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【完結】マジック・ラプソディー  作者: 橙猫
第11章 交錯する絆と記憶
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第156話 英雄達の〝原典〟2

「本当に……あっという間に森に着いちゃった」


 翌日、アリナは少年の約束通り森に来ていた。

 見つからないように屋敷から離れた場所で首にかけた不思議な石を握りしめて、森のことをイメージしたら光を感じた一瞬で目的の場所に着いていた。

 昨日実感したとはいえ、アリナにとってはやはりこの出来事はあまりにふ不可思議で信じ難かった。


「ふぁあ…………うう、夜遅くまで本読んじゃったから眠いなぁ」


 昨夜は本の内容を一刻も早く頭に入れたくて、宴の演奏が止んでもずっと本に齧りついてしまって少々寝不足だ。

 夜更かしはお肌に悪いとメイド長から言われていたのに、これでは立派な淑女にはなれない。次から気を付けようと心の中で決めると、小屋に向かって走る。

 どんぐりを食べる猪を横目に小屋の前に立つと、コンコンと扉をノックした。


「……! だ、誰……?」

「私よ。昨日あなたの家にお邪魔した子」


 扉越しから聞こえる怯えた声に首を傾げながらも、アリナが優しく声をかけると扉が開かれた。

 出迎えた少年の顔には安堵で彩られていて、目元はどこか柔らかい。そこでアリナは少年の恰好を改めて見た。


 艶やかな銀髪に映える黒い衣装は、秋だというのに首元を隠すようなデザインをした上は袖がなく、下に穿いているズボンは太腿の半ばまでしか長さがない。足には長い白靴下で覆われ、黒革を鞣した靴を履いている。

 兄と比べて細い腕や首、腰には美しい色の石が嵌め込まれたアクセサリーや革のベルトを付けていて、太陽の木漏れ日を浴びて輝いている。


 初めて会った時に感じたように、この少年はまるで人形だ。

 首都の一流の人形師が作り上げた人形以上に人形らしい外見。だけど、自分を見つめる銀色の瞳は無機質なガラス玉ではない。

 ちゃんと生きた人間の目だ。


「あ、あの……僕の顔に何かついてる……?」

「ついてないわ。ただ、あなたが綺麗だったから」

「き、綺麗って……!? 僕なんかより君の方が美しいよ。黄金色を好む妖精さえ、君を見たらきっと『常若の国』に連れてってしまいそうなのだから」

「『常若の国』って……もしかしてティル・ナ・ノーグのこと? 妖精が住まう不思議の国の」

「そうだよ。昔はそんな呼び名じゃなかったんだけどね、でも僕はこっちの呼び名が好きなんだ」


『常若の国』――ティル・ナ・ノーグという不思議な国のことは、アリナも伝承でしか知らない。

 書物には妖精達の好む棲み家であり、生き物の住む島、勝利者たちの島、そして水底の島とも呼ばれている。そこには不思議のリンゴの木、食べても生き返る豚、永遠の若さを授けるゴブニュの麦酒があると言い伝えられている。


「僕も行ったことがないから分からないけど……きっと、ここよりもっと美しい場所だよ。行ってみたい?」

「うーん、分からない……興味はあるけど、そこには家族がいないから行きたくないかも」

「あはは、そっか。でも、その方がいいよ。妖精の中には人を騙して無理矢理『常若の国』に連れて行かせる子もいるからね、君がしっかりしていれば誘われたりしないから大丈夫だよ」


 アリナの答えに少年が朗らかに笑うと、優しく頭を撫でる。

 自分よりも白い手で頭を撫でられると、不思議と心地よい感じがしてしまう。


「さて、そろそろ勉強をしよっか。本はどこまで読んだ?」

「えっと……書かれていることは自然を使った『奇跡』ってところしか分からなかったの……」

「へぇ、そこまで理解できたんだ。僕以外の人がそれを読むと、数秒で飽きてしまうんだ」

「そうなの?」

「うん。だから、君がそれを理解できることが嬉しい」


 少年の褒め言葉になんとなく照れ臭くなって、思わずケープのフードを深く被る。

 いつもは家族や領民が褒めてくれるためそういった言葉を聞くのは慣れているはずなのに、少年に言われると何故か顔が赤くなってしまう。


 フードが破れんばかりに深く被る様子を見て少年が首を傾げるが、ふと昨夜思ったことを思い出してフードから手を離した。


「そうだ! あなたの名前は?」

「……名前?」

「ええ。私、あなたの名前を知らないから、教えてもらおうと思ったのにうっかり忘れてしまって……あ、私はアリナ・エレクトゥルム。この森があるエレクトゥルム男爵家領地の娘です、これからよろしくお願いします」

「…………………」


 スカートの裾を摘まんでお辞儀をして自己紹介すると、少年は思わず呆然としてしまう。まさか名前を聞かれたことは初めてで、人前で初めて迫害を受けた時に名前を告げることはないと思っていた。

 未だに答えない自分に愛し子が不安そうな顔を見て、少年も覚悟を決めて微笑んだ。


「僕の名前は……ヤハウェ。この世界を想像した、〝神〟だよ」


 少年――いや、ヤハウェはこの日初めて真名まなを明かした。

 この時、何故かこの少女には真名を告げなければならないと思えた。今まで数多くある名前を偽名として名乗っていたけれど、やはりこの名が一番しっくりきた。

 アリナは自分の顔を見てぽかんとしていたが、すぐに喜色満面になる。


「神様……? すごい! 私、本物神様に出会ったの初めて!」

「えぇっ?」

「ねぇねぇ、お勉強もそうだけど私もっと色々と教えて! 神様なら何でも知ってるのよね!? 私、もっと色んなことが知りたいの!」

「わわっ!?」


 さらに怒涛のおねだりにさすがのヤハウェも反応が遅れたが、でも腰に抱き着く愛し子の顔を見て次第に笑みが零れていく。

 今の時代、貴族の令嬢は淑女の教育として礼儀作法と初等教育しか学んでおらず、アリナのようにそれ以上を知ろうとする者はいない。皆、それが当然と言わんばかりに知ろうともしない。


 中には『女は本を読むと子が産めなくなる』という迷信まで流行り、趣味として読む本は物語や詩集だけだ。

 貴族の世界ではアリナのような令嬢は他とは違うだろう。だけど、今ではあまり見ない少女の知的好奇心を絶やすような真似はしなくなかった。


「……うん、分かった。君が望むなら、僕はなんでも教えるよ」


 自分が生み出した〝業〟も、この世界にある知識も、この子が望むのならば喜んで教えよう。

 ヤハウェの言葉にアリナが笑顔を浮かべると、つられて笑みを浮かべる。


 だけど、〝神〟であるヤハウェさえ知らなかった。

 この時の選択が、あの結末を招くことになるとは――。



☆★☆★☆



 気を取り直して、ヤハウェは即席で用意した椅子に座ったアリナに昨日課した本について説明した。

 一人用の食卓に二人が向かいあう様は今まで独りだったヤハウェには新鮮で、だけとちっとも不愉快ではない。


「ここの火の『奇跡』はね、とても危険なんだ。火は浄化を持つ力だけど、それと同時に人の命を容易く奪うもの。だから本当は自分の身を守る『奇跡』を教えた方がいいんだけど……とりあえず、火の『奇跡』まで学ぼう」

「はい」


 ヤハウェが開いたページには、昨夜読んだ内容が記されている。

 火の『奇跡』は彼の言う通り、どれも誰かを傷つけるものばかりだ。火を矢の形にして雨のように降らせるとか、火の竜巻を起こすとか恐ろしいものばかりだ。それでも体内に入った毒を消す火や外敵から身を守る火の壁など、良き『奇跡』についても書かれていた。


 ヤハウェから借りた本は明け方まで読んだが、まだ一〇歳になったばかりのアリナには難しい単語が少なくなかった。

 家の教育で詩集と流行の恋愛物語しか読んだことはなく、ベネディクトがいつも読んでいる哲学や歴史書を読もうとすると、掃除をしていたメイドに読んではいけないと諫められてしまう。


 兄と同じ本を読んで会話を共有したいと思っていたけれど、事あるごとにメイドが「女性は男性が読むような本を読むと、子供が産めない体になりますよ」と何度も繰り返して言われた。

 そんなものは子供だった自分でも迷信だって分かっていた。でも、父と交友がある貴族の同い年の子達はその迷信を信じていた。


 この本も今までそういう制限をされていたアリナにとって、いくらヤハウェの説明が付いていても文章の中の単語を理解するだけでも精一杯だ。

 近くで見ていたヤハウェの目から見ても、彼女の頭から煙が出るのではないかと思うくらい唸っていた。


「うーん……うーん……?」

「そんなに急がなくて大丈夫だよ。ゆっくり考えて学んでいけばいい」

「そうかもしれないけど……ふ、わぁあ……」


 ふいに、アリナが大きなあくびをした。

 よく見ると彼女の目元には薄っすら隈があって、目もどこか眠たげだ。


「もしかして……寝なかったの?」

「ち、違います! 本に夢中になってちょっと夜更かしを……それより先に勉強です! 勉強をしましょう!」

「……いや、先に君を少し寝かせないとダメだ」


 パタンと本を閉じると、ヤハウェはアリナを横抱きにすると部屋の奥にある寝台に彼女を寝かした。

 色々の布を合わせて縫い合わせた布団を被せられ、ぽんぽんと優しく叩かれる。

 布団からは干したてなのかお日様の匂いがして、部屋に飾られている火の点いた蝋燭からはほのかに甘い香りがする。


 骨や流木、貝殻が飾られている壁に天井の梁に吊るされた糸の長さをバラバラになるように床に向かって垂らし、先にはサンゴや色付きのガラス玉が先に結ばれている。

 色付きのガラス玉は部屋に入ってくる日差しが入って、室内が虹色に輝く。


「ごめんなさい……」

「大丈夫だよ、気にしないで。時間はたっぷりあるから」


 優しく髪を梳かれ、優しくもゆっくりとした鼻歌が流れる。

 窓から入る日差しで彼の銀髪の色合いが柔らかくなり、キラキラと光っていた。人とは違う姿に、やはり目の前にいる少年は聖書に出てくる〝神〟なのだと再認識する。

 そして、そんな綺麗で美しい人を自分一人が独占しているという事実に、アリナは不思議な満足感が胸の中で広がった。


 甘い香りと優しい虹の光、そして彼の鼻歌を聴いていくうちにアリナの瞼が閉じられる。

 琥珀の瞳が白い繭のような瞼に隠されてちょっと勿体なさを感じるも、すーすーと小さい寝息を立てる少女の姿を見て、ヤハウェはその寝顔を見つめ続けた。



 二時間後、ぐっすり眠ってすっきりしたアリナと勉強を再開させた。

 羽ペンを片手に羊皮紙に自分の説明をきちんと書き込む彼女の姿は、誰の目から見てもやる気を伝わせるには充分なものだった。

 休憩の時、木の実の果汁をたっぷり入れたケーキをおやつに出すと、アリナは目をいっぱいに輝かせながらケーキを頬張った時は年相応らしい反応を見て、つい声を出して笑ってしまった。


 頬についた食べカスを取ってあげると、彼女は頬を染めて「ありがとうございます」ときちんとお礼を言った。

 食べ方も綺麗だったところ見るに、家でちゃんと教育されているのだと理解する。さっきまで無邪気に自分の腰を抱きしめて、激しく興奮していた子とは思えない。


 ひとまず教える内容を教え終え、手製の日時計で時間を確認するとアリナの家の夕食の時間まで少しばかり余裕があるため、外に出て外の空気を吸った。

 夜になると昼間と違ってぐんと寒くなるが、この時間帯だと空気が澄んでいる。

 肺いっぱいに空気を吸い込んでいると、アリナが自分の顔を上から見ていた。


「……な、何?」

「ねぇ、ヤハウェはなんでここにいるの? あなたが神様なのは内緒だけど、その姿で村にいても全然怪しくないよ?」

「そう……かもね。でも……僕、一度この姿で人前に出て、人の子に迫害されたことがあるんだ」

「えっ……?」


 ヤハウェから告げられる真実に、アリナの顔が驚愕に染まる。

 羽織っていたフードの裾を弄りながら、自分にとっては最近、でも人の子にとっては数十年前になる出来事を話し始める。


「僕はこの星を創ってから、花や鳥に化けながら時代を見守っていたんだ。でも……好奇心で人の姿で街に出たんだけど……その時に僕が人とは違うと見抜いた聖職者がいてね、その人が大騒ぎしたせいで人の子から石とか枝を投げつけられたんだ」

「そんな……ひどい……」

「もういいんだ、終わったことだし。それに……その時はひどいより驚きの方が強かったかな」

「驚き?」


 アリナの疑問の声を聞きながら、ヤハウェは小屋のそばにある川に手を入れる。

 川は山の湧き水が流れてできたもので、ここより少し先に進むと滝がある。川の水は季節柄もあってとても冷たいが、その中から青緑色をした石を採った。


「最初に創った人の子には知識を与えなかった。でも、アダムとイヴが知識の木の実を食べてしまって、楽園から追い出してからは人の子は色んな知識を得るようになった。そして……思い知らされたんだ。人の子にとって、自分とは違う『異端者』には奇異と忌避の目を向けて、差別するんだって。

 予想よりも成長した人の子のことを……僕は恐れてしまった。そうして僕は人里離れた場所に暮らし、人前に出ないように注意しながら時々姿を変えてこの星を見守ることにした。……まあ、こうして君に見つかったのはちょっと予想外だったけどね」


 苦笑を浮かべると、アリナは複雑そうな表情をしながら顔を俯かせていた。

 意図しなかったとはいえ、隠れて暮らしていた自分を見つけたことにひどい罪悪感を抱いているのだろう。

 ヤハウェは小さく微笑みながら、濡れていない手で彼女の頭を優しく撫でた。


「そんな顔をしないで。僕はこうして君と楽しい時間を過ごせて本当に嬉しいんだ。それに、君にならあの『奇跡』を佳きものとして使ってくれると思ったから、勉強に誘ったんだよ?」

「本当……? また来てもいい……?」


 心配そうに問いかける愛し子を見て、ヤハウェは優しく微笑む。


「もちろん。でも、ノックだけだとちょっと怯えちゃうから、今度からは合言葉を行ってくれると嬉しいな」

「合言葉? どんなの?」

「そうだな……『美しいあなたに星の祝福を』、とかどうかな」

「……素敵な言葉。気に入ったわ」

「そっか。じゃあ、次からはそうしよっか」


 表情が柔らかくなりアリナの顔を見て、ヤハウェは胸を撫で下ろす。

 この少女にはあんな悲しい顔ではなく、笑顔の方が似合う。人前に出なくなってから人との接し方が分からなくなった身としては、どうやって笑わせればいいのか知識では知っていてもやり方が分からない。


 時間がアリナの家の夕食の時間に近づき、急いで小屋の中に置いた羊皮紙や羽ペンを作ってそのままだった革製の鞄に入れてあげながら、その日は無事一日を終えた。

 彼女を見送りながらアリナに関わった以上、今まで疎かにしていた社交性を高めようと星を創造したはずの〝神〟は密かに心に決めながら、さっき採取した石で何を作ろうか考え始めた。

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