ACT.30 風鈴草の記憶(Ⅱ)
それから数年後、お嬢様はジュワユーズの名を捨てました。
お嬢様には、思い人ができたのです。
彼の名前は、オスカー。
リゲルに暮らし、レストランを経営するごく普通の男性でした。
――突然ですが、ジュワユーズ家の様な処刑人の家系での婚姻は、どのような形になると思いますか。
それはですね、同じ処刑人の家系同士でのお見合い結婚なんです。
処刑人の家系は、普通に生活をしている市民の方々からは忌避されるので、消去法でそのような慣習になったのですね。
当時のお嬢様には、無論旦那様がお決めになった許嫁がいました。
しかし、お嬢様はその時、生まれて初めて旦那様に反抗いたしました。
旦那様も大変お怒りになりました。
ですがそれは、「面子をつぶされる」からではなく、真にお嬢様の幸せを願っての行動でした。
旦那様は、お互い差別意識のない同じような家系同士で婚姻を結ぶのが、最も幸福であると考えていたからです。
結果、その交渉は平行線を辿り、結局はお嬢様が破門されるという形に収まりました。
しかし、それは逆にお嬢様にとっては良い意味でもありました。
ジュワユーズ家の人間でなくなれば、結婚へのハードルは限りなく低くなります。
そして、お嬢様はジュワユーズ家を出て、オスカー青年と暮らすようになります。
私も当初はとても心配して、隠れて何度か様子を見に行ったりもしました。
ですが、心配は杞憂でした。
お嬢様も彼と一緒に働き、その店に通う常連たちからも愛され、祝福されて幸せそうにしておりました。
それを確認して、私もとても安心しました。
その年、私は高齢になったことで屋敷の使用人を引退することとなりました。
私はその際に、旦那様に頼んで旧ジュワユーズ邸の管理人になりました。
八年も暮らして、あの屋敷にもジュワユーズ領にも愛着があった為です。
ですが、それ以上に。
いつかお嬢様が、旦那様と和解することがあったら、再びここを訪れてくれたらいいと。
その時の為に、あの時のままの屋敷を残しておきたいと思ったのです。
――そして、私がジュワユーズ領に移って五年後の冬。
それは、凍り付くような冷たい雨の降る日でした。
夕方に、屋敷の中で暖炉を焚いていると、玄関のドアをノックする音が聞こえたのです。
来客の予定なんてなかったので、少し不審に思ったのですが、私は玄関を開けました。
そこには、小さな男の子を連れた、ずぶ濡れの女性が立っていました。
私は一瞬、その方が誰かわかりませんでした。
しかし、次の瞬間はっとしたのです。
目の前に立っている女性は、マルグリットお嬢様でした。
最後に見たあの日よりも痩せて窶れて、すっかり印象が変わっていました。
私は急いでマルグリット様を屋敷に入れ、暖炉の前で毛布を被せました。
彼女の身に尋常ではないことが起きたのは、明白でした。
彼女に温めた牛乳を飲んでもらい、少し落ち着くのを待ちました。
そして、しばらくのちにマルグリット様は訥々と何があったのかを話始めました。
「最初は全てうまくいっていた、幸せだった」
「しかし、ある時を境に、急にお店に誰も来なくなった。周りの人たちは、私たち夫婦から距離を置くようになった」
「――私が、ジュワユーズの娘であることが知れ渡っていました」
「どこで誰が知ったのか、どうしてそれが広まったのかは、わかりません」
「しかし、それでお店は経営が立ち行かなくなり、それでも頑張っていましたが、一年ほどで店を閉めることになりました」
「オスカーはそれでも私や生まれた息子――エドワードの為に、働かねばと再就職を目指して頑張ってくれました」
「しかし、全て上手くいきませんでした――私のせいです。それでも、彼が私を責めることはありませんでした」
「そして、段々と貯蓄を切り崩して生活を続けてましたが、それも尽きた先日、オスカーが帰ってこなくなりました」
「心配して探しに行くと、近くの川で人だかりができていました。嫌な予感を感じて行ってみると入水自殺があったとわかりました。――死んでいたのは、オスカーでした」
マルグリット様はそこまで話をすると、黙り込んでしまいました。
私は、酷くショックを受けて何も言葉を返すことが出来ませんでした。
――今にして思うのです、マルグリット様はもう限界だったのだと。
ジュワユーズ家のせいでこうなったという思いから、旦那様に助けは求められなかった。
しかし、息子だけは助けたかった。
そんな中、楽しかったあの頃を辿って、ここまで来たのだと。
最後の力を、希望にすがってここまで来たのだと。
私は、とにかく身体を休めてくださいと、マルグリット様を当時の彼女の部屋に泊めました。
――翌朝、マルグリット様はいなくなっていました。
ここの知り合いに頼んで、懸命に捜索をしましたが彼女の行方はわかりませんでした。
残されたのは、幼い男の子だけ。
――そうです、それがエドワード様です。
エドワード様が、この屋敷を見て懐かしさを感じたのなら、薄っすらとその時のことを覚えていたのでしょう。
――これが、私の知ることの顛末です。
私が、今もまだここに住んでいるのは、いつかまたマルグリット様が訪れてくれるかもしれないと思っているからでしょう。
もしまた、ここに帰ってきてくれたのなら、また綺麗な風鈴草を見せてあげたいと――。




