温泉大好き!
「右手をご覧ください」
女性ガイドの声に合わせて、私たち乗客は一斉に右を向いた。
ただ一人、若い男性客が己の右手に視線を向けたため、連れの女性から睨まれている。渾身のボケが滑ったらしい。
「あちらに見えますのが惑星イエロー、この旅行の終着地でございます」
飛行機や電車ならばガラス窓がある位置に、大きなモニター・スクリーンが設置されていた。
ガラスだったら外の様子が直接視認できるのだが、客室全体をカバーするほど広範囲の外壁をガラスにするのは危険なため、この宇宙船では代わりに、船外の様子をモニター・スクリーンに投影するサービスが用意されているのだ。
今そこに映し出されているのは、真っ暗な宇宙に浮かぶ黄色い惑星。天文学者が名付けた正式名称ではなく「惑星イエロー」の通称で親しまれている観光惑星だった。
「うわあっ、卵の腐ったような匂い!」
船外に出た女性客の一人が、不快な匂いに叫び声を上げる。ただし、その顔は『不快』どころか、むしろ嬉しそうな表情になっていた。
彼女が『匂い』を感知できたように、私たちは宇宙服を着ることなく、宇宙船の中と同じ格好のまま、惑星イエローに降り立っていた。
観光惑星だけあって、地球人が呼吸しても問題ないよう、大気が調整されているのだ。
「これって硫黄ガスの匂いだよね? ということは、空気中には硫化水素が充満している……?」
「少しなら無害だけど、本来は有毒ガスじゃなかったっけ? 外から見て惑星全体が黄色に見えたくらいだし、かなり濃い硫化水素だぞ。大丈夫か?」
慌てて口と鼻を手で押さえる者もいた。
なるほど、彼が言う通り、空気中の硫化水素濃度は相当なものなのだろう。改めて周りを見回してみると、景色も人々も全て、うっすらと黄色がかっている。まるで黄色いガラス越しに見る世界だ。
こうした乗客たちの会話を耳にして、一緒に降りたガイドが説明する。
「ご安心ください。色と香りは元のままで、成分は窒素と酸素に置換されています。人体への影響は全くありません」
さすがは観光惑星だ。黄色さと独特の匂いをわざわざ残すところが、大きなポイントなのだろう。
「では、本日のお宿へご案内いたします。さあ、こちらへどうぞ!」
「ふうっ……」
「いやあ、温泉は命の洗濯ですな!」
顔は見慣れたが名前までは覚えていない。そんなツアー客たちが、まるで旧友同士のような笑顔で語り合う。
私は会話に参加しなかったが、それでも温泉に浸かっただけで、彼らと同じ表情になっていた。
本当に、温泉は良いものだ。これがあれば10年は旅が出来る、という気分だ!
……と、自分でもわけのわからないことを考え始めたので、少し冷静になろう。
この惑星について、頭の中で簡単に振り返ってみる。
惑星イエローは元々、硫化水素に覆われた不毛な惑星だったらしい。しかしそれを温泉地の特徴と捉えた一人の日本人が買い取り、掘ってみたら至る所から温泉が吹き出したという。
その後テラフォーミングの結果、こうして有名な観光惑星が出来上がった。ただし、訪れる観光客の大半は日本人だそうだ。
私が現在参加しているこのツアーも、参加者は全員が日本人だ。銀河一周ツアーなのに最終目的地が辺境の温泉惑星だから、どうしても日本人ばかりになるのだろう。
それほど日本人は、温泉が大好きなのだ!
(「温泉大好き!」完)