五通目 成される退廃 三
大男は不吉に笑った。想像通り、この吸血鬼は随分と長命であった。そして彼女の記憶を覗いた時、より鮮明に描かれたのは――
「……う……あ……最悪の目覚めだ……」
リュドミラが目を覚ました。大男の術によって、強制的に走馬灯のように記憶を想起させられていたのだ。良いことも悪いことも、強く残る記憶はより鮮明に。
「教会を巻く炎、雪国の戦場、それに……あれは確か、虚御所が管理していたという西洋妖怪の街だったか? 面白い人生を送ってきたものだな」
「そりゃどうも。アンタが色々と思い出させてくれたおかげで動悸が止まらんぞ」
軽口を叩くリュドミラの声が震えている。大男は鼻で笑った。
「その身を霧に変化させ、物質をほどく(・・・)。目も利くというな、吸血鬼は。大変よろしい」
大男は声を一際響かせた。
「こちらの要望を叶えるのならば、お前の要望も叶えよう」
「……味方になれと? あの花相とかいう妖怪じゃ人手不足なのか?」
リュドミラが強がって鼻で笑うと、大男は人間味のある深い溜息をついた。
「あいつは実に危うい。山神は人間の女嫌いだというのに、元人間であるにも関わらず山に入り、あの半妖の娘までおびき寄せる始末。もはや自分の目的以外、何も考えてはおらんのだ」
山神は人間の女性を嫌う。もし女性が山に入ると神隠しにあう、病に臥せる、怪我をするなど、様々な話が伝えられている。花相は自分だけでなく翠を山に入れようとしていた。結局翠ではなく、翠に変化した篠目だったわけだが。
「ほう、翠ちゃんは半妖と。どうやらそのあたりの事情がややこしいらしいな」
「……はっはっは、話しすぎたか。まあよい。花相は少々手に負えないところがあってな。そこで取り引きだ」
「素直に聞くと思うのか」
「案ずるな。取り引きと言えど、我の望みが叶えば、必然的にお前の望みも叶うのだ」
「なんだって? アタシの望みって――」
「討てばよいだけだ。虚御所の姫とやらをな」
「花相、裂け目、現世。花相に襲われたようだね。裂け目……は解釈の余地があるが、現世に連れて行かれたということだろうか」
「和巳さんは翠ちゃんと一緒にいてください」
「なんだか物騒だねェ。翠は見ておくから、早く片付けておくれよ」
「おーい暮相! 結界が強すぎて茶屋に入れねーんだけど、なんかあったの?」
下から少年の声が聞こえた。篠目が困り眉に膨れ面の微妙な顔でこちらを見ていた。
「和巳が君みたいなイタズラ小僧すら店に入れないほどの大事だよ。危ないから帰りなさい」
「えー! そんなのってないぜ! 翠の代わりに山登りしてやったのによ〜」
「……確かに、すでに結構巻き込んでたな。よし、上がってきなさい」
そう言われるやいなや、篠目は顔を輝かせて日除け幕を光の速さで駆け上がり、暮相たちのもとに仁王立ちした。
「おう! 依のネェちゃんもいるじゃん!」
「こんにちは」
「ってうげぇっ、なんだその真っ白い手は!」
「リュドミラの手だよ。さっきから手のひらに文字を書いて意思疎通を試みているんだが……応答がなくなった。篠目は鼻が効くだろ。リュドミラがどこへ向かったか分かるかい」
リュドミラの片手に恐る恐る近づいて鼻を鳴らしながら匂いをたどる。
「ん〜。フンフン。リュドミラの姐さんは……ここから動いてない、と思うな。アイツの匂いもする。線香っぽい。かそう? みたいな名前の、山の上で会ったやつ。あともう一つの匂いも微かにあるけど、これは誰か分かんねぇなぁ」
「花相がいたのは予想通りだが……もう一人いたのか」
「あと、ここで三つの匂いがぷっつり途切れてるぞ」
篠目が屋根の一部を指さした。ちょうどリュドミラの手が落ちていた場所を。
「匂いの途切れ……裂け目が現れたのはそこか。虚ろ街の結界を部分的に裂いて、リュドミラを攫って、現世に逃げたのかもしれない」
「虚ろ街の結界を裂く……? 可能なのですか。この街の結界は強力で、決められた扉以外からは現世に出られないと聞いてますが」
「多大な妖力と術を知っていればできるだろうな。禁術のはずだが。いや、それはともかく、今はリュドミラと花相が現世のどこにいるか、だ。彼女を追えば、禁術の使い手も自ずと姿を表すだろう」
「……やはり、向かうべきは先の扉ですね」
「え? どこ?」
「かつて花相がいた村へ続く扉だよ。篠目、ご協力ありがとう。助かったよ。また今度お菓子を買っておくから、今日はお帰り」
「なぁ、その途切れた匂い、なんとなくだけど……ちょっと怖いぞ。本当に行くのか?」
「行くよ。助手と友人を攫われて黙っていられないさ」




