プロローグ
神歴1757年、2月14日。
その日の事は、今でも鮮明に覚えている。
凍てつく風が、当時5歳だった俺の肺すら凍らせようとしているかのようだった。
神聖ルーレンス王国の首都・リゲルの大広場に設置された舞台を、その裏側から幼い俺はじっと見つめていた。
その舞台の前には、大勢の人だかり。
これから始まるソレを見物しようと詰め掛けた人たちが、今か今かとざわつきながら待っていた。
壇上には、白い衣服を身に着けた男が、後ろ手に縛られて跪いていた。
男の歯がガチガチとなっているのは、寒さ故か、恐怖故か。
そして、壇上にこの日の主役が現れる。
この国の正装に身を包み、その上に専用の黒衣を身にまとった厳めしい初老の男――祖父だ。
その手には、一本の剣。
エクスキューショナーズ・ソードが握られていた。
そう、これから始まるのは、罪人の処刑。
刺激の少ない日々を過ごす国民の間で人気のショーだ。
登壇した祖父を彼らが見付けると、途端に歓声が上がる。
祖父は、その歓声を受けても眉一つ動かさず、静かに罪人の首に剣を当てる。
そして、その傍らで待機していた神父様が、神への御言葉を述べる。
この瞬間だけ、広間はしんと静まり返った。
――あるいはこれは、嵐の前の静けさという奴だ。
そして御言葉が終わり、神父様が舞台を降りる。
祖父は、大きく剣を振り上げる。
息を呑むような静寂。
――そして、瞬間。
硬いナニカが勢いよく断たれる音がして、その直後に割れんばかりの大歓声が響く。
その光景を、生まれて初めて目の当たりにした俺は、得も言われぬ感情を抱いた。
この時抱いた感情の正体は、60年経った今でもわからない。
そしてこれは後から知った話だが。
この時処刑された男の罪状は、ただの窃盗だったそうだ。
▽▲▽
俺が初めて祖父の仕事を――俺たちの家業を見たその日から、2年後のことだ。
「お前にもう一つ、大切なことを教えなければならない。――ついてきなさい」
その日突然そう言われた俺は、祖父と共に用意された馬車に乗り込み屋敷を出た。
郊外に存在する俺たちの屋敷から、馬車で一時間ほど。
リゲルの中心から少し外れたところに立つ、一件の古ぼけた屋敷に到着した。
無駄に財だけはあり広いウチの屋敷と違い、この屋敷の主は金銭面で苦労しているのではと思うほどに、管理が行き届いていない感じを受けた。
「儂は当主へ挨拶へ行く。お前はここで待っていろ」
使用人に案内された一階の一室で、祖父は俺にそういうと部屋を出て行った。
急に知らない屋敷に1人にされた俺は、半刻もしないうちに退屈を持て余した。
部屋を当てもなくぶらぶらしたり、装飾品をしげしげと眺めたりしたが、そんなモノ幼い俺には面白くもなんともなかった。
そんなときだった。
「――ねぇ、君は誰?」
急に見知らぬ少年の声がした。
慌てて振り返ると、そこには開け放たれた窓の縁に座る少年と、窓の外からこちらを見つめる少女の姿があった。
どちらも年の頃は俺と同じくらい、少年は金の髪と紫水晶の瞳をした、快活そうな印象を受けた。
少女の方は、銀色の長い髪と翡翠色の瞳をした、人形のような容姿をしていた。
結構身なりがよく見えたので、貴族の娘だろうか。
「お、俺は」
突然のことで、その時の俺は言葉に詰まる。
――いや、違うな。
久しぶりに同世代の子供と言葉を交わして、どう話せばいいかがわからなかったんだ。
「ねぇ、よかったらエヴァたちと遊ばない?」
幼い少女は、そう言って窓枠から身を乗り出す。
その言葉に、俺は動揺した。
「お、おじい様がここで待ってろって」
「そんなの、あとで謝ればいい話だよ!」
「そうだよ、僕も一緒に謝るからへーき、へーき!」
そう言って少年は窓枠から降りて、俺の手を掴む。
「こんなところにいるより、お日様の下で遊んだほうがいいに決まってる」
少年は強引に、俺を連れ出す。
俺は戸惑いながらも、言われるがままに彼についていく。
この時の俺はきっと、おじい様の言いつけより、彼らが連れ出してくれる新しい世界に内心胸を躍らせていたのだろう。
それだけ、俺は「友達」というものに飢えていた。
「お、俺の名前はエドワード。き、君たちの名前は?」
俺が勇気を出してそう問いかけると、彼らは花が咲くような笑みを浮かべてこう返した。
「僕は、シャルル。よろしく、エドワード」
「エドワードなら、エド君って呼ぶわね! あ、エヴァはね、エヴァっていうの」
―-もし、この世界に運命というものがあるならば。
この出会いこそが運命だったのだろう。
のちに稀代の名医と呼ばれる「シャルル・ルテル」。
王国最後の王妃「エヴァ・ナミュール」。
そして史上最も多くの人を殺した処刑人「エドワード・ジュワユーズ」。
俺たちの出会いが、友情が、使命が、どういう結末を迎えるかなんてこの時の俺たちは、知る由もなかった。