第7話 日向の秘密
「……ん……、ここは……?」
真っ白な天井とツンと鼻にくる消毒の匂い。ゆっくりと瞼を開けてそれを認識した悠護は、自分が学園の病院にいるのだと気づく。
上半身を起こすと外はすっかり茜色に染まっており、カラスの鳴き声も聞こえてくる。
(……あれ? 俺、なんで寝てんだ……? 確か……)
確か今日は授業が始まる日で、魔法実技の授業もあった。
その時不注意で日向に襲ってきた風の刃が彼女の腕輪に当たり、綺麗に割れてしまった。だが日向の体から魔力が溢れ出し、苦しげな息を吐きながら訓練場の床に倒れた。
厳しい顔をする陽の制止を振り切り、彼女の元へ駆け寄ったが目の前が真っ白になり――そこから先が覚えてない。
何故、自分が病院のベッドで眠っているのか。日向は無事なのか。どうしてあんなことになったのか。そんな疑問が頭の中でぐるぐると回る。
もし魔力の暴走に巻き込まれただけなら悠護はもっとひどい大怪我をしているはずだ。患者服越しで確認してもどこも傷などないし、考えられるなら『魔力切れ』を起こしただ。
魔力切れは、魔力変換機能だけでなく、未使用の魔力を蓄積する機能も持つ魔核の中で温存していた魔力をも使い消耗した時に起きる現象だ。魔力は自身の生命エネルギーを変換したもので、それを消耗しすぎると死に至る場合もある。
そこまでは理解できたが、問題はそれだ。
(どうして俺は魔力切れを起こした?)
あの時の悠護は魔力切れを起こすほどの魔法は一度も使っていない。そもそも魔力切れを起こすこと自体あまりないのだ。
それなのにどうしてこうなったのか……とそこまで思案していた時、悠護のいる病室のドアが二回ノックされた。
「どうぞ」
「邪魔するで~」
声をかけた直後にドアが開かれ、中に入ってきたのは陽だ。
魔導士は総じて顔が整っているせいか、普通に歩くだけでも目を惹く。それが【五星】と呼ばれる彼ならば、世界的に有名なトップモデルとも引けは取らない。
「体調はどうや?」
「平気です。さっき起きたばかりですけど」
「さよか。まああんな至近距離やったから無理ないか」
「……日向は?」
「日向ならまだ眠っとる。明日になれば元気になると思うで」
軽く苦笑いを浮かべる陽を見て、悠護は険しい顔をしながら睨みつける。
「……先生、正直に言ってください。日向は……あいつは一体、何者なんですか?」
「なんでそんなこと聞くん? 日向はちょっと珍しい生徒やで?」
「とぼけんなよ! あの時のあいつは普通じゃなかった、いくらレアケースだからってIMFと学園がそう簡単に入学を許すはずがない! 何か他にも理由があるんだろっ!?」
敬語なんて殴り捨てた口調で言うと、陽は無言で悠護を見つめる。
きっとはぐらかすだろうと思い、それは絶対に許さないという意思を込めて睨みを強くする。
それを見たからか意思が伝わったからか分からないが、陽は深いため息を吐く。
「はぁ……黒宮は日向のパートナーやからなぁ。しゃーない、教えたるわ。ただし聞いて後悔しいひんか?」
「しない。たとえどんな話でも俺はちゃんと聞くつもりだ」
「分かった。ならどっから話すかな……」
陽は悠護がいるベッドのそばにあるパイプ椅子に座る。
その時に「どっこいしょ」と親父臭い言い方をしたがあえてスルーした。というより、今ツッコんだら痛い目見そうだった。
「んー、なら最初は日向がどういった経緯で魔導士に目覚めたか話すか。黒宮、一月に起きた魔導士崩れが起こしたショッピングモール立て籠もり事件を知っとるか?」
「ああ」
陽の言葉に悠護はすぐに思い当たりのある事件を思い出して頷いた。
都内にあるショッピングモールで、銀行強盗の魔導士崩れが逃げ込み、建物内にいた店員も客もみんな人質に取って逃走用の車を要求した。
その際に人質と犯人の間で何やらトラブルがあったらしく、人質の一人だった未成年が左脇腹を発砲された。未成年であるため個人情報は流さなかったが、病院で適切な治療を受けて三月末に退院する見込みだとニュースキャスターは語っていた。
「でもあれって結局特殊部隊が事件を解決したんだろ? それと日向になんの関係があるんだよ」
「それは表向きそう伝えとるだけや。真実はその時に犯人に撃たれてもうた人質が、偶然にも魔導士として目覚めてしもうた。で、その子が魔法を使うて犯人達を魔力切れにさせ、事件を解決したんや」
「まさか……その撃たれた人質って……」
「そう、それが日向や」
テレビで流れたそれは悠護にとってはいつもあることだと思っていたが、日向にとってはそれが人生を変えてしまった瞬間そのものだったのだ。
話を聞いて納得はするも、そこで一つの矛盾点に気づく。
理由はどうであれ、日向は撃たれたのをきっかけに魔導士として目覚めた。
だが目覚めたばかりの魔導士の魔力は安定しておらず、もし魔法を使ったなら犯人も人質も建物も無事である可能性は低い。それどころか大怪我や一部崩壊だってありえる。
ニュースで見た時、建物は壊れてなかったし、犯人も人質も傷一つ負っている様子ではなかった。
「でもその事件じゃ被害はあまりなかった。あいつはどんな魔法を使ったんだ?」
「そう、そこが日向を学園に入学することになったもう一つの理由や」
悠護の言葉に陽は真剣な口調で言った。
「もし日向が魔力抑制具で抑えられる魔導士なら、IMFも強制入学させとらんのや。せやけど日向の魔力はかなり不安定なうえに厄介な魔法も使えるんや」
「厄介な魔法……?」
「――無魔法や」
陽の口から出されたその魔法に、悠護は言葉を失った。
無魔法。全ての魔法を無効にする魔法。
数百年前、『魔法』という神秘の技を見つけ、『魔導士』という存在を生みだし、今の世界を作り上げた魔導士達の祖先である四大魔導士が見つけた九系統ある魔法の一つ。
全容は未だ明かされておらず、ただ『全ての魔法を無効にする魔法』があるという事実しか世界に伝わっていない謎に満ちた魔法。
ただ『魔法を無効にする』だけしか知らないそれを、日向が使える?
信じられない話だが、それだと悠護が何故魔力切れを起こしたのか説明がつく。
魔導士の体は相手の魔法に対抗しようと無意識に魔力を消耗させる。強い魔法ほどその消耗は大きくなり、そのまま魔力切れを起こしてしまう。
あの時、日向の魔法に対抗するべく魔力を使ったがそのまま魔力切れになったと考えるのが自然だ。
「無魔法については現代においても未知が多いブラックボックスや。それをほぼ特化寄りで使える魔導士がおるならIMFも学園も見過ごすわけがない。貴重なサンプルであると同時に重要危険人物扱いされた日向は、入試免除を条件に特例で聖天学園に入学させたんや」
「……なるほどな」
昨日、日向は『まだ話してないことがある』と言っていたがそれはきっと無魔法のことだろう。
魔導士にとっての敵というべきその力は、魔導士として目覚めたばかりの日向自身も扱いきれないはずだ。
「魔法は通常詠唱によって発動されるんやけど、無魔法の場合は術者の身の危険が迫ると防衛本能によって自動発動されてしまうんや。魔力がまだ体に馴染んでへんし、その威力もかなりなものやからIMFから強力な魔力抑制具をもらったんやけど……ご覧の通り真っ二つになってもうた」
肩を竦めながら陽が取り出したのは綺麗に割れた金の腕輪。今まで完成された魔導具はいくつも見てきたが、こんな風に壊れた物を見るのは何気に初めてだ。
じっと割れた腕輪を見つめてるも付与されているはずの魔法を一切感じない。形は元に戻っても、前のように機能しないことが物語っている。
「ただ魔法に当たったから壊れたんじゃないのか?」
「アホ言え。これは強度もIMFお墨つきやで? そう簡単に壊れてたまるか。念のため研究所のヤツらに調べさせてもろたら、この腕輪に付与しとった魔法はとっくの前からなくなってたんや。それでも暴走しぃかったんは、本人が気ぃつけていたからや。けど、ギリギリの状態のまま腕輪が不意打ちで壊れてもうて、そのまま自動発動されてもうたってところや」
「そうか……」
陽の推測に悠護は苦い顔で納得する。
そもそも魔導具はいくつかの魔法を付与、もしくはそれを核として作り出された道具だ。魔力抑制具には呪魔法の『抑制』と強化魔法の『硬質』の二つが付与させている。
無魔法が全ての魔法に効果があるのなら、魔導具もその対象だろう。
「……大体の事情は分かったけどよ、卒業後はどうするんだよ。在学中は学園のおかげでしばらくは安全だけど、日向はIMFにとっても犯罪組織にとっても喉から手が出してでも手に入れたいほどの逸材だろ? いつか手ぇ出されるぞ」
「……それはとっくの前から分かっとるわ」
前からそう考えていたのか、陽はわしゃわしゃと乱暴に頭を掻く。
「今はここにあるから安心なんやけど、IMFも無魔法についてはかなり危険視しとる。もしかしたらどっかのバカが日向を始末しようと考えとる可能性もある。なるべくそういう火の粉は払いたいんやけど……こればっかりはワイの力でどうにかできるか分からんからな、日向専用の魔導具を用意するつもりや」
そう言いながら陽が取り出したのは、コルクで封をされた一本の試験管。
透明なガラスでできたそれの中には赤黒い液体が半分近く入っており、その液体の正体が血液であることは一目見て分かった。
魔力は|魔核だけでなく人体の髪や血液に渡るため、それを媒介にした魔導具は媒介の持ち主の専用になることができる。
普通の魔導具にはしないのだが、魔導士で活躍する者達がオーダーメイドとして頼むことが多い。
特に魔力の暴走を恐れる魔導士にとっては、専用魔導具は魔力の出力を自動調整し、持ち主の魔法を扱い易くするというメリットがある便利なアイテムなのだ。
「……まあ、あった方がまだマシだよな。いざ使おうとした時に無魔法がそれを台無しにしちまうからもしれねぇし」
「そゆことや。あの魔法がある以上、魔力抑制機能がある魔導具つけるんはムダって分かった。あれの制御には日向の努力次第になるのがちと不安やけど……」
試験管の中に入っている血液を見つめる陽の顔は思い詰めた何かを感じさせ、どう声をかけていいのかわらず無言になる悠護。
それに気づいたのか陽は苦笑すると悠護の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「まあその辺はパートナーの黒宮が教えてくれればなんとかなるやろ」
「そんな投げ槍に言うなよ……」
「事実やからしゃーないやろ。パートナーとして、日向のことこれからよろしく頼むわ」
それだけ言うと陽はさっさと病室を出て行ってしまう。
彼の後ろ姿を見送ると、悠護はそのままベッドに仰向けに倒れると、ふぅーっと大きく息を吐いた。
日向に何か事情があると思っていたが、まさかここまで深刻なものだと思っていなかった。
(だけど、IMFもあいつをマークしてるってことは……親父にも伝わってるはずだよな)
悠護の父で黒宮家現当主である黒宮徹一は、国際魔導士連盟日本支部長。日向のようなワケありのことを知っていないはずがない。
もし日向が魔導士界の秩序を乱す者なら、問答無用で処分するはずだ。
父はかなりの合理主義者だ。必要なものは必要、不必要なものは不必要とあっさりと捨てる。そんな男から親としての愛情を注いだ記憶があまりない悠護にとって、父はとても苦手な存在だ。
そもそも今の義母は、自身のパートナーであった実母と親友関係にあった。喪に服している間は色々とお世話になったが、明けてすぐに再婚した無情な父とどう向き合えというのだ。
正直に言うと父とはあまり会話はしたくない。だけど、そうしないと日向が危ない目に遭う。
「どうすっかな……」
サイドテーブルに置いてあったスマホを操作して連絡帳にある『親父』の二文字を見つめながら、悠護は今日一番のため息を吐いた。
☆★☆★☆
病院を出た陽は教職員寮にある自室からあるものを取りに戻った後、その足を実験棟へ向ける。
向かう場所は実験棟三階の工房の中にある第二準備室。とある教師が寝泊りなどで使っているその場所に足を踏み入れる。
「邪魔するで~。ヴェルいるか~?」
「んぁ……?」
第二準備室の中は工具や魔導具が乱雑に置かれた棚が両側の壁を埋め尽くしており、床には中央に敷きっぱなしの布団が置かれ、その周りにビキニ姿の女性が表紙のいかがわしい雑誌や馬券、さらに大小様々な部品が散らばっている。
目の前の作業机の上で突っ伏して眠っていた男がのそのそと緩慢な動きで起き上がる。
寝癖でボサボサのくすんだ銀髪とロクに剃っていない無精髭のせいで老けているように見えるが、これでも陽より二歳年上の二七歳の独身だ。
男の名前はヴェルフィス・グロッゼル。
通称『ヴェル』と呼ばれている彼は、ここに来る前はフリーの魔導具技師として活動していたが、稼ぎをギャンブル等で使い果たし、いつの間にか抱えた借金を返済すべく教師になった経歴を持つダメ男だ。
不真面目な態度が目立つが、魔導具技師としての腕は本物だ。その腕のおかげで一年半前に借金を返済しているし、闇金融に追われる等の痛い目を見たおかげで以前のようなギャンブル行為は控えている。
この第二準備室はよく授業の準備のために寝泊まりすることが多く、彼が教師になってからは完全に彼の私物化されており、よく生徒指導の米沢が文句をつけてくるが当の本人は素知らぬ顔をしている。
「なぁんだ陽じゃねぇか、ったく人がせっかく寝てたのによぉ……」
「いい年した大人がぐーだらすんなや。仕事を頼みに来たんや。料金は弾むで」
「仕事ぉ? 珍しいな、いつもなら調整ばかりなのによ。もしかして例の可愛い妹の件か?」
「……分かっとるなら話が早いな。これを日向の専用魔導具にして欲しいんや」
陽は小さいアタッシュケースを作業机の上に置くと、頑丈な金属の留め具を開ける。慎重な手つきで蓋を持ち上げると、中に入っていたのは敷き詰められた黒いクッションの上に置かれた黒い銃。
自動拳銃の形をしたそれは魔導士が使っているものと似ているが、表面の傷を見る限りかなり年季が入っている。
ヴェルはそれを手に取り、いくつものレンズがついた特製のゴーグルで状態を確認した。
「古い型だな。女の子が持つにしちゃあちと無骨じゃねぇか?」
「せやけど性能面で見ると他のよりええはずや。媒介はちゃんと用意したから安心しぃ」
陽が取り出した日向の血が入った試験管を一瞥すると、ヴェルはそれを手にする。
手で揺らす度に血がタプンッと音を鳴らすそれを見て顔を顰める。
「……おいこれ無許可じゃねぇよな?」
「本人の許可は取ってある」
「ならいいがな。だがこれを専用にするとなると時間がかかる」
「どれくらいや」
「あー……仕事の合間にやるとなると最短で二週間だな」
「二週間……ってことは、ちょうど新入生実技試験がある日やな」
新入生実技試験は、毎年新入生の魔法の技を確認するための一種のお披露目の場だ。
在学生はもちろんIMFや警察などの政府機関関係者が教師に混じって観戦し、少しでも優秀な人材を手に入れるためにマークするのだ。
中には校則を忘れてスカウトしてくるバカがいるため、この時期になると教師側はその対応に追われるのだ。
「それもう少し短くできひんのか?」
「無茶言うなよ。ただでさえ激務なのに完成日短くしろとか、テメェは俺を過労死させる気か?」
「アンタが過労死するタマか?」
「ケンカ売ってんのかクソガキッ!?」
本音で告げる陽にヴェルは声を荒げさせる。
だが彼に噛みつくことさえも億劫なのか、舌打ちしながらも陽が持ってきた拳銃をドライバーなどの工具を使って解体していく。
なんだかんだ文句は言っても、こうして引き受けてる辺り彼もある意味お人よしだ。カチャカチャと分解され組み直されていく音を聴きながら、陽が踵を返して立ち去ろうとした時、おもむろにヴェルが声をかける。
「なぁ」
「なんや、ワイはもう帰るんやけど」
「これの前の持ち主はどうした?」
ヴェルの質問に、陽は動きを止める。
思わず振り返ると、彼は作業机に向いたままで手に持った工具を忙しなく動かしている。
表情が見られていないのをいいことに、陽はあからさまに顔を歪めた。
「……なんでそんなこと聞くん」
「ただの興味だ。それにさっき言った日数はこの男物を女物に変えるのを含めてだから。報酬はきちんと後でもらうが、チップ代わりに聞かせろ」
そう言いながら足元にあったダンボールからプラスチック製のフレームを取り出しており、仕事しながらも話を聞く気満々のヴェルに陽はため息を吐きながら答える。
「……その魔導具は親父が愛用しとったものや」
「へぇ、父親ねぇ……。確か一〇年前に事故で死んだんだろ?」
「ああ、おふくろもな」
当時のことを思い出したのか陽の顔は哀愁で満ちており、それを横目で見ていたヴェルはお目当てのものを見つけるとすぐさま作業に戻る。
「父親が魔導士ってことは……母親も魔導士だったんだろ? なのに妹は今まで魔導士じゃなかったのか?」
「別に珍しいことやないやろ、そんなの」
「そーだな」
陽の言葉にヴェルは手を動かしたまま同意した。
今では魔導士家系という家もあるが、生まれた子供は必ずしも魔導士として生まれるわけではない。
むしろ、一人目は魔導士として生まれるが、二人目は魔導士ではない一般人として生まれるというケースの方が多い。
もちろんその逆もあり、一般人同士の家庭から魔導士が生まれる場合もある。
日向の場合その例に漏れないはずだった。それだけのことだ。
「ま、精々妹が変な輩に目ぇつけられねぇように気ぃつけろよ」
他人事のように言いながら作業する手を休めないヴェルの言葉に、陽は黙って第二準備室から出ると、小さく呟いた。
「……そんなん分かっとるわ、アホンダラ」




