ACT.16 覚悟の対価(Ⅳ)
「彼を助けてくれるのなら、俺は十六歳になったらジュワユーズ家の処刑人になります」
その言葉を紡いだ瞬間、ぴたりと祖父の書類をめくる手が止まった。
ゆっくりと顔を上げて、祖父の猛禽の様な鋭い視線が俺に刺さる。
祖父の瞳に宿る、尋常ならざる光に、俺は身震いした。
「――それは、どういう意味で言っている。儂にもわかるように説明をしてくれ」
「お、俺は正直、処刑人になりたくはないです」
少し怯えながらも、俺はそう本心を口にする。
今の今まで、きちんと口にしなかった本心を。
「その未来が避けられないのなら、いっそこの家から逃げ出すことすら考えていました」
俺がそう言うと、祖父がすっと目を細める。
無言のまま、俺を値踏みするかのように視線を向ける。
正直、逃げ出そうだなんてことは一度も考えていない。
両親のいない俺をここまで育ててくれたのは、祖父だ。
恩のある、尊敬する祖父を裏切ろうだなんて、俺は考えていなかった。
けれども、そういう道もあることだけは、知っていた。
だからこそ、それを言い訳に――俺自身を交渉材料にできる。
「だからこそ、彼を助けておじい様の目が届く場所に置いてください。あの子がここにいる限り、俺がおじい様の期待に背くことはないでしょう」
息を付かせず、まくしたてる様に持論を展開する。
つまり俺は、彼を体のいい人質に使えといったのだ。
俺自身を使わせる代わりの、人質として。
「無論、あの子の意思を尊重して、嫌だと言われれば強制しません。その場合でも、俺がジュワユーズ家の処刑人になるという未来は確約します」
これでどうだと、条件を付けたす。
この条件なら、祖父の側にリスクはほとんどない。
きっと、乗らざる得ない。
そう確信して、祖父の反応をうかがう。
祖父は、息もつかず鋼の様な射抜く視線を変えず、俺の話を笑うことなく聞いていた。
そして、重い口を開く。
「どうして、お前がそんなリスクを背負う」
祖父の発した言葉は、否定でも肯定でもなく、疑問だった。
条件に対する疑問でなく、理由に対する疑問。
その祖父の言葉に、一瞬答えに詰まる。
「そ、それは」
――理由。
俺はただ、あの子を見捨てたくないだけ。
俺の自分勝手なエゴで、満足感で助けたいだけ。
けれど、その答えでは祖父を説き伏せることなんてできないだろう。
ごちゃごちゃとした考えが頭の中いっぱいに広がって、頭痛がしてくる。
緊張で口内がカラカラに乾く。
どうしよう、どうすれば納得してもらえる?
どうする、どうする、どうする、どうする、どうする、どうする、どうするどうするどうするどうしようどうしよう――
「エドワード」
不安が蝗害のように頭を埋め尽くした時、その不快な嵐を晴らすうような祖父の声が響いた。
決して大きな声ではない。
だが、その芯の通った声は、すっと心の中に入ってきた。
「エドワード、正直に話しなさい」
責めるでもなく、諭すような声色に俺は何故か安心感を持った。
そして感情と共に溢れる涙をそのままに、感じたこと、思ったことを飾らすに話始めた。
「――お、俺は沢山の人を殺すんでしょう? 悪い、悪い人たちだから、殺さなきゃいけないんでしょう?」
涙で言葉が詰まり、しっかりと話せない。
けど、この涙の止め方なんてわからないし、一度堰を切ってあふれ出した心は止められない。
「俺がやらなきゃ、みんなが怖い思いをするんでしょう? だったら、俺が、俺がやらないと!」
そう、俺は薄々わかっていたんだ。
この世の中には、あの男のような悪い人がいる。
悪い人を裁き、みんなから離さなきゃならない、そんな役割を持つ人が必要なのだと。
「しょ、正直! おじい様のいう”みんな”なんて俺にはわからない! 俺やおじい様に向かって石を投げてくるような奴なんてだいっきらいだ!」
俺は今まで感じていた不満をぶちまける。
祖父は”みんな”の為に、処刑人だなんて汚れ仕事をやっているのに!
その”みんな”は、祖父を嫌って石を投げる!
俺の、俺の大好きなおじいちゃんを!!
「けど、けど!!」
涙はまだ枯れない。
いつしか俺は叫びだして、泣きじゃくって。
ぐちゃぐちゃになった顔で、それでも心を叫び続ける。
「――けど、”みんな”の中には、シャルルもエヴァも入ってる。俺の嫌いな人たちも、大好きな人たちも、全部まとめて”みんな”だから!!」
そうなんだ。
シャルルと遊んだ、エヴァと笑った。
大切な二人、大切な親友。
二人のいる場所を、守りたい。
だったら、それが、俺にしかできないことがあったとしたら。
「――だったら! だったら俺はやるよ! 処刑人になって、みんなの居場所を守るよ!!」
俺は叫ぶ。
魂を絞り出すように、心の底から思っていたことを暴露する。
「だけどさ、だけど。命を奪うのは怖いよ、怖くて怖くて考えると夜も眠れなくなる! だから――」
「――だから、殺すだけじゃなくて、誰かを助けたい。たった一回だけだっていい、確かに誰かの命を救い上げたって誇りが欲しい! 確信が! 証明が欲しい! それさえあれば、俺は! 俺はきっと――頑張れるから」
俺は、力の限り叫んだ。
体力の限界を超えて、飾らない全部を吐き出した。
その途端目が回って、床に崩れそうになる。
俺がよろめき、倒れる瞬間、誰かが俺を力強く抱きとめる。
抱きとめたのは、執務机から飛び出してきた祖父だ。
「――わかった、わかった。エドワード、お前の覚悟はわかった」
「お願いします、おじい様。あの子を、あの、子を――」
そう言って、俺の意識は泥の様に無意識の闇に溶けていった。




