Destination
<彼ら>と人類との戦争は3年に渡った。その結末を知る人類は、誰もいない。
<彼ら>はある日、突然この星にやって来た。
その日、アメリカの農村地帯に<彼ら>は突如として姿を現した。後に<門>と呼ばれた時空の裂け目から現れた<彼ら>は、その外見的特徴は人類と殆ど相違なく、しかしその表情は非常に読みづらい。車やコンピューター、銃と思しき物を幾つか備えていたこともあって、世界は俄に混乱へと陥った。
ネットでは、エイリアン、宇宙戦争、人類滅亡といったワードがトレンドとなり、<門>周辺は封鎖され、先進各国によって派遣された軍隊によって取り囲まれた。連日マスコミによる報道が続き、<彼ら>が椅子から立ち上がるだけでニュースになった。
こうした混乱に乗じた犯罪も各地で相次ぎ、各国政府は早急な対応を迫られた。国連は先進国を中心とした特殊対策チームを編成、軍の協力のもと、<彼ら>との交渉を目的とした言語や文化、科学レベルの解明、生態調査などが進められた。
「<彼ら>の言語は非常に複雑、かつ、複数の言語系統が併存しており、共通語にあたるものも存在しません。幾つかの言語については簡単な単語の解明が進んでいますが、交渉を行える段階には未だ至っておりません」
「先日捕えた<彼ら>の捕虜ですが、どんな実験や尋問を受けても、怯えたり、抵抗する様子は全く見られません。<彼ら>にしても、仲間が捕まっているのに、怒ったり、助けようとする素振りもありません」
「当初の推測通り、<彼ら>の科学レベルは我々と殆ど変わらず、未知の兵器や情報技術といったものも確認されておりません。また、先週も新たに1万人規模の"移住"が<門>を通して行われましたが、その開閉について<彼ら>が意図的にコントロールしている様子はなく、<彼ら>の技術によって作り出されたものではないと判断されました」
ところが、ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎ、半年、一年と時間が過ぎても、<彼ら>は積極的な動きを見せなかった。いつしか人々の危機感は薄れ、あれほど騒がしかったマスコミも、今や<彼ら>が新しくビルを建てても殆ど報道しなくなっていた。
気がつけば5年が経過し、<彼ら>は<門>の周りに立派な都市を造り、作物を育て、平和に暮らしている。軍による監視は続いているものの、それらを気にしている様子もない。人類と<彼ら>との共存は、拍子抜けするほど容易に達成されつつあった。
……人類は油断していたのだ。<彼ら>はある日、突然侵攻を開始した。ミサイルを発射し、戦車を走らせ、銃を構えた。後手に回った人類軍を次々と撃破し、その攻撃の手は<彼ら>の調査を請け負う研究施設にまで近づいていた。
「ドクター、早くここから逃げましょう。<彼ら>の軍勢が迫っています!」
白衣姿の男が、慌てて知らせる。部屋のモニターには武器を構えて進軍する<彼ら>の様子が映り、遠くの方から爆撃の音がする。
「無駄よ。人類は<彼ら>には勝てないわ」
しかしドクターと呼ばれた彼女はといえば、まるで慌てる様子もなく、のんびりと珈琲を口に運ぶ。男は冷や汗を拭いながら必死で説得を続けた。
「確かに<彼ら>の力は我々の想定を超えていましたが、兵も武器の数も、こちらが優っている。人類は勝てますよ。ただここは戦場に近すぎます。今は逃げないと」
「落ち着きなさいよ。あなたが送ってくれた<彼ら>の脳データ、さっき解析が終わったの。お陰で全て分かったわ」
「分かりましたから、とにかく今は時間がありません!早く逃げましょう!」
「……そう、時間。それが全てだった」
彼女はそう言って、中空を見つめた。そして徐に立ち上がり、部屋の中をぐるぐると歩き回り始めた。
「一体、何の話です?」
彼女の奇怪な行動に気を取られながら、男は思わず尋ねる。
「<彼ら>にとって、"時間"は私たちのそれとは全く異なる概念なのよ」
「……どうゆう事ですか?それが今何の関係が……」
「"時間"は、私たちの脳によって作り出されてる。だから脳の構造が違えば"時間"の感覚も異なる。私たちの脳は、"現在"を認識して、それを積み重ねることで"時間"を感じることができる。"現在"の積み重ねが"過去"を作り、そこから"未来"を予測することができる。それが私たちにとっての"時間"。ところが<彼ら>の場合、それが全くの逆なのよ」
「逆って、まさか、未来を見てるとでも?」
「まさしくね。<彼ら>は"未来"を事実として認識し、迷路を逆に辿るように、"現在"までの最短で最善の道順を導き、その通りに行動するの」
「そんなことが……未来を知っているなんて……そんなことが本当にあり得るんですか?」
「知的生物である<彼ら>がそれをしていることには驚きだけど、未来を知っているものなら私たちの身近にもあるわ」
「……光、ですか?」
「ええ。光は自分の最終的な到達点までの最短距離を選んで進む。予め、自分がどこに辿り着くかを知っているのよ」
「なら、<彼ら>は本当に、自分たちの未来を知っていて、そこへ向かって行動していると?」
「その通り。<彼ら>に一切の感情が観察されなかったのも当然。<彼ら>にとって"時間"は未知の選択の結果ではなく、一つの定まった事実に過ぎないのだから。そこに意思は介在せず、全ては予め決まっている。感情がないのではなく、必要なかったのよ」
「でも、たとえ予め知っていても、明日死ぬとなれば僕なら動揺しますよ」
「だから、逆なのよ。私たちの感覚で言えば、"明日死ぬ"のではなく"昨日死んだ"ことを知るのに近い。自分の過去をなぞって遡っていく感じ。そこで何を思おうが、起こってしまったことは変わらないでしょ?」
彼女は穏やかに笑う。その顔は満足気で、自らの発見に対する悦びに満ちている。男は今、ようやく彼女の言説を理解し、その意味するところに辿り着いた。
「……<彼ら>はこの戦争に勝つことを知っている。だから戦いを仕掛けたってことですか……」
「ええ、<彼ら>はただ淡々と、最短で最善の行動を取り続けるだけよ」
彼女はそう言って、少し冷めた珈琲を軽く啜った。男は避難鞄を置き、中から取り出した非常食のパンを一口、齧った。