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襟懐  作者: せい
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「ねぇ、トオル。一緒に買い物に行かない?」


 私が声をかけると、未だ見慣れない眼鏡をかけたトオルが振り向き、少し不思議そうに首を傾げた。手元の本に、指が挟まったままだ。外に出るつもりはないと、暗に言われていた。


「……必要なものは有るよね?」


 心底不思議そうな顔で言われて、ちょっと唇を尖らせる。やはり。この出不精は、買い物をすべて通信で済ませてしまうから、それを理由に外へは出られない。


「あるわよ。けど、そういう問題じゃなくて、一緒に出掛けたいの!」

「んーん。じゃあ、その辺りを散歩する?」

「まち! 街に、行きたい!」


 その辺りではなく、と私が主張すれば、トオルは困ったような顔をして、首を横に振った。

 また、これだ。目が覚めてから、何度も言った言葉。街に行きたい、友人に会いたい。ナツヤにも、もうずっと会っていない。

 何度そう主張しても、トオルは首を横に振る。


 駄目だよ。何かあったら、困るから。


 心配そうにそう言われてしまえば、私は、何も言えなくなる。昔の私なら、反論もしただろう。食い付いて、逆にトオルを引っ張り出す位の事は、した。けれど、今の私に、それはできない。


 よかった……目が覚めた……本当によかった……!


 たったの、三ヶ月前だ。

 長い昏睡状態から目覚めた私に、トオルが泣き付いたのは。何時間か経ってようやく落ち着いた彼に話を聞いて、最後の記憶から五年の月日が経っていたのを、知ったのは。

 五年と三ヶ月前。私は街で事故に遭い、意識不明の重体に陥った。なんとか命を取り留めたものの、意識は戻らず。医者も匙を投げた私の身柄を、トオルが引き取ったという。街から離れた森の中にある家を買い取り、その一室を私の部屋として。


 それからずっと、ミカの目が覚めるのを待ってたんだ。


 あの時、トオルが耳元で言った言葉が、今でも頭の中で反響している。

 街の友人も、幼馴染で親友だったナツヤも、とうに私の事は諦めた。トオルだけが、私の事を待っていたのだ。


「ねぇ、ミカ。一緒に行くから、この辺りの散歩じゃ駄目かな? お詫びに、君が欲しいの何でも買ってあげるし……そうだ、菜園に興味あるって言ってたよね。やってみない?」


 困ったような顔をして。私の好きなキレイな顔で。様子を伺うように言われてしまえば、私には、反論できない。


「……わかった。今日は、散歩で我慢する」


 ふいと顔を反らして言えば、彼は苦笑して、良い子と言うように頭を撫でた。そして、行こうか、と差し出して来た手を握る。伝わってくる体温に、目を伏せた。

 昔と変わらない。私が好きになった優しさだ。柔らかな語り口と、仕草。困った時に見せる苦笑や、首を傾げる少し可愛らしい様子も。変わらない。全然、何一つ変わらないように見えて、昔と違う事がある。


 トオルの見た目が変わって、年を取った。昔は年よりも若く見えていた彼が、病的に痩せてしまい、実年齢よりも上に見えた。

 出社はせず、家で仕事をするようになった。まるで私が消えるのを恐れるかのように、片時も離れなくなった。街へ行かなくなった。誰も招かなくなった。来るのは、配達の人だけ。それも少し離れた門扉で対応するため、私が姿を見ることは無い。


 違和感。

 そう、違和感だ。


 彼の優しい、真綿で包まれたような生活に見え隠れする、強い違和感。

 それを探るべきかどうか。

 その時の私は、悩んでいた。

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