロ殿下を止められる人が居ません。なのでアルマ様はそのまま投獄されます」
「ふざけるな!」
バステアが立ち上がりながら声を上げ、思わずびっくりして身が縮まる。
レイン殿下は私が陛下のスケジュールに言及した段階で、顔をサッと青褪めさせた。
「な、なので私はこうして恥知らずを承知でこうしてバステアさんにそれをお伝えしに来たのです」
「貴様の差し金だろう!」
「まあまあ、落ち着け。それで何故お前がそれをわざわざバステアに伝えに来たんだ。そのまま黙っていればその筋書き通りになるんじゃないのか? それで一番得をするのはどう見てもお前だろう」
バステアが烈火の如く怒り出すのを殿下は諫めつつ、努めて冷静に私に続きを促す。
信じてもらえるだろうか。
あわよくばここで信じてもらって、最良の結末を迎えたい。
「実は……」
深く深呼吸して、その後短く息を吐き、気合いを全身に巡らせる。
そして私はようやく、自分が転生した事を話す事が出来た。
断罪劇が具体的にどう進むのか、その詳細を。裏ギルドの事。暴動の事。陛下暗殺の事。レイン殿下の最期。ピュトロ殿下の最期。私の最期。ご本人の前なのでレイン殿下の淡い恋心は流石に伏せたが、それ以外の全てを包み隠さず話し終わると、殿下は眉間に皺を寄せていた。
「にわかには信じがたいが……その秘宝の存在は、間違いなく王家、それも直系と王位継承権第2位の者以外には絶対に漏れない物だ……国境の砦にある秘密の地下通路についてもだ……」
レイン殿下は神妙にそう呟いて見せた。ある程度は信じてくれそう。
バステアは一方で腕を組んだまま、私の話を鼻で笑って見せた。
「それで自分の命が惜しいから、なりふり構わず全てをぶちまけに来たと言う事か?」
「ええ」
「くだらないな。俺には貴様の言う事を信じる理由も、根拠もない。秘宝だかについても、貴様に誑かされた殿下が口を滑らせたという可能性だってあるんじゃないか? 大体魅了スキルって、そんなものは解除すればいいじゃないか」
そうだ。バステアの言う通りだ。
私は自分の命が惜しい。なりふりなど構わない。
だからこの程度では動じない。
「信じないと言うならそれでもいいわ。もう既に解除はしてあるけれど、殿下は長い事魅了の影響下に有ったので完全に魅了が抜けきるまでしばらくはその余韻が残り続けます。そして明日のパーティーまでには間に合わないんです。だからこそ、私の今の目的は、まずアルマ様にパーティーへの出席を取り止めて頂く事。そうすれば断罪劇は少なくとも起きません」
破棄の宣言はそれでもされるかもしれないが、断罪劇が起きなければ即座に投獄されることは無い。そうなれば暴動による脱獄もない。
「でもアルマ様が出席してしまったら、彼女はピュトロ殿下の裁定で投獄されるわ。ああ、言っておくけどこれは見てきた記憶がどうこうではなく、これは先ほどピュトロ殿下から直接聞いた話なのでそこは勘違いしないで」
まあ投獄されてもどうせ彼女は脱獄するのだが。
「もしそうなったら、アルマ様は文字通りあらゆる手段を使ってこの国をひっくり返すでしょう」
大事なことは、ここからだ。
「貴方が今信じなくても、やがて貴方は信じざるを得なくなる。必ず。でも今信じないと言うなら、貴方が信じる頃には取り返しの付かない段階になっていると断言するわ。そうなると手遅れだから、私も『自分の命が惜しいから、なりふり構わず』生き残るために何でもすると言うだけ。それこそ、あらゆる手段を使って」
私がバステアと手を取り合えるチャンスは今だけなのだ。
ここで手を取れないならもう国中で大量の血を流す事を覚悟してアルマと反乱軍を徹底的に叩くしかない。
「ほう。よほど随分と自信があるな」
「自信と言うか、どうせ私も姦通罪の容疑で無実なのに捕まるはずですし、正直そうなると私も陛下が暗殺されるまで身動き取れないので、どうにも出来ないと言う方が正しいです」
「無実ねえ……」
「無実ですよ。ピュトロ殿下が妙な所で初心過ぎてそんな事できるわけがないのに笑わせないで欲しいですね。嘘だと思うならピュトロ殿下に聞けばいい」
「……」
レイン殿下が訝しむ。一方でバステアは無反応だ。
これはシナリオの強制力的にアルマと衝突するのは回避不能かも知れない……
「大体、レイン殿下は何か勘違いされているようですが、先程も申し上げました様に殿下も最終的にはこちらサイドです。あの方に何も伝える事無く、そのまま果てる事になっても良いというのであれば、私と運命を共にしましょう」
「なっ……!?」
お前も私と共に破滅するサイドだからな。
アルマ様のおられるであろう部屋に目線を向けて、言外にお前アルマ様に告白する事無く死ぬぞと伝えてやると、流石に目を見開いて動揺した様子でレイン殿下は此方を見つめた。
「……何故、それを」
「先ほども申し上げました様に、全てを見ています。アルマ様が脱獄される際にどんなルートを使うかも、この後何が起きて、どこでどんな貴族がどの様にして、何より何故死んでいくかも、誰がどこにどんな私財をため込んでいるかも、全て把握しています」
言い換えれば、この知識があれば私はその進軍を止めるための布陣を指揮出来る。
あるいは貴族たちにいつアルマが攻め込んでくるか知らせる事が出来る。
シナリオからどうしても外れられないのであれば。
その内容に沿って最大限に抗うしか、もう道などない。
だから、その覚悟は済ませてある。
「言い換えればアルマ嬢が何故その貴族を斬る事になるのかも分かる、と」
「ええ」
「面白い。信じてみる価値は、ありそうだな」
「で、殿下!? 正気ですか!!?」
バステアが信じられなさそうに叫ぶ。
「そうだ。もし事実ならヴェルシーグ家は今この国家に存在するあらゆる悪事の証拠と、あらゆる国家機密を手中に収めているという事になる。ならばそれを利用しない選択肢などない。裏ギルドの情報はすぐに提供出来るか」
「え、ええまあ」
なぜかバステアよりも殿下の方が食い気味にこちらに反応しているが、これでいいのだろうか……
「ちなみに、ヴェルシーグ嬢は明日のパーティーには出るのか?」
「ご冗談を。アレに出ると最終的に死ぬのが分かっていますので、行くはずがありません」
「でもお前はピュトロを散々誑かしていただろう。あの猫撫で声はどこへ行った」
「借りてきた猫の様な態度の事なら、借り物なので貸主に返してきました」
「ぷはっ」
そこまで言うと、とうとうレイン殿下は笑って見せた。
「いいだろう。ならこれから早速裏ギルドを押さえに行く。バステア、お前はアルマ嬢の警護に努めろ。明日のパーティーには絶対に行かせるな。これは命令だ」
「ええっ!?」
「ピュトロが悪さを企んでいるのはあり得る話だし、あの様子ではどのみちアルマ嬢のエスコートなんてしないだろう。恥を晒すだけな上にアルマ嬢が傷つくだけだ」
「むう……それはまあ、残念ながら間違いないですが……」
「そしてヴェルシーグ嬢は私についてこい」
「殿下!?」
「当然だ。内部の地図は頭にあるんだろう? 道案内が必要だ。それともこれまでの話は全て妄言か?」
そのままレイン殿下は席を立つ。本当にこれから行くつもりらしい。
「まさか。妄言だったら私を牢に放り込めばいい」
「ほう。言ったな?」
レイン殿下の眼が細められる。
私も彼に言われるままに後ろを追いかけると、既に馬車が控えており、そのまま私たちは馬車に乗った。
後ろには治安維持部隊の馬車が幾つも連なっている。いつの間に招集したんだ……
王族の保有している馬車なだけあって中は快適だ。
舗装されているとはいえ、日本と比べると道路はボコボコで普通の馬車だとお尻が痛くなるけど、この馬車はそうはならない。不思議だ。
「時に、ヴェルシーグ嬢。君は明日のパーティーが、君の想定通りに運命が変わって何事も無く終了したら、その後はどうするつもりだ?」
「それは……」
もし運命が変わり、断罪劇がなくなったら。
その時は修道院にでも行こうと考えている。
どうせ私は兄もいるし、私がいなくても家は存続する。
転生前の記憶の戻る前の私は、男相手なら誰にでも媚を売り、隙を見て魅了を掛けるようなどうしようもない奴だったけれど、もし何もかもが上手く行ったらその時は修道院にでも行き、自らの罪と向き合おうと考えているのだ。
そう、かいつまんで話すと殿下は目を丸くさせた。
「罪?」
「はい。王太子殿下を誘惑しているのは事実ですし、嫌がらせの数々を自演していました」
「……それの何が罪なんだ?」
次に目を丸くするのは自分の番だったらしい。
「私は魅了スキルで王族を誘惑したんですよ? 重罪では??」
「いや、普通王族は魅了対策の魔法具を常時身に着けて対策する物なのだし、それを怠っていたピュトロが悪いと言うか」
「それはまず周りの侍女を魅了して本人を魅了する隙を窺いました」
「なんだと」
魅了防止なんて、周囲を先に洗脳してしまえばどうにでもなる。
現に私はどうにかなった。
「魅了が罪にならないと言うなら、自演はどうなるんですか」
「自演と言ってもそれで君以外の誰かに具体的な被害とかは有ったのか?」
自分の行いを思い返してみる。
まあ、花瓶や壺を一つや二つ割ったりはしたけど、万が一どこから足が付くか分からないから最悪弁償してもいいように安い物を選んで割ったし、私が頭から水を被ったせいで掃除のおじさんが大変だったりはしただろうけれど。
お弁当を取り上げられて捨てられたとか言ったのは、普通に持ってくるのを忘れたし、丁度いいからそれをアルマのせいってことにして飯はピュトロにタカるか~の精神で適当に言ったことだし、机の落書きなんて当然自分でしたし。
階段から転げ落ちる時は事前に受け身の仕方を魅了しておいた騎士科の男の子に教わって、散々自分の部屋で練習したからちょっと自分の身体が痛い以外に被害はなかった。
……んん? ひょっとして私、言うほど重罪人ではない??
「き、器物損壊の罪で」
「ははは、お前面白いな。せいぜいお前が弁償して終わる程度のものだぞ。しかもお前、花瓶や壺の類は安い物をわざわざ選んで壊していただろう」
うっ……なんかバレてる……
「何故それを……」
「アルマ嬢が無実なのは当然として誰がそんな事をするかと考えた時、お前の自作自演だと仮定して見たら、どう見ても万一露見した際の保険に自分で支払えそうな額の物にしか手を出していない事は直ぐに気づいた」
そこまで読まれているとは。
「足が付かないようにしていたのにそんな所から足が付くとは思いませんでした」
「君は花瓶の件の様に異様に慎重かと思えば、断罪劇を暴露する大胆極まりない行動をとるし、花瓶の件の様に素で馬鹿だと油断していると本当に傾国の王妃になった場合まで想定出来る切れ者だ。お前の評価をするのは難しい」
「それ、褒めてます?」
私が思わず聞くと、レイン殿下は笑って見せた。
「正直に言うが、こうして話をまともにするまでただ我々にすり寄るどこにでもいる下位貴族だと思っていたがその認識は少なくとも改める事になりそうだ」
「どこにでもいる下位貴族ですよ」
少なくとも記憶を思い出すまでは間違いなくそうだった。
天真爛漫な生娘を装い、隙あらばすり寄って外堀から魅了で埋めていくだけの頭もあった。それが失敗するならまだしも、あまりに大成功しすぎて破滅するとは夢にも思わなかったけれども。
「だが君の狡猾さは、およそ下位貴族の器に納まるものではない。確かに婚約破棄と再婚約の手続きはピュトロの指示で直ちに可能だ。その後蟄居の後継承権剥奪を言い渡されるのも順当な道筋だろう。そして、正式に継承権取消まで手続きに時間が掛かるのも君の言う通りだし、その間に魅了された者が暴走して事案になり継承権が消える前に繰り上がるのは、大いにあり得る筋書きだ」
その手続きでモタモタしている内に魅了を介して暗殺することで獄中から王妃になり国を掌握するとは、記憶を思い出す前の私は恐ろしい計画を我ながら考え付くものだ。
そしてそれが無事実行に移されて成功までするのだから笑えない。もしアルマと衝突せざるを得なくなるなら王妃になれるのだし、私の王妃ルートがもし確定してしまったらとりあえず魅了対策法は真っ先に議会に提出するとしよう。
「この国は魅了への対策も、法整備も、あまりに遅れているんです。だから王太子はどこぞの男爵令嬢に誑かされるし、隣国の魅了使いに貴族が骨抜きにされて、アルマ様に斬り殺されるんです」
斬り殺されると言ったが、正確には脳みそをぶち抜かれる。まあ誤差か。
思い返せば、転生後の方の記憶で、妙に魅了が通らない奴が多いなと思っていたが、転生前の記憶を照会してみれば、なるほどと頷けるものだ。
魅了避けの魔術や魔道具を使っているわけでないのに魅了されない理由は単純だ。既に魅了されている者には、魅了が効かない。同じ術者なら重ね掛けは出来るが、別の術者では上書きも重ねおきも無理だ。
「ほう。ではその、どこぞの男爵令嬢には、この捕り物の後にその魅了されている貴族のリストを後で提出してくれるのかな」
「もちろんです。魅了は危険なのは私が証明済よ」
「それは間違いないな。さあ、ついたぞ」
到着したのは、王都の都心からは若干離れた副都心にある高級宿屋から100メートルほど離れた場所だ。無論、表向きは高級宿屋でもその正体は裏ギルドの本部なのだけれど。
「裏路地のゴミ捨て場に裏口があるからまずはそこを押さえた方がいいわ。空き瓶の大量に収まっている大きな黒い木箱の裏に裏口の扉があるから、そこをまずは制圧。それから中に突入したら中庭のウロボロスの彫像と、厨房の黄色いレンガが敷かれている、常時未使用の窯が脱出口だからそこも制圧して」
「分かった」
「清掃員がワゴンを持って走ってきたらワゴンの中に暗器が隠されているから注意」
「あ、暗器……分かった。他には?」
「天井から増援が降って来る。全員弓兵でスキル『毒牙』持ち、槍使いの人たちは『成り代わり』スキルで味方と位置を入れ替えて孤立させつつ此方の懐に斬りこんでくるから特に注意。大将は多分最上階の社長室という名目のギルドマスタールームにいるわ。ウィザードでサンダーボルト使いだけど、武器がファイアボールの杖だから不意打ちに気を付けて」
「そうか。よし、行くぞ!」
こうして裏ギルドに攻め込んだレイン殿下たちは、死者どころか重傷者を1人も出すことなくあっという間に制圧してしまった。
「い、幾ら何でも早すぎる……」
RTA顔負けの速度で制圧した殿下が涼しい顔で宿屋から顔を出す。
裏ギルドマスターは殺さずに捕まえる事が出来たらしい。これで余罪の追及が出来る、とレイン殿下は年相応の笑みを浮かべて見せた。
「君の発言が事実である裏付けが取れたな。大至急陛下に念話を飛ばせ、時間がない」
「はっ!」
殿下の従者が大急ぎで魔法を行使する。
それをしり目に私たちは再度馬車に乗り込むと、ようやくため息をついたレイン殿下がこちらを見つめた後に、爆弾を落とした。
「次は反乱軍のアジトだ」
「ええっ!?」
次って、これで終わりじゃないの。今大捕り物を終えたばかりですよね。
もう日もだいぶ沈んでいるのですが……
「殿下、本気ですか?」
従者が悲鳴を上げると同時に、こちらも思わず目を見開く。
まだバステアに会いに行ってから4時間も経っていないのですが……
「ではこれから戻って明日のパーティーに出る準備をするか?」
「行かせてください。反乱軍の大将は精錬された銀の剣と周囲の味方への攻撃を全て自分に誘引する強欲の盾を持っているフォートレスナイト職で、その側近に聖魔法を使う専属の癒し手が――」
パーティーに出ると死亡フラグが立つ事を把握しているので、それはもうツラツラと反政府勢力の情報が自分の口からとめどなく流れる。
これを治安維持部隊の若い兵士が羊皮紙に必死に書き留めていると、殿下が呆れたように笑って見せた。
「そんなに王妃の座は嫌か」
「嫌というか、何分自分の命が懸かっているので丁重にお断り申し上げたい所です」
「では王妃以外の妃ならどうだ?」
「はい??」
思わず素で返してしまった。
レイン殿下の顔が僅かに近寄ってくる。くすくすと笑っている。
「君が本物の馬鹿であればこちらも手綱を握れない事も無かっただろうが、良いのか悪いのか君はそうではなく、非常に用意周到に魅了した手先を張り巡らせていた。先ほども言ったがこの際だからはっきりと言おう。君の狡猾さは下位貴族のそれでは無い。それ故に、その魅了能力が非常に魅力的で、同時に恐ろしく思う」
彼の眼の朱が、ジワリと広がった気がした。
「その魅了を、王家の武器として、私の傍で振るってくれないか」
「……」
その言葉が何を意味するか、分からないほど私は愚かではない。
「もっと分かりやすく言おうか。お前が欲しい。愛していないと言うならそれでも構わない。家の格が足りないなら、今回の一連の作戦の功労者という事で格上げもあるだろう。それでは足りないか」
「ですが私は、今まで散々悪さを働いてきています」
「君は大した悪事などしていないと、先ほど言っただろう」
「でも殿下は、アルマ様の事をお気に――」
「今は君の方が遥かに気になる」
「ええ……」
気が付けばレイン殿下の息を自分の肌に感じる位置に、顔が迫っている。
もしや魅了が暴発したか。そう内心で焦り始めていると、殿下は見透かしたように囁いた。
「言っておくが、私は君のスキルに魅了などされていない。魅了防止の魔道具をちゃんと着けている。それに――」
――既に魅了されている人には、魅了は掛からない。
その発言で、思わず私は目を見開いた。
「ど、どういう……」
「私は君のスキルに魅了されたんじゃない。君自身に魅了された」
思わず、生唾をゴクリと呑む。
スチルには無かったその妖艶な笑みを前に、自分の顔に血が上っていく。
「私は、文字通り人を魅了するんですよ?」
「そうだな」
「それこそ、私を懐に入れるとなると、大勢の人が私に魅了されます」
「そうだな」
「その中には、当然殿方も多く居ます」
「大変残念だが、そうだな」
「その命令ひとつで、誰かれ構わず媚びて誑かして、侍らせますよ?」
「……」
ようやくレイン殿下はその顔を退かせた。
そして彼は馬車の中で優雅に足を組み、あっけらかんとした様子で笑った。
「無論、虫が君に寄ってくるのは大いに困る。ただでさえ困るのに、君はそういう虫を寄せ付ける才能まで持っている。君が自発的にそれをするのも当然あり得ないが、それをましてや私の指示でやらせると言うのは、はっきり言って耐え難い。だが解決方法は既に分かっている」
「解決方法?」
陽が沈む。
日没のその瞬間、太陽の切っ先が馬車の中に届く。その朱を帯びた灰色の眼と重なる気がした。
そして彼は手を差し出しながら、ゆっくりと口を開いた。
「私が君を魅了してみせる。君が誰を誑かしても、その心がこちらにあれば虫など気にするに値しない」
その甘ったるいキザなセリフに、顔に血が上っているはずなのに、なんだかクラクラする気がする。色気に中てられ、脳が酸欠状態になる。
私がこんな状態なのに、そんな事を余裕そうな顔で言われたら、うれしいを通り越して、なんだか腹が立つ。
そんな顔でそう言われたら。こう返すしかないじゃないか。
「畏れながらも殿下、私は殿下に魅了なんてされません」
「ほう?」
片眉を上げて見せた殿下に対し、私は不敵に笑った。
「殿下ご自身が申していたではありませんか」
既に魅了されている人に、魅了は掛からない、と。
一瞬殿下はきょとんとした顔を見せ、その後私と同じく不敵に笑って見せた。
「だが、重ね掛けは出来る。何重にでも重ね掛けをしよう。間違っても解除など出来ぬようにな」
「……そう簡単に重ね掛けなんてできると思ったら、大間違いですよ」
分かりやすい負け惜しみで、我ながら恥ずかしさが倍増だ……
こうして私は、無事断罪劇を回避する事が出来た。
翌日のパーティーではアルマ様はもちろん、私まで欠席したのでピュトロ殿下は困惑し、私を探そうと会場を飛び出そうとした所で王宮より派遣された医官によって取り押さえられ、三日ほど入院した。
退院した頃にはすっかり魅了は解け、彼はアルマ様に対して謝罪し、アルマ様はこれを受け入れたと言う。
もちろん私も2人に土下座したが、彼らは最終的に許してくれた。
そして私は陛下との謁見し、王太子を誑かした罪は重いが、反乱軍と裏ギルドの摘発に貢献し反乱を未然に防いだためこれを相殺し不問とする事、並びに魅了の危険性と有用性について示した事に対する褒章として爵位の繰り上げと、レイン殿下との婚約が行われた。
そして、魅了対策法が王命により導入され、この国からスパイやその傀儡は一掃され、逆に私は王国の影に対する魅了スキルの指南役に就任することとなった。
レイン殿下はその後、王国の影のトップに正式に就任し、共にピュトロ殿下とアルマ様を陰から支えた。
なんか国を裏で操る傍から見ると邪悪な王弟殿下とその妃にランクアップしてしまった気がするけど、今の所は問題なく夫婦生活を送ることが出来ている。
元は悪役令嬢物の悪役なのだ。
悪がより深い闇に魅了されるのは、当然のことだ。
悪役令嬢物の悪役ってあんまりいねぇな……とか思って描きました。
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