ACT.19 運命の蹄音(Ⅰ)
気が付くと、俺は白く寒い場所に一人立ってた。
渦巻く風音と共に、遠くから蹄鉄の音が響く。
――忘れるな、忘れるな。
冷たい雪を孕んだ突風が、頬を切り裂く様に吹きすさぶ。
周囲は荒れ狂い舞う白い吹雪のせいで、何も見えない。
否、それは違う。
俺の目の前には、それが一つだけあった。
――忘れるな、忘れるな。
俺の前に黒い影を落とすのは、一つの舞台。
何かに誘われるように、俺は舞台に向かう階段を上り始める。
登りきると、そこには平地に立っていた時とは違う景色が広がっていた。
――忘れるな、忘れるな。
黒々とした、人影の群れ。
彼らはじっと壇上の俺を見つめていた。
影たちは俺を、そして、俺の目の前に突き立つ剣を見つめていた。
――忘れるな、忘れるな。
何かに突き動かされるように、その剣を握り締め壇上から抜き取る。
その剣は、突き立っていたのにも関わらず、切っ先というモノが存在しなかった。
幅広く、分厚く、切っ先がない四角の刃、その側面には文字が刻まれている。
その文字を読もうと俺は目を凝らす。
――忘れるな、運命を告げる黒馬はすぐそこに。
――命断つ剣は、汝の手に。
次の瞬間、俺の首は勢いよく断たれ壇上を転がる。
転がってしまった俺の首は、段々と近づく蹄音を黙って聞いていた。
▽▲▽
「――エド、エドワード?」
麻酔を受けたように混濁した意識に、優しい声が響く。
同時に優しく肩を揺すられ、その衝撃で俺は微睡の中から意識を浮上させる。
「ん、シャルルか」
目をこすりながら開けると、目の前に一人の青年がいた。
廊下の窓から差し込む光を反射して輝く柔らかな金色の髪、整った端正な顔立ちと黒い縁の眼鏡。
白衣を着た俺の親友、シャルル・ルテルがそこにいた。
「ごめん、ちょっと寝てた」
せりあがってくる欠伸を噛み殺して、壁際の椅子から立ち上がり小さく伸びをすると背中がぽきぽきと子気味のいい音を立てる。
視線を戻すと、シャルルの後ろにある階段から彼の父であるルテル氏が地下室から戻ってきたところだった。
「お疲れ様、エドワード君。縫合は済んだから、後はジュワユーズ家でお願いできるかい?」
初めて会った頃よりも幾分か老けたルテル氏の言葉に、俺は頷く。
「はい、あとはこちらで埋葬させていただきます」
「よろしく頼むよ」
そう言って去っていく白衣姿のルテル氏を見送ると、シャルルは続けて俺に話しかける。
「あとで今回の解剖結果を纏めておくから、持ち帰ってね」
「あぁ、おじい様に報告しておく」
地下室から出たばかりのシャルルは、廊下の窓から差し込む日差しに眩しそうに眼を細める。
その顔は、心なしか少し蒼白だ。
「シャルルこそ、大丈夫か?」
「――あ、うん。やっぱりまだ慣れなくてね」
そう言って彼は少し俯き、俺はその肩を励ますように叩く。
――今、俺たちが地下室で行ったのは、遺体の解剖。
先日祖父が処刑した罪人の遺体を使って、医学知識を得るという我々の家で交わされた契約の履行だ。
自分と同じ人間の身体を捌き暴く行為は、まだ16歳のシャルルには精神的な負担が大きかった。
――そう、16歳。
あの日俺たちが出会ってから、9年がたった。
エドワード・ジュワユーズは、もうじき16歳になる。




