ACT.15 覚悟の対価(Ⅲ)
「帰る場所が――?」
俺の言葉に、ルテル氏が静かに首肯する。
斜め後ろから覗くその横顔は、夕闇がもたらす影がかかっている為か、どこか物憂げな印象を持った。
その表情に、俺は不安を覚える。
「あの子は、罪には問われない。罪に問われるのは父親だけなんだけれど、その父親以外に親族はいない」
そう言うルテル氏の言葉に、俺ははっとする。
あの子は、俺たちとそうそう変わらないくらいの年齢の子供だ。
誰かの庇護の元に居なければ生きていけない子供なんだ。
「このまま、子供一人で放り出すようなことは避けたいんだけれど」
「どうにかできないんですか」
ルテル氏は酷く悩むように眉間に皺を寄せる。
「心当たりのある孤児院に連絡を取ってみているけど、未だにいい返事がもらえていないんだ。このご時世に経営も厳しいみたいで」
「そ、それじゃあエヴァの家に頼んでみるのは」
「それはできない」
シャルルのその問いは、ルテル氏によって強く否定される。
「もう打診したんだけれど、回答は否だった。『一人孤児を助けたからと言って、この時代同じ境遇の子供たちがまだまだ大勢いる。たった一人を救い上げることに意味はない』ってさ」
確かに、そのナミュール伯の理屈は正しいのかもしれない。
別に、この時代この国では彼だけが特別不幸なわけではないのだ。
視線を窓の外に向ける。
窓の外遠くに見える市街地には、活気があふれ人々が行きかう大通りや整備された街があった。
その市街地の更に遠くには、選ばれた貴族王族が暮らす区画があって、夜でさえ星空の様に煌びやかな輝きを見せる世界がある。
しかし、その裏側には職に就くことができない、明日のパンすらないような人々がたむろするような裏路地があるのだ。
――この国の貧富の差は年々開くばかりだ。
確かに、彼一人を救い上げたってなにも変わらないかもしれない。
それでも、それでも俺は――。
「――なんか、嫌だな」
そう呟くけれど、俺は何の力もない子供で、彼を助けることなんてできないという事実がそこにあった。
紅に染まる屋敷の廊下で立ち止まり、歯噛みする。
確かに、あの少年を助けることに意味なんてないのかもしれない。
助けたいと思うのは、ただの俺のエゴでしかないのではないだろうか。
彼を助けなくたって、俺は今まで通りに生活を送るのだろう。
助けられなかった後悔も次第に薄れて、大人になるころにはきっと忘れて。
いつか、いつか――。
▽▲▽
星さえ飲み込む様な夜の帳がこの国に降り、ジュワユーズの屋敷には暖かな光が灯る。
その光に照らされた廊下を潜り抜けて、俺はある扉の前に立つ。
扉の前に立って俺は、小さく深呼吸をして緊張を解そうとする。
だが、緊張は更に増すばかりで、握る拳の中では汗をかいて、そして震える。
ここから、ここからだ。
「――行け、俺」
そう呟いて自分を奮い立たせる。
意を決して、骨折していない左手で扉を二回叩く。
そのノックから、一拍置いて中から返事が返ってくる。
「入れ」
その言葉を聞いて、俺は扉を開けて中に入る。
「失礼します、おじい様」
そう言って入った先は、本棚と仕立ての良いソファー、そして高級そうな執務机のある部屋――祖父の書斎だ。
そして、祖父の書斎にいるのは、ジュワユーズ家の当主たる祖父である。
「どうした、エドワード」
祖父は、執務机で書類に目を通していた。
俺には視線を向けていない。
それが、少しありがたかった。
祖父の猛禽のような鋭い眼光が俺を貫いていないのなら、少しだけ話やすかったからだ。
「おじい様、お願いがあります。――ルテル氏で預かっている少年を、うちの使用人として雇えないでしょうか」
「論外だな」
俺の放った言葉を、祖父は一刀の元に叩き斬る。
「儂は、ナミュール伯と同じ意見だ。あの子を助けることに、何の意味がある、何の利がある」
そういう祖父は、視線を手元の書類からそらさず、俺を一切見ずに答える。
祖父にとって、今俺が言ったことはまさしく子供の我儘。
取るに足らない戯言なのだろう。
俺の目を見もしないのが、何よりの証拠だ。
――だが、ここで祖父は言った。
「おじい様に、利があればいいんですよね」
そう、祖父は今確かに言った。
「あの子を助けることに、何の意味がある、何の利がある」と言った。
それは、裏を返せば祖父にとって意味があれば、利点があれば助けるということだ。
――だからこそ、俺は今の俺にとって一番大きな手札を切る。
「彼を助けてくれるのなら、俺は十六歳になったらジュワユーズ家の処刑人になります」
――だからこそ、俺は自分の未来をここで使った。




