真っ黒な流れ星
2022/1/16 本文を少しだけ修正しました。
日が沈み、あたり一面にくらやみが、どんどんと広がっていくような時間に、その少女は、ただ広い草原を歩いていました。
少女はこの近くの町に、半年ほど前から移り住んでいました。草原から見える町では、ぽつっ、ぽつっと、少しずつ明かりが灯されていきます。
でも少女は、いっこうに、町へと戻るようすを見せません。もうすっかり暗くなって、もはや月の光だけがあたりをてらすようになっても、少女は草原の真ん中あたりで、ぽつんと、ただ一人、座って空をながめているのでした。
今日は、わずかほどの星しかなく、真っ黒な闇が、空のほとんどをおおい尽くしています。
少女がこの草原に来たのは、一度ではありません。それどころか、ここ数日は毎晩この草原に入ってきて、地べたに座り、空をぼんやりとながめることが続いていたのです。
目的は、『願い事』でした。
まだ少女が一回り幼かったころ、ママから聞いたことがあるのです。
『流れ星が消える前に、願い事を心の中で祈ることができたら、その願い事は、必ず叶うんだよ』
やさしかったママの顔と声を思い出しながら、彼女は黒い空をながめ続けます。
流れ星が降るのを今か今かと待ちのぞみながら、すぐに願い事を祈れるよう心の中で準備をしながら、そして、もし願いが叶ったら……。
しかし、今夜も、流れ星が降るようすはなさそうです。
ある時間まで待っていても、流れ星が降ってこなかったら、少女はせめてもと、空にむかって願い事を祈るようにしていました。
少女はうつむいて、心の中で願い事を祈ります。何回か繰り返して、家に帰ろうと、顔をあげたその時でした。
黒い空に、ひときわ黒い何かがあるのを、少女は見つけたのです。黒い空の中にあってもわかるような、他のどの黒色よりも、黒らしい黒。その黒いものは、どんどんと大きくなっていき、少女のほうへ、近づいていっているようでした。
そしてついに、どすんと音をたてて、それは少女の目の前へと落ちてきました。
少女はおどろいて、その場から動けませんでしたが、やがて落ちてきた黒いかたまりが、少しずつ動き出しました。
「俺をよびだしたのは、お前か」
聞いたこともない、恐ろしい感じの声でした。黒いかたまりは立ち上がるようにして、少しずつ大きさを増していきます。少女はやがて、それが自分より何倍も大きな何かであることに気がつきましたが、ただふるえて、座り込むことしかできませんでした。
「む?」
黒いかたまりが、何かに気づいたように体をふるわせます。
「なんだ、どんなやつかと思えば、こんなちっちゃなお嬢さんだとはね」
声は、恐ろしさを感じさせない、少年のような声色に変わりました。それを聞いた少女も、恐怖と緊張が、わずかながら和らいできたようです。
「なんだって、あンたみたいな子が、こんなくらやみの中で願い事をしていたんだい?」
その声には、どこか独特の、なまりがあるようでした。
「えっと、わたし……」
少女はようやく口を開きましたが、黒いかたまりは、それをさえぎるようにして話し始めました。
「まあ、なんだっていいや。俺は、『黒い流れ星』だ。あンたみたいなお子さまでも、名前は聞いたことがあるだろう?」
「えっ、黒い……流れ星……?」
少女は困った様子を隠せませんでした。そんな名前の流れ星、聞いたこともなかったからです。やがて、『黒い流れ星』も、そんな少女の様子をさっしたのか、言葉をつづけました。
「まさか、知らないのか? はるか昔に、魔女が生み出した、この世ならざる存在。ふだんは空にいて、雲の影にひそんで暮らしていて、流れ星のない夜に、13日の間、願い事をつづけると、その人のもとにふってくるっていう、この町じゃ伝説になってる流れ星だぜ?」
少女は申し訳なさそうに、こくりとうなずきます。『黒い流れ星』は、はぁ、と、大きなため息をついたようでした。
「これも時代かねぇ……」
それから、わずかな間がありましたが、今度は少女の方から、『黒い流れ星』へと話しかけてきました。
「あの、流れ星なら、願い事を……!」
「ん、ああ。わかってるよ。願い事があるのはわかっている。でも俺はまだ、あンたがどんな願い事をしていたかまでは、わからないんだ。ああ、口に出して言わなくてもいい。ちょっとその、頭ン中、のぞかせてもらうよ」
言うが早いか、『黒い流れ星』は少女の前にすっと近づくと、手のような、体の一部のような黒いものを、頭にかぶせていきます。それからしばらくの間、『黒い流れ星』は静かにしていました。少女の方も、ふしぎに心地がよかったので、そのまま静かに待っていました。
やがて、『黒い流れ星』が口を開きました。
「これも時代かねぇ……」
先ほどよりも、だるそうな感じのする声でした。
「あンたの願い事や、その願いを祈るようになったわけは、よーくわかったよ」
「じゃ、じゃあ、わたしの願い、叶えて、くれますよね……?」
『黒い流れ星』は、少し黙っていました。
やがて、最初にこの草原に落ちてきた時のように、恐ろしそうな声で、ゆっくりとしゃべり始めました。
「叶えてくれるかって? フフ、どうやら本当に、何も知らないらしい。これはかえって、つごうがいい」
まるっきりようすが変わった『黒い流れ星』に、少女はぶるっと身もだえしました。
「たしかに俺は流れ星だが、魔女のまじないによって産み出されたものだって、言ってただろ? 俺は願い事を叶えるようなやつじゃない。願い事をうばい、食らいつくしてしまう、恐ろしいバケモノなんだよ」
えっ、と少女は声にならない声をあげましたが、『黒い流れ星』はかまわず続けます。
「そもそも、流れ星も落ちてこないのに、毎晩毎晩、願い事をつづけるような人間は、たいてい、欲が深くて、自分の得しか考えない、くだらないやつばかりさ。俺はそんなやつらの、いじきたない願い事を、うばうために産まれてきた。『流れ星の落ちない夜空で、13日の間、同じ願い事を祈り続ける』、それが俺をよびだす、いわば儀式のようなものだったんだ。あンたはそれを、知らないうちに、やりとげてしまったってことさ」
「そ、そんな……」
少女は後ずさりしますが、『黒い流れ星』は笑うように言いました。
「逃げようったって、だめだ。儀式で呼び出された怪物は、かならずその使命を果たさなくちゃならない。それが決まりなんだよ」
いよいよ目の前にせまってきた『黒い流れ星』に、少女は思わずふり返って逃げようとしましたが、すでに少女の後ろは、『黒い流れ星』のような、真っ黒な壁でおおいつくされていました。これでは、逃げようがありません。
「ついでにひとつ、教えてやろう。俺に願い事を食べられた人間はな、あとで願い事を叶えようとしても、どうしても叶わないように、事が運んでいくらしい。なぜそうなるかは、俺にもわからないけどな。つまりだ、俺に食われた願い事は、もう一生、叶わなくなる、ってこと」
「そんな! そんなの……いや……いや! わたし……もう……たえられない……」
少女はついに、その場で泣き出してしまいました。
少しの間、くらやみの中で泣き声が響いたあと、『黒い流れ星』は、きびしい口ぶりで、少女に言います。
「だめだ。お前の願い事は、どうしても食べなくちゃならない、むしろ、食べるべきなんだ」
少女は、真っ黒な流れ星に、なすすべもなく包まれていくのでした。
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草原の片隅で、1つだけ生えている大きな木、そのかげで、少女は眠っていました。しばらくして、少女は朝焼けの光を浴びて、目を覚まします。
(あれ……。ここは、いつもの草原?なんでわたし、草原で眠っちゃったんだろう?)
少女は昨日の夜に起きたできごとを、すっかり忘れてしまっているのです。
(もう朝になってる……、朝……、そうだ! 朝ごはんのしたくを!)
飛び出すようにして、少女は木陰から町へと向かって、一直線に走り出しました。
(今日は時間通りに作らないと、またおとうさんに叱られる……!)
少女は、昨日の朝、おとうさんにひどく叱られたことを思い出しました。朝ごはんを作るのは、少女の役目でした。おとうさんは、朝のほとんどを眠っているか、お酒を飲んでいるかで過ごしているのですが、それでも、朝ごはんが時間通りにできていないと、ひどく暴れ出すのです。
逃げ出してしまいたいような気持ちを抑えながら、少女は家の前までたどり着きました。
「ふざけるな! 行き先もわからないなんてことがあるか!」
突然家から、どなり声がひびきました。ドアの取っ手をつかもうとした少女の手が、びくっとはね上がります。
「妻と娘をだまして! こんな生活をさせて! しかも、ルーナは昨日の晩からどこへ行ったかわからないだと! 何かあったら、きさまはどう責任を取るつもりだ!」
どなっていたのは、おとうさんの声ではありませんでした。しかしその声は、少女の耳にはなつかしく聞こえるものでした。
(まさか……)
少女はゆっくりと、ドアを開けました。
「パパ……?」
部屋の真ん中でにおう立ちになっていた男が、はっとして少女の方に向き直ります。
「ルーナ! よかった! 無事だったんだな!」
「パパ!」
ルーナと呼ばれる少女と、少女がパパと呼ぶ男は、互いに近づいて、抱き合いました。
「ルーナ、無事でよかった。お前に何かあったら、私はどうしようかと……」
「パパ……」
ルーナは涙でぬれた顔をあげて、たしかめるように、パパにたずねました。
「パパ……、死んじゃったんじゃ、なかったの?」
それを聞いてパパは、よりいっそう、ルーナを強く抱きしめました。そして、わけを話してくれました。
「パパはね、半年ほど前に、お仕事をしていた所で、恐ろしい伝染病にかかってしまったんだ。だから、しばらくの間、ママやルーナのところに帰ることができなかった。もしお前たちに病気をうつしてしまったら、大変だからね。今、ようやく病気が治って、戻ってきたところなんだよ」
パパはそこでため息をつくと、とても申し訳なさそうな声で言いました。
「ところが、この男がママに、パパは仕事中の事故で死んでしまったとウソをついて、強引に自分の家族にしようとしたんだ。 おまけに、パパにたくさんお金を貸したとまで言って、ママやルーナを、いいように働かせていたんだよ」
そこまで言うとパパは、お酒の瓶といっしょに倒れている、一人の男をにらみつけました。その男は、かつてルーナがお義父さんと呼んでいた人でした。お義父さんは、うう、と、いびきか、うなり声なのか、わからないような声をあげて寝そべっているだけで、起き上がろうとはしませんでした。昨日の夜、だいぶお酒を飲んでいたようです。
「ルーナ、とにかく、ここを出よう。この町にはもしかしたら、この男の仲間もいるかもしれない、気づかれないうちに、出て行ってしまった方がいい。近くに馬車も用意してある。ママも連れてきて、一緒にふるさとの町へ戻ろう」
「戻れるの!? わたしたちの町に、3人いっしょで!?」
パパは、にっこりと笑ってうなずきました。ルーナはまた、うれしさのあまり泣いてしまいました。
それからママのベッドがある部屋に行くと、さわぎがあったにも関わらず、ママは眠っていました。
「アリア……なんということだ、こんなに、やせてしまって……」
ママは疲れ果て、ぐったりとした表情で、ベッドに横たわっています。ベッドの脇からこぼれた腕は、まるで枯れ木のように荒れていました。
「ママは、おとうさ……あの人が眠ってしまったあとに、いろいろとお片づけや、小さなお仕事をやっていたの。だから、眠るときはいつも夜おそくて、目がさめるのは、いつもお昼時。それからまた、夜までずっとお仕事よ」
「そう、だったのか……」
パパはまた、あの男への強い怒りがわいてきましたが、娘がとなりにいるので、ぐっと、こらえるのでした。
「ママはそうとう疲れている。パパが背負って、馬車まで運ぼう。ふるさとに戻れば、きっと良くなるはずさ」
パパのひとことに、ルーナもきっとそうだと、笑って答えました。
それから、パパのお手伝いをするように、身の回りのものを持ち出し、馬車につめ込み、重いものをいっしょに馬車まで運んだりして、最後に、眠ったままのママを、馬車の座席にやさしく座らせてあげました。
「よし、これでいいだろう。さあ出発だ!」
パパのかけ声とともに、3人を乗せた馬車が、ゆっくりと動きはじめました。つらい思い出しかなかったあの家が、どんどんと、遠く、離れていきます。
ルーナはまるで、夢を見ているようなきもちで、馬車にゆられていました。これまで、願ってもいなかったことが、現実になったのです。生きてさえいれば、こんな奇跡も起こりうるのだと、気づかされたようでした。
「おや、なんだあれは」
ふとパパが声をあげました。
「パパ、どうしたの?」
「朝の空だっていうのに、流れ星が見える」
パパが指をさす方向を見てみると、朝のうすく青い空のかなたで、黒い色をした何かが、直線を描きながら落ちているようでした。
「朝の流れ星ってだけでも珍しいのに、こんなに黒い色の流れ星は、パパも見たことがないなあ」
パパはおどろくと同時に、すこし気味の悪さも感じていたのですが、ルーナは笑っています。
「パパ、わたしね、黒い流れ星なら、前にも見たことがあるよ」
「えっ、それはいつの時だい?」
「うーん、だめ、忘れちゃった」
パパとルーナは笑い合いました。やがて、黒い流れ星は、青い空の上でちりぢりになっていきます。
「あっ、もう消えちゃうね。バイバイ、黒い流れ星さん」
「バイバイ、黒い流れ星さん……」
パパにつられるように、ルーナも別れを言いました。
黒い流れ星が完全に消えてなくなったとき、ルーナの心には、さみしいような、悲しいような、ふしぎなきもちがわいてくるのでした。
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ああ、ちくしょう、俺としたことが、朝日がのぼる前に、雲に隠れることができなかったとは。やきがまわった、ってことかい、まったく。
熱い。朝日の光で体がくだけていく、いよいよ、俺も終わりなのか。
でも、まあ、いいか。ずいぶん長いこと、この世界にいたからな。あのまま、誰からも忘れ去られるよりは、マシだったんじゃないか。
……ルーナ、とかいったな、あの子は。フフ、あんな少女の願い事が、俺の最後の食事になるとはね。……そうだな、あいつの願い事をうばったんだから、俺がこうなるのも当たり前か。
……どこかで俺の最後を、見てるのかもな。俺のことはもう忘れているだろうが、まちがっても、願い事なんかするんじゃないぞ。
なかなか、うまかったぜ。あンたの、『この世から消えてしまいたい』って願いはな――
-END-
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。