ACT.55 ”一歩目”
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涼やかで静かな朝。
生まれて初めて喪服に袖を通した時、奇妙な感傷が胸の内に沸いた。
大切な人を始めて失ったという事実を突きつけられたあの日。
そこから続いた悲しみに区切りをつけなければならないという、決意に似た感情と、そんな決意なんて崩してしまいそうな大きな喪失感。
今まで多くの人を送ってきておきながら、俺は初めてこの日に知ったのだ。
「あぁ、誰かを亡くすっていうのはこんな気持ちなのか」
人が死ぬことは悲しいこと。
道徳として――いや、あくまで知識としてしか知らなかった悲しみを祖父は最期に教えてくれたのだ。
――今日、ヴィクトー・ジュワユーズの葬儀が行われる。
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言葉を交わしあったあの夜。
その日から、祖父は目覚めなくなり、丸一日後に文字通り眠るように息を引き取った。
冷たくなった祖父の傍らで、ソフィだけはずっと泣いてくれていた。
ソフィは、祖父のことをかなり慕ってくれていて、晩年も付きっ切りで支えてくれていた為、悲しみも大きかったのだろう。
だから、俺は嬉しかった。
逆に、俺やメアリを含めた他の使用人たちは涙を流さなかった。
それはもう既に覚悟を決めていたから。
葬儀や当主の引継ぎなどを迅速に進めなければならなかったからだ。
ただ悲しんでいられる立場じゃ、なかったんだ。
――だからこそ、俺やメアリは涙するだけのソフィを責めなかった。
自分たちが流す暇のないソレを、代わりに流してくれているのだから。
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――神父様が、祈りの言葉を終える。
そして流れる沈黙が、ここ数日を思い返していた俺の思考を現実に引き戻す。
ここは、首都郊外の霊園。
歴代のジュワユーズ家処刑人が眠っている区画だ。
「それでは、参列者の皆さま。故人との最期の別れを」
神父様の言葉を聞いて、次々に少ない参列者たちが――顔も知らなかった親戚や生前の祖父と親交のあった人たちが地面に埋まった祖父の棺に花を添える。
その中には無論、ルテル家もナミュール家もいた。
「――え、エド」
突然かけられたその声に、はっとする。
それは、数年ぶりに聞くエヴァの声だった。
咄嗟に顔をあげようとして、声を出そうとして――それが出来なかった。
歯を食いしばっていたから、声が出なかった。
視界がぼやけていて、顔を上げたら零れてしまいそうでできなかった。
「ごめん」
「うん」
俺は、これからジュワユーズ家当主となる。
これからは、以前の様に護ってくれる人はいない。
むしろ、これからは護る立場に立たなければならない。
だけど――。
この時の俺は、まだ悲しみを呑み干せるほどの度量をもっていなかった。
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葬儀が終わり、参列者がいなくなった後も、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
――視線の先には、一本の剣。
ジュワユーズ家の区画の景色は、ある種異様と言っていい。
この区画には、墓標は無く。
ただ無数の朽ちた剣が突き立っているのだから。
――代々ジュワユーズ家の処刑人は、墓標を持たない。
その代わりに、生前の自身が使っていた剣を自身の眠っているうえに突き立てる。
剣には、処刑人の名前が刻まれている訳ではない。
「処刑人は、歴史に名前を刻まない。そこに秩序があることが、生きた証明なのだから」
昔、祖父が教えてくれた言葉を呟く。
秩序に殉ずることが、処刑人の誉れ。
秩序が続いている今が、彼らの生きた証。
だから名前は、必要ない。
――生きた証明は、後ろの者が示すから。
そう思って祖父の剣――そこに刻まれた言葉を指でなぞる。
”正義の剣”
シンプルな言葉は確かに祖父らしくあり、だがきっとこの言葉を見ても多くの人は祖父のことを思い出しはしないのだろうと思った。
周りを見渡すと、もう原型をとどめない程朽ちた剣もあった。
もうそこに眠っているのが誰なのかすら、きっとわからない。
――だけれども、そこに眠っている誰かの思いは、きっと祖父を通じて、俺にも伝わっているんだろう。
正しき者が、安心して生きられる秩序ある世界。
今があること自体が、彼らと祖父が生きた証なんだ。
「なら、俺も紡いで――いや更により良く変えていかなきゃな」
そう呟いて、俺は顔を上げる。
雲の切れ間から差し込む日差しが、瞳に溜まった涙に乱反射して、薄っすらとした虹色を見せる。
――俺にだけ見える、小さな虹が。




