Introduction 最初の記憶、迫りくる脅威
カロン・アルマンディンの最初の記憶は、豪奢な寝室の窓から差す穏やかな日差し。
その温かさと反対に、とても心が弱い妃が涙を流しながら、王子として産んだことを謝る姿。
『ごめんなさい……ごめんなさい、カロン……あなたには、もっと自由な生き方をさせてあげたかった……っ』
何度も何度も、毎日のように謝る妃。
その原因は、イングランド王国の王妃としてまともに扱わない彼女の境遇と、国王であり母の伴侶である父の態度にあった。
色狂いの王は、行儀見習いとして王宮に入った令嬢を手当たり次第手籠めにし、妃である彼女はただの後継者を生む道具として扱っていた。
数多な令嬢が手つきになる中、妃が自分を産んだのは本当に幸運で、もし他の令嬢が王子を産んでいたら彼女の居場所は失われていただろう。
だけど、王は公の場以外では会話などせず、適当に公務をして女と酒に溺れるばかり。
当時の国の政治が保っていたのは、ひとえに先王……カロンの祖父の代から仕える重臣達の努力の賜物だ。
カロンも彼らから帝王学を学び、年も二〇代から六〇代と幅広く、彼らを兄や叔父、それこそ父として見て育ってきた。
その間も、本物である王は、好き勝手に享楽を貪っていた。
(――――おぞましい)
誰よりも人間らしく、欲望に忠実で、男という性を思う存分に使う王が、まだ物心ついたばかりのカロンにとって、どんな生き物より恐ろしいものだと思えた。
その日から、カロンは人間という種を嫌うようになった。
汗水流して働く平民、豪華に着飾った貴族、顔に深いシワを刻んだ老人……さらにはまだ何も知らない純粋無垢な赤ん坊や子供すら、カロンにとって全て醜い生き物に見えた。
動物の方がまだマシで、人の顔を見たくない時は愛馬に乗って遠出をして、わずかな時間だか一人だけの時間を過ごしたものだ。
そうして成長していき、妃が首都から離れた離宮で暮らすようになり、王が急死してすぐ戴冠し、自分が王になってもその認識は変わらなかった。
――だからこそ、アリナ・エレクトゥルムの存在は、カロンに強烈な衝撃を与えた。
人間臭いけれど、善を全うしようとする少女。他の貴族と同じ振る舞いをするも、素は無邪気な街娘と変わらない。
人間なのに、人間特有の醜悪さを感じない。
この世界で唯一、誰よりも一番美しい人間を、カロンを見つけた。
『欲しい』
一目見て瞬間から、そう思った。
あの気高い輝きを独占したかった。
〝神〟に愛された彼女を手に入れれば。
――――誰よりも醜悪な私を、愛してくれるはずだ。
☆★☆★☆
空中要塞カエレム。
異位相空間を改造し現実世界への侵攻に成功したこの要塞は、空中に浮くだけでなく城壁にも膨大な魔力を消費している。
城壁に使われている石や金属には、魔力を練り込ませることでその強度を最大限に上昇させている。しかし通常では急激に魔力を注入すると、先に素材の方が耐え切れず壊れてしまうため、時間をかけて少しずつ魔力を練り込ませているおかげで、フィリエが望む強度を手に入れた。
さらにその下は巨大な迷路のようになっており、数々の罠を仕掛け、ホミエルも常に配置している。
まさに難攻不落。
一年以上の歳月を果たして完成した、理想の城。
(……あら、また来たの)
調和と美麗の取れた薔薇園を歩いていると、低い駆動音が空気を震わせる。まるで虫の羽音のようなそれを聞いて、フィリエは眉をひそませた。
現実世界にやってきてからというもの、各国から出動させている航空機がこの城を偵察・狙撃しに何度も侵略してくる。
今は太平洋を中心に飛んでいるが、どの国にも制空権というものがある。いくら今は攻撃をしていなくても、カエレムを煩わしく思うのは当然だ。
とはいえ、それまで脅威ではないため、今まではどれほど飛んでいても無視していたが……。
「……さすがにしつこいわね」
昼はともかく夜に飛ぶのは普通に安眠妨害。
ここらでいっそ、脅威と認定して接近距離を見直すようにしなければならない。
「―――『排除の盾』、起動」
フィリエが呟き魔力を放出させた直後、城壁から二〇近くの盾がパーツとして外れ、自律しながら浮遊する。左右対称の模様がフィリエの魔力に反応して発光し、狙いを航空機に定める。
盾は航空機を敵性物体と認識し、予備動作もなしに高密度の魔力光線を放つ。
魔力弾の上を行く魔力光線は、たった一度浴びせただけで航空機を一刀両断させ、カエレム周辺に爆発を起こす。
赤の炎と黒の煙の花火を無感情で見つめた後、フィリエはそのまま城内へ入る。
外とは違い、ひどく静かな回廊を歩き、フィリエはある場所へ辿り着く。
王の間。
臣下や貴族が王に謁見するために使われる広間は、この城の中で一番小さくも豪華だ。
大理石の壁と柱、寄木細工の床に敷かれた毛足の長い絨毯。天井には金のレリーフが施され、精緻な細工をした金のシャンデリアが広間を照らす。
その広間の一番奥の中央に、カロンが座る玉座がある。
一〇段の階段の上に置かれた玉座は、かつて国王だった頃に座っていた椅子を模したもの。
金箔を張った銀と赤い天鵞絨で作られたその玉座に、彼は座っていた。
金の肩章とボタンがついた詰襟の黒い上着に、金糸で薔薇に刺繍された絹糸のスカーフ。赤いマントを金とダイヤモンドのブローチで留めて、黒の革靴はピカピカに磨かれている。
これが、カロン・アルマンディン。
いずれ実現する〝世界〟を統べる王となる男。
「……外が騒がしいな」
「申し訳ありません、少々蠅を叩き落しまして」
「まあいい。魔法のないただの兵器など、鉄屑と同じだ」
頭を下げて報告するが、カロンは興味なさげに言うと、パチンッと指を鳴らす。
玉座の背後の壁が消え、現れたのは歯車がいくつもついた天球儀『神話創造装置』。
ガチガチと歯車が鳴る音を聴きながら、カロンは第二の巨大魔道具を一瞥する。
「『神話創造装置』の魔力補充率がようやく八〇パーセントを超えた。この調子なら二、三日で溜まるだろう」
「では……!」
カロンの言葉にフィリエが頬を紅潮させ、期待に満ちた目を向ける。
もはや見飽きたその顔を見つめながら、王は言った。
「―――始めよう、理想の実現を。我の長年の悲願を叶えようではないか」




