ACT.8 望まぬ才能(Ⅲ)
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がたり。
「――ん、今なんか変な音がしなかったか?」
勉強会も終盤に差し掛かった時、俺の耳は不審な物音を捉えた。
しかしそれは俺以外には聞こえなかったようで、今回の内容を律義にノートに纏めているシャルルととっくに勉強に飽きて落書に精を出していたエヴァは、不思議そうに顔を上げる。
「なんか音って言ったって、今この屋敷には僕たちしか居ないんじゃないかな」
ルテル家には、使用人がいない。
週二回くらいで日雇いのハウスキーパーが来るくらいで、今日はその日でもなかったはずだ。
シャルルの父であるルテル氏は、いつもならいるのだが俺が来る前に急患で出て行ったらしい。
「もしかしてシャルパパ帰ってきたのかな?」
エヴァが小首を傾げてそんなことをつぶやく。
成程、確かに。
その可能性が一番高かった。
それならば、いない間にお邪魔している関係上、一言挨拶をしておくべきだろう。
「なら、俺は挨拶してくるよ」
「わかった、僕も一応一緒にいくよ」
そう言って俺たちが立ち上がったのを見て、エヴァがちょっと慌ててる。
「ま、待ってエヴァもいく!」
さみしがり屋なエヴァのことだ、何んとなく一人で待つことが嫌なのだろう。
なんとなくそんなことがわかってしまったが故に、俺とシャルルは顔を見合わせて小さく笑う。
「じゃあ、皆で行こうか」
シャルルがエヴァの手を取って立ち上がらせ、俺たちは部屋を出る。
廊下を歩きながら、俺は音がした方へ向かう。
その音がしたのは、ルテル氏の診療室の方からだった。
「エドワード、こっちから音がしたのかい?」
「あぁ、多分」
ごとん。
その時また、大きな物音が廊下に響いた。
今度は二人にも聞こえたらしく、二人とも顔を見合わせる。
「確かに、診療室のある方から聞こえたわね」
「うん、でもおかしいな」
確かに音を聞いたのに、シャルルは眉間に皺をよせ首を傾ける。
その姿に、俺もエヴァも首をかしげる。
「いつも帰ってきてすぐには診療室にはいかないはずなのに」
シャルルは何か引っかかったように、釈然としない表情をしながらも俺たちと共に廊下を進む。
そして階段を下り、診療室の前まで俺たちはついた。
俺たちを代表してシャルルが診療室のドアをノックしようとしたところで――。
――がたん。
「――ん?」
また謎の物音がして、俺たちは一斉にその音がした方を向く。
音がしたのは、目の前にある診療室の中ではなかった。
診療室より更に廊下の奥。
それを聞いて、エヴァはその方へトテトテと駆けていく。
その後ろ姿を眺めて俺はシャルルにこう聞いた。
「シャルル、この先って何があるの?」
「この先には確か薬品庫が――」
「エドー、シャルー!」
シャルルの言葉を遮って、突き当りにある大きな扉の前についたエヴァはぴょんぴょんと跳ねながら大きくこちらに向かって手を振って叫ぶ。
「ここ、鍵が空いてるよー!」
それを聞いたシャルルが目を剥いてエヴァの方へ走り出す。
突然走り出したシャルルに俺は驚いて、急いで後を追う。
「どうした!?」
「そんなはずは無いよ。だって薬品庫は危ないのもあるからって――」
そこまでシャルルが言ったその時だった。
何か小さな影が――俺たちと同じくらいの背丈の影が、薬品庫から勢いよく飛び出してきた。
「きゃっ!」
その影はエヴァを突き飛ばし、俺とシャルルの間を抜けて一目散に外へ向かう。
突然のことで呆然と立ち尽くし、小さな影を見送る俺たちだったが、ふと足元に小瓶が転がっていることに俺が気が付いた。
「これは――」
手に取ってみると、その瓶のラベルには「アセチルサリチル酸」という文字が書いてあった。
その名称には心当たりが無いが、これが何なのか、何が起こったのかはすぐに理解できた。
「――泥棒!?」