-1-
「ねぇ、トオル。一緒に買い物に行かない?」
私が声をかけると、未だ見慣れない眼鏡をかけたトオルが振り向き、少し不思議そうに首を傾げた。手元の本に、指が挟まったままだ。外に出るつもりはないと、暗に言われていた。
「……必要なものは有るよね?」
心底不思議そうな顔で言われて、ちょっと唇を尖らせる。やはり。この出不精は、買い物をすべて通信で済ませてしまうから、それを理由に外へは出られない。
「あるわよ。けど、そういう問題じゃなくて、一緒に出掛けたいの!」
「んーん。じゃあ、その辺りを散歩する?」
「まち! 街に、行きたい!」
その辺りではなく、と私が主張すれば、トオルは困ったような顔をして、首を横に振った。
また、これだ。目が覚めてから、何度も言った言葉。街に行きたい、友人に会いたい。ナツヤにも、もうずっと会っていない。
何度そう主張しても、トオルは首を横に振る。
駄目だよ。何かあったら、困るから。
心配そうにそう言われてしまえば、私は、何も言えなくなる。昔の私なら、反論もしただろう。食い付いて、逆にトオルを引っ張り出す位の事は、した。けれど、今の私に、それはできない。
よかった……目が覚めた……本当によかった……!
たったの、三ヶ月前だ。
長い昏睡状態から目覚めた私に、トオルが泣き付いたのは。何時間か経ってようやく落ち着いた彼に話を聞いて、最後の記憶から五年の月日が経っていたのを、知ったのは。
五年と三ヶ月前。私は街で事故に遭い、意識不明の重体に陥った。なんとか命を取り留めたものの、意識は戻らず。医者も匙を投げた私の身柄を、トオルが引き取ったという。街から離れた森の中にある家を買い取り、その一室を私の部屋として。
それからずっと、ミカの目が覚めるのを待ってたんだ。
あの時、トオルが耳元で言った言葉が、今でも頭の中で反響している。
街の友人も、幼馴染で親友だったナツヤも、とうに私の事は諦めた。トオルだけが、私の事を待っていたのだ。
「ねぇ、ミカ。一緒に行くから、この辺りの散歩じゃ駄目かな? お詫びに、君が欲しいの何でも買ってあげるし……そうだ、菜園に興味あるって言ってたよね。やってみない?」
困ったような顔をして。私の好きなキレイな顔で。様子を伺うように言われてしまえば、私には、反論できない。
「……わかった。今日は、散歩で我慢する」
ふいと顔を反らして言えば、彼は苦笑して、良い子と言うように頭を撫でた。そして、行こうか、と差し出して来た手を握る。伝わってくる体温に、目を伏せた。
昔と変わらない。私が好きになった優しさだ。柔らかな語り口と、仕草。困った時に見せる苦笑や、首を傾げる少し可愛らしい様子も。変わらない。全然、何一つ変わらないように見えて、昔と違う事がある。
トオルの見た目が変わって、年を取った。昔は年よりも若く見えていた彼が、病的に痩せてしまい、実年齢よりも上に見えた。
出社はせず、家で仕事をするようになった。まるで私が消えるのを恐れるかのように、片時も離れなくなった。街へ行かなくなった。誰も招かなくなった。来るのは、配達の人だけ。それも少し離れた門扉で対応するため、私が姿を見ることは無い。
違和感。
そう、違和感だ。
彼の優しい、真綿で包まれたような生活に見え隠れする、強い違和感。
それを探るべきかどうか。
その時の私は、悩んでいた。