目録2
大和柳生の地は草生えて地は眠るがごとくと言ったのは古の旅人ではあったが、その柳生の庄ではかつて公方に逆らった輩を称える顕彰の碑の存在を知る人は既に無く、この地はただ平安の中の戦乱を享受していたに過ぎなかった。
その悪鬼どもの巣くう柳生の地に剣の道を極めようとする者一人、柳生宗厳その人であった。その宗厳の野原にて、三尺余りの太刀を振り振り風に流れる草いきれの細かに斬る所作の研鑽をしていたとき、山の奥より降りてきたか、腰に野太刀を従えて左手に仕留めた雉の首を持ち歩いてくる者一人。この人は相模の人にて、名を菅山五兵衞と言った。彼の菅山、宗厳を見つけ、草葺きの庵にて仕留めた雉の料理するを諾するに至った。宗厳、この野人をもてなさんとして、てづから菅山の雉の料理していた。そのとき、屋外より叫び声して、見ると彼の菅山の胴を右袈裟に両断された肢体を目にした。宗厳、とっさに引っ返して家人を呼び周囲を探させたところ、山城へ向かう山道の途中で、怪しげなる者一人捕縛するに至った。
宗厳の家の者数人、その人を連れてきて、庭に突き出し宗厳の眼前に晒した。その人の名を本田和永年という旅の者にて生まれを武蔵の国と言った。何故に、この本田和が怪しげなるに至ったかというと、山道にて宗厳の家の者、この本田和を追い越さんとするに、すれ違いざまに、彼の者の袖口に血のべっしゃりとついていて、彼の者の手には菅山の物と思われる野太刀が握られていたのを見とがめたのである。宗厳の家の者、本田和に事情を説明し同道願ったところ本田和、腰の差し料を抜き、斬りかからんとした。が、宗厳の家の者もかねてより剣の研鑽積むべき人によりて、二三人にて囲み捕縛するに至る。
宗厳の目の前に出されたその本田和の差し料は菅山のものと思わしき血のつき流れるごとくであった。何故に菅山きり申したか、さては菅山の知人であるや否や、子細あれば、家の者に狼藉したことは不問に付す旨を尋ねるも、本田和は生国と名のみ言うに止めて以外話さず。話さずはその方の不利なること言うも構わず。宗厳、本田和を納戸に閉じ込め、見張り役をつけた。
宗厳本田和の差し料その他を改めると、彼の差し料は無銘の打ち刀にして手がかりなく。また、菅山の持ち物を調べると羽織に縫いつけられた手紙の一通見つけた。その手紙には、「米弐升、大豆壱石、野太刀参振り等々、本田和永年より借り受け候」旨が書かれていた。その手紙を本田和の目前に突きつけると、本田和委細話し、菅山、本田和より盗賊のごとく彼の品物ら借り受け候由にて、本田和、生計成り立たず、菅山に恨み持ち追いかけ殺さんとしていたという。次の日、宗厳、柳生の領主として、本田和永年を成敗する。とともに、その身柄を菅山五兵衞とともに菩提寺に葬った。
柳生に地は悪鬼の住まうがごとく、その剣に惹かれてまた、一人山道を柳生庄へ向けて歩いてくるのが見えた。宗厳は相変わらず、野原にて、草いきれを切っていた。その手には三尺余りの太刀ではなく、旅の者の野太刀が握られていた。本田和の言うに、彼の野太刀は家の宝にして源氏武者よりの賜り物だということであった。