ACT.37 ”我は科人の永久の安寧を祈らん”(Ⅴ)
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――そしてとうとう、この日がやってくる。
「よし、大丈夫だ。俺は、大丈夫」
俺は言い聞かせるように、何度も繰り返し「大丈夫」を唱える。
襟を直し、タイを何度も触って、自分の恰好がおかしくないことを確認する。
初めて着る正装というモノが、ひどく落ち着かない気分にさせる。
「え、エドワード様、大丈夫ですか?」
「いや、いやいや、ソフィ。俺は全然大丈夫!」
出立を前にしてエントランスに立つ俺に対し、見送りに来たソフィが不安そうにそう言う。
それに少し上ずった声で返事を返す俺。
「――はぁ、二人とももう少し落ち着きなさい。ソフィも、当時者でもない貴方がそんなに狼狽えていたら、坊ちゃまにも伝播してしまうわ」
目の前で繰り広げられるやり取りに痺れを切らしたメアリが、ため息と共に注意をする。
注意を受けてビクッとソフィは肩を震わせる。
「で、でもですよメアリさん!」
「仮にもジュワユーズ家の使用人であるなら、毅然とした態度で見送って差し上げなさい」
そう言ってメアリは、俺の方に向き直る。
メアリの表情は、いつもの様な気さくで自然体なモノでなく、毅然とした名家の使用人としての品格を携えた立ち姿をしていた。
その姿に、自然と俺も背筋が伸びる。
「坊ちゃま――いえ、エドワード様。初めての御勤めに緊張があるとは思いますが、我々使用人一同は貴方様が無事に立派に勤めを果たすことを信じております。――それでは、どうか」
「「――いってらっしゃいませ」」
メアリとソフィが声をそろえて俺を送り出す。
階段の踊り場からは、祖父が声をかけずに視線を送る。
俺は、いつもよりことさら大きな声をあげて、玄関をくぐる。
「――行ってきます」
今日、これからアクセル・マフタン死刑囚の斬首刑が執行される。
――俺は、今日初めて人を殺すのだ。
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首都リゲルの大広場には、あの日と同じ様な舞台が設置され司法省の職員たちが最後の調整の為に動き回っていた。
広場には、見物人の姿がちらほらと疎らに点在する。
その数は、あの日と同じ大勢とはとても言えない。
――さもありなん。
その理由は、今日の斬首刑を担当するのが新人であるからだ。
斬首刑というのは、実はかなり難しい技術が要求される。
一息に一刀両断するには、人の首というのは硬すぎるのだ。
そして、一瞬でその首を落としきれなかった場合、刑に係る者が受ける苦痛というのは想像を絶する。
大量の血液をまき散らしながら泣き叫ぶ罪人というのは、見物人からすると見苦しいことこの上ない。
だからこそ、今日の様な新人の斬首刑とは不人気なのだ。
「――それでも、これだけ人がいるというのは、ちょっとは期待されているということなのか」
最も歴史ある処刑人の名家・ジュワユーズ家というネームバリュは、俺が思っていたよりも影響力が強いらしい。
新人のデビュー戦にしては、意外と人が多いように感じた。
広場を舞台の裏手からそう眺めていると、俺の方に一人の職員がやってきた。
「ジュワユーズさん、準備が整いましたので、予定通りに刑を始めますがよろしいですか?」
気が付くと、先ほどまでパタパタと動いていた職員たちはいなくなっており、舞台の前には御言葉を述べる神父様がこちらの様子を伺うように佇んでいた。
「はい、お願いします」
俺がそう答えると職員は軽く礼をして、舞台裏に停めた見慣れない姿をした馬車へ小走りで向かう。
その罪人用の馬車の中から、そして彼が現れる。
枷で後手で高速され、専用の白装束に身を包んだ――マフタン氏。
マフタン氏は口を塞がれている為、一切の声を発しない――いや、恐らく塞がれていなくとも彼は言葉を話さないだろうが。
彼は、職員に連れられて壇上に歩を進める。
その途中で、舞台の裏に佇む俺に気が付いて、一瞥を送った。
そして、静かに刑が執り行われ始める。
職員が、マフタン氏を壇上に固定する。
彼らが舞台から降り――そして、俺の出番が来る。
早鐘の様な心臓の音を無視して、俺は剣を持って階段を昇る。
俺が壇上に立ち、マフタン氏の傍らに控える。
祖父の時とは違い、歓声は無い。
目配せして、舞台の前に控えた神父様が御言葉を唱え始める。
「――っ」
その言葉の意味は、俺の頭の中には一切入ってこない。
俺は、これからこの人を殺す。
その事実に、足元から這うような恐怖がせりあがってくる。
足は震えていないか、顔は強張っていないか。
――俺はちゃんと、らしく見えているか。
そんな渦巻く感情の最中、とうとう御言葉が終わる。
それと同時に、弾かれるように前を見る。
集まった人たちは、黙って俺たちを見つめている。
その圧力に、自然と膝が嗤いそうになる――だが、その中に。
人々の中に、アイツが――シャルルがいた。
シャルルは、黙って俺を見つめている。
――俺の決意を、覚悟を見ている。
そのシャルルの存在が、思い出したあの日誓った光景が、恐怖を超える。
震えは止まった、俺は――やれる。
「行きます」
そう呟いて、俺は剣を鞘から抜きはなつ。
夏の強い日差しが、切っ先の無いその刃に反射して煌く。
そして、俺は跪き首を差し出した姿で拘束されているマフタン氏の、その首筋に刃を当てる。
「――”この剣を振り上げし時、我は科人の永久の安寧を祈らん”」
俺は静まり返ったその広間で、その言葉を発する。
「これは、私の処刑人の剣に刻まれている言葉です。今から振るわれる一刀にはそんな意味が込められています」
突如語り始めた俺に、周りの見物人たちは驚いたように目を見開く。
それを無視して、俺は言葉を紡ぐ。
「貴方が犯した罪は、今ここで貴方の魂を離れます。今ここで罪を洗い流した貴方を向こうで責める人はいません。――だから、だからどうか」
「――だからどうか、貴方の魂に永久の安息と救いがあることを祈っています」
マフタン氏が、小さく肩を震わせた気がした。
その瞬間、俺は大きく剣を振り上げ――。




