ACT.20 運命の蹄音(Ⅱ)
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ジュワユーズ家の屋敷地下にある専用の部屋から出た俺たちは、一階の部屋で少し休憩をしていた。
そこにそばかすが特徴的な当家の使用人であるメアリが冷たい水をグラスに入れて運んできてくれたので、それを受け取ったシャルルは一息に飲み干す。
「っはぁ、ありがとうございます」
そう言ってメアリにグラスを返すシャルルの顔色は、先ほどまでと比べても幾分かマシになっていた。
ふぅと小さく息を吐いた彼は、そのまま椅子に座ってこめかみを手で押さえる。
「僕も医師を目指しているって言うのに、情けないね」
「いえ、シャルル様は全然立派ですよ――うちの坊ちゃまと比べれば、全然」
メアリが含みのある言い方で、揶揄うような視線を俺に向ける。
それを受けて、俺も居心地悪く身を捩る。
「ご、ごめん」
そうやって謝るが、シャルルは仕方ないよと苦笑する。
昨年から、シャルルは本格的に医師になる勉強をルテル氏の元で本格的に始めた。
その過程で、外せないことが人体の解剖を経験することだ。
遺体を解剖し、調べることで科学的に人体への理解を深める為の行為だ。
避けては通れない道であるが、シャルルはその行為に慣れることができないでいた。
――最も、一番情けないのは、同席したのに30分も持たなかった俺なのだが。
「処刑人の仕事は、斬首刑を担当するだけでなく、罪人への鞭打ちなどの刑罰も含まれる。ルテル家が解剖してその結果をジュワユーズ家にフィードバックすることで、罪人たちに対して後遺症が残らないような罰を与えられる」
「その通りです、だから坊ちゃまにもちゃんとルテル先生の授業を受けて欲しかったんですけどねぇ」
悪戯っぽくそう言うメアリに対して、俺は申し訳なさを感じて少し俯く。
情けないにも程があるのは、わかっているのだけれど。
死んだモノに対してこれ程嫌悪感を覚えてしまう俺に、生きている人の首を落とすことなんて、できるのだろうか。
その時までは、あと僅かしかないのに。
――俺の覚悟は、間に合うのだろうか。
「あ、それと坊ちゃま。旦那様が、後で来るようにと」
「メアリ、それを早くいってくれ」
できるならば、俺を面白がって責めるより早く。
メアリのその態度に、ちょっと眉間に皺を寄せる。
「ごめんな、シャルル。ちょっと行ってくる」
「あ、こっちは気にしないでくれ」
そう言って軽く手をひらひらと振って、シャルルは部屋を出る俺を見送った。
廊下に出て、階段を上がろうとしたその時。
「――っ!」
声にならない悲鳴のようなモノが聞こえた気がして、ふっと上を見上げる。
そこには一人、足を踏み外して階段から滑り落ちようとしている使用人の姿があった。
危ないと叫ぶより先に身体を走らせて、彼女を抱きとめる様に受け止める。
「あ、ありがとうございます」
そうして俺の腕の中でお礼を言うのは、華奢な身体つきをした俺より少し年下の少女。
長い黒髪を丸く纏めた、異国風の健康的な褐色の肌をした使用人の少女。
「――気を付けてくれよ、ソフィ」
彼女こそ、数年前にジュワユーズ家の使用人になった少女・ソフィだ。
どこかそそっかしい彼女がこの様に階段を踏み外したりするのは日常茶飯事であり、その点に関しては俺やメアリを含めた使用人たちの心配の種であった。
だが、幼い頃からひたむきに頑張る彼女を邪険にする様な人物はこの屋敷にはおらず。
なんだかんだで、メアリからも妹のようにかわいがられているのは、本人の性格が良いからだろう。
「エドワード様は、怪我とかありませんか?」
おろおろとして慌てて俺を気遣う彼女に、俺は笑いながら手を振って無事を示す。
そもそも、ジュワユーズ一族は頑丈なのだ。
「ソフィも、気を付けて仕事頑張ってね」
「はい!」
そう言ってトテトテと駆けていく彼女の後ろ姿を見送ってから、俺も階段を上る。
すぐに祖父の執務室にやってくると、その扉をノックする。
「おじい様、エドワードです。よろしいですか」
俺がそう言うと、すぐに祖父の厳めしい声で返事が返ってくる。
執務室に入室すると、いつもの机にいつもの様に座っている祖父の姿があった。
心なしか、顔色が優れないような気がするが、気のせいだろうか。
「メアリから話を聞いてきました」
「うむ」
そう言うと祖父は、視線を手元の書類に向けたまま、なんでもなさそうにこんな事を言った。
「突然だが、お前に暇をやる」
予想外な祖父のその言葉の真意がわからず、俺は一時的に思考停止した。




