Prologue 動き出す闇
青藍と黒が入り混じった夜空には、銀粒のような星々が瞬いている。
美しい白亜の城の外には、手入れされた花畑が芳醇な香りを漂わせ、精緻な造りをした噴水は惜しげもなく透き通った水を溢れ出している。
その城のある一室で、男は紅いビロードのカウチに寝転んでいた。
真鍮の猫脚をした白の大理石のローテブルには深緑色の瓶とワイングラスが置かれており、グラスの中にはワインが注がれている。
男はカウチから起き上がるとグラスを手にし、中に入っていたワインを飲み干す。
唇の端についたワインを舌先で妖艶に舐め取ると、コンコンと扉が鳴る。
「入れ」
「失礼します」
そう言ったと重厚感あるオークの扉が開かれると、廊下から一人の少年が入ってくる。
切り揃えた黒髪に灰色の瞳。頭にシルクハットを被り、紅いローブを着こなす少年は紳士のような立ち振る舞いで頭を垂れる。
「主、供物を献上しに来ました」
「そうか」
少年の言葉を察した男は空になったグラスを掲げると、少年はショートパンツのポケットからベルが入った鳥籠を取り出す。
ベルの下には虹色の光の玉が渦を巻いており、少年は鳥籠の戸を開ける。
鳥籠に入っていた光の玉はトロリとした液体に変わり、ワイングラスに注がれていく。
男は虹色に輝く液体をグラスの中で揺らした後、そのまま口つける。
液体が喉を通った瞬間、頭の中で声が響く。
痛イ。苦シイ。助ケテ。死ニタクナイ――嘆きと憎悪の声が聞こえてくる。
虹色の液体……いや元は人の魂だったソレの声を、男は特に顔色変えずに全て飲み干していく。
一滴も残っていないグラスをテーブルの上に置くと、ふぅっと息を吐く。
「相変わらずの味だな、コレは」
「……主、ずっと気になってたんだけど。魂って美味しいの?」
少年の突然の質問に男はしばし熟考すると、ワイン瓶を手にするとコルクを引き抜いた。
「いや、魂には味はない。だが喉を通る感覚はそこらの酒よりも上等だ。……飲む時の声を除けば、だがな」
「ふぅん」
分かったのか分からなかったのか、主人の答えに曖昧な反応を見せる少年。
その反応を気にしせずグラスにワインを注ぐと、男はグラスを手にしそのまま一口飲む。
「……それで、向こうはどうだ」
「あ、そうだった! どうやらイギリスの王子が日本に来ちゃったんだよ」
イギリス。王子。
その二単語に反応したのか男のグラスの持つ手がピクリと震えた。
「……そうか。まったく、タイミングがいいのか悪いのか分からないな」
「悪いよ! せっかく彼女が見つかったのさあ!」
ぷんすこと効果音が出るのではないかと思う怒り方をする少年を横目に、男はもう一度グラスに口つける。
熟成したブドウの味を舌で転がすように堪能しながら、男は外の星空を眺める。
「ふむ……なら、少し手を出してみるか」
その言葉に少年はネジが切れた人形のようにピタリと止まったかと思えば、そのまま笑みを浮かべる。
その笑みは純粋な狂気を含ませたものだ。
「それって……彼女を? それとも王子を?」
「両方だ。そろそろあいつには次のステップに行ってもらわないとな」
頭の中に浮かぶのは、白の衣装を身に纏う彼女。
鋼色の鎧と銀冠を身につけ、確固たる決意をもって自分を睨んだ、男がこの世の誰よりも愛し、憎んだ女。
どれだけの時間が進もうと、あの女の顔と過ごした日々は一度たりとも忘れたことはない。
――たとえ、彼女が何一つ覚えていなくても。
「そっかぁ……うん、確かにちょっと手を出してもいいかもね。ねぇ主、その役目さあ」
「ああ、もちろんお前に任せる。あまり派手にやるなよ」
主から望んだ言葉を聞いて、少年は頬を赤く染めるとシルクハットを手に取るとそのまま胸に当てる。
「かしこまりました。その役目、果たさせて頂きます」
「ああ。期待しているぞ、レトゥス」
少年――レトゥスは男の言葉を聞いて、嬉しそうに口角を吊り上げた。




