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「トオルー、まだー?」
「ちょっと。もうちょっと待って」
「……もう」
森の中。街から離れたあの家では、五分も歩けばもう、木々が深く生い茂る。現代において、人間の生活圏は、ひどく狭い。街の中心から家までは車で二時間は掛からないだろうが、それでももう、人の気配はない。
人の気配がないと言うことは、かつて繁栄していた時の機材がそのまま、放置されているということで。
家では他人のレポートに夢中なくせに、散歩に出たら出たで、木々に侵食された機材の発掘に夢中になるトオルに、軽くため息をつく。事故前はそこまで機材には興味がなかったようなのに、どういう心境の変化なのだろうか。私の知らない間に、宗旨替えをしたようだ。
「ミカ、見てこれ。珍しいよ」
「……なぁに、それ」
「昔の通信機の一つだよ。前に、ナツヤに教えてもらったんだ」
「へぇ」
知らぬ間に、仲良くなっていたらしい。前はナツヤが一方的にトオルを嫌っていたのだが、私が眠っている間に、いつものお節介癖を発動させたのだろう。
ナツヤは昔からお節介だから……と考え初めて、おやと首を傾げる。昔からだと思うのに、具体的な思い出が出てこない。三十年には届かないが、それでも長く一緒にいた仲だ。思い出が、研究施設に入ってからのものだけなど、あり得ない。
「……ねぇ、トオル」
「これなら、中にあるレアメタルは無事なんじゃないかな。少しは備蓄が欲しかったから、ちょうど良かったー」
にこにこと、楽しそうに言うトオルに、何かを問い掛けるのは躊躇われた。よかったね、と苦笑して答える。
心配ない。恐らくは、一時的な記憶障害だろう。長く眠っていたのだし、昏睡状態に陥るということは、強く頭を打ったか……何らかの原因でダメージを負ったことに、間違いはないのだ。
だから。
「トオル、置いていくよ?」
「え、待って、待ってってば!」
「ほら、はーやーくー」
また機材の発掘に意識が向いたトオルの手を引っ張り、無理やり立たせる。散歩がしたいとは言ったが、いつまでも同じ場所で突っ立っているのはゴメンだ。
引っ張ったトオルが、思ったより体重を感じる事なく、簡単に立ち上がったことに、少し驚く。前より痩せたのだろうか。今までほとんどやったことの無い料理だが、何か作ってあげようと心に決める。知識だけはあるのだ、なんとかなるだろう。
家に戻ると、玄関の前に届け物があった。
いつもと変わりのない、冷凍食品だ。機械が作る一律のもので、温めるだけで済む代わりに、ひどく味気ない。とは言っても、料理など今や職人の仕事だ。かつては趣味で幾らかやってみたけれど、結局は機械に叶わなかった。けど。
「ね、トオル。もうちょっと、野菜とかお肉とか、買ってみない?」
「……うん?」
荷物を運び入れるトオルにそう声をかけると、不思議そうに首を傾げられた。それは、そうだろう。彼は私の料理の腕を知っているし、彼も料理はできない。誰が使うのか、という顔だ。
「仕事できないと暇だし、料理でもやってみようかなーって」
「……ミカが?」
「そうよ。いーでしょ、やること無いんだし……あ、仕事復帰でもい」
「それはダメ」
ものはついでとばかりに言ってみれば、予想以上に強く否定された。思わず目を瞬かせて彼を見れば、ひどく真剣な様子で、駄目だよ、と繰り返される。
「まだ目が覚めたばっかりなんだよ。金銭的には問題ないんだから、復帰する必要なんてない。何かあったら、取り返しがつかないんだから」
「そんなに、心配しなくても」
「ーー料理だったよね。材料、適当に頼んでおくよ」
話はこれまで、というように言葉を遮られた。トオルの珍しくも強硬な態度に、おずおずと頷く。
私の事故で、余程不安だったのだろうか。未だに、何かあるんじゃないかと、不安にさせているのだろうか。
それなら私は、彼に従うしかない。私のせいで不安にさせているなら、もう大丈夫だよと、伝えてあげないといけない。
そう思う一方で、考えるのだ。
彼が不安に思っているのは、本当に、私の体調の事なのだろうか、と。