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閑古庵のお便り  作者: 稲生 萃
五通目 成される退廃
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五通目 成される退廃 ニ

 気が付くと、暗く、埃っぽい畳の部屋に寝ていた。リュドミラは起き上がると切られた左腕を止血するように縛った。しかし屋根の上に落としてきた左手はまだ感覚が繫がっていて動かせるのだ。誰かが拾ってくれたら何かしら伝達できるはず。痛いことには痛いが、昔に体中を蜂の巣にされた時よりマシだと思い直す。

 吸血鬼は夜目が効く。この程度の薄暗さなら観察も探索もできる。周囲を見ると、ここは廃墟となった日本家屋らしいことに気付いた。近くに愛銃も転がっている。

「はぁ、どうしたもんかね」

 リュドミラはその場に胡座をかいて考えた。

 翠ちゃんの監視をしていたのに、アタシが脅威に攫われてしまった。とはいえ和巳さんがいるからそう簡単に翠ちゃんに危害は及びそうにないが、依と暮相さんがいつ気付くか。今花相はどこにいて、アタシを掴んだ大きな手はなんなのか。そしてここはどこなのか。

 取りあえず、最後の疑問から解決することにした。

 目の前にあった襖を開けると、真正面に長い廊下があり、その両側にまた無数の襖がある。突き当りには玄関。つまりリュドミラは一番奥まった広い部屋に入れられていた。実に簡単な構造だ。

 背後の障子を開けると、小さい庭のような空間と、その奥に森が茂っている。その時、背後から声がした。

「目覚めるのが早いわね。随分妖力を吸い取ったと思うのだけど」

 振り返ると花相が立っていた。幾重にも着た着物の合間から白い素足が見える。

「ここはどこだ。現世か?」

「そうよ。結界が張ってあるから簡単には出られない。大人しくしててよね」

 花相はそれだけ言うと部屋から出ようとした。

「待て! さっきの巨大な手はなんだ? どうしてアタシを手にかけない? 力を吸い取られ、左腕はない。排除するには絶好の機会だろう。それになぜ銃まで――」

「うるさいわね! あんた気絶しても銃離さないしあんたは……弱いから倒す価値もないの! 黙らないとまた食らわすわよ」

 先程までの可憐な少女とは思えないほどの剣幕で叫んでから、落ち着きを取り戻して口を開く。

「さっきこっちに引きずり込む時、少しだけあなたの思念や記憶が見えたわ。……やっぱり御庭番衆の一人だったのね。ま、そんなこともうどうでもいいけど」

 ぴしゃりと襖が閉められる。急いで後を追うも、花相の姿はもうどこにも見えなかった。

 その時、リュドミラの切り取られた左腕に何かが触れた。誰かに持ち上げられている?手の大きさや硬さから依だと分かった。今のうちだ。書く動作のジェスチャーをする。ペンか何かを持たせてもらう。利き手ではない方で文字を書くためおぼつかない。書きやすいカタカナで簡潔に状況を伝えた。取りあえず連絡手段はなんとかなりそうだ。

 廊下の両側にある襖を開けていく。片方にニ部屋ずつ。つまり、この家屋は今リュドミラが出た大きな部屋と小部屋合わせて五つの部屋に分かれているらしい。一部屋は使われた形跡のない土間だった。

 他の部屋の朽ちかけた箪笥や畳を観察する。箪笥には乱雑に筆記用具や紙が数点あったが、人の顔のような落書きやリュドミラには読めない崩し字の文章ばかりで、何も情報が掴めない。

 畳はあちこちがささくれだって虫食いの跡が至るところに残っている。ふと、一枚の畳に目が止まった。畳縁に丸く指を引っ掛けた痕跡がある。

 リュドミラは思い出した。花相が「結界が張ってあるから簡単には出られない」と言っていたことを。彼女の背後には、何者かわからない強さをもつ妖怪がいるようだ。しかし彼女本人の妖怪としての格はリュドミラに劣る。つまり、リュドミラがこの結界から簡単に出られないということは、花相も出られない可能性が高い。ならばこの結界には虚ろ街に通じる出入り口があるはずで、それはリュドミラに見つからない場所に隠すはずなのだ。

「隠し場所としては安直だが、他に何か隠せそうな場所もないしな……行くしかないか」

 部屋に転がっていた火かき棒を畳に引っ掛け、足で踏めばてこの原理で畳が持ち上がるようにする。

 右腕だけでなんとか弾丸を確認して銃を持ち直す。

 深く息を吸い込んでから、じっくり力を込めて火かき棒を踏む。

 ゆっくりと畳がめくれ上がり、影から地下に通ずる穴が現れた。人の気配はないが、息を潜めているだけかもしれない。音は聞こえない。リュドミラが警戒しながら穴を覗き込むと、はしごが見えた。

 もしかしたら、この先にいるのは花相かもしれないし、リュドミラを掴んだ巨大な手の持ち主かもしれない。しかし出入り口は必ずあるはずなのだ。

 はしごを静かに降りる。ブーツの底に古びた木の感触が伝わる。底に降り立つと、十メートル程のトンネルの先に広い空間が広がっているのが分かった。そしてそこから微かに妖気が漂ってくることに気付く。リュドミラは覚悟を決めて、広間に向かう。

「花相の言っていた御庭番とは君のことかね」

 地の底を這うような低い声が響いた。

「すまないが、そこからすぐ引き返して大人しくしておいてくれ。この手は君を潰すこともできる」

 トンネルから広間に出るまであと五歩といったところで声がかかったのだ。リュドミラからはまだ広間の全容は見えていないが、既に規格外な大きさの身体が見える。遮蔽があり、また吸血鬼の目を以てしても見えづらい暗さも相まって顔は見えないが、リュドミラのはるか頭上から声がしているのは確かだ。

「……アタシだって事情があってな、虚ろ街に帰らなくちゃいけない。だがアンタ、言葉は通じるようじゃないか。そこに出入り口があるか否か、それかここは現世のどこなのかだけでも教えて貰えれば、アタシはここからしばらく足を踏み出さないつもりだ」

「……ふむ。信用なぞしておらんが、前者は教えてやろう。出入り口はここにあるぞ」

「そうかい」

 足を踏み出さない、と言っただけだ。リュドミラがニヤリと笑う。

 吸血鬼には、様々な能力があるとされる。血を操る、人の血を吸って眷属にするなどが有名だ。そして一際厄介なのが、物質を霧に変化させる能力である。これは吸血鬼自身の体にも適用でき、霧となった体は細かな隙間をくぐり抜け、移動した先で再構築することもできる。

 リュドミラの体がさらさらと赤い霧になっていく。愛銃も、服も、ブーツのつま先まで。

 そう、一歩も足を踏み出さないで移動するだけだ。

 霧となった体が広間に流れ込む。

 やはり薄暗くて低い声の主の顔はよく見えないが、こちらに気付いた様子はなく、身じろぎひとつしない。霧になったリュドミラは出入り口を探すため周囲を見渡す。

 段のついたすり鉢状の洞穴。トンネルの真正面に大男が座っている位置取りだ。

 そして大男の後ろに回った時、古ぼけた木の扉が見えた。リュドミラはそれが虚ろ街との出入り口だと確信した。

 霧が扉めがけて空気に乗った時、大男の低い声がまた響いた。

「西洋の吸血鬼がなぜここにいるのか知らんが」

 霧を遮るように大男が紙札をばらまいた。霧の粒子が紙札に吸い寄せられ、リュドミラの体が再構築されていく。強制的な構築に体が痛む。その上、紙札に拘束の術がかけられていたようで、思うように体が動かない。

「反抗するならば交渉しようじゃないか」

 大男が言った。痛みと拘束術で土の上に転がるしかないリュドミラは大男を睨みつける。

「交渉というからにはおまえの利点を知る必要がある。おまえの半生を見せてもらおうじゃないか」

「……やめとけよ、アタシの半生なんてアタシ自身覚えちゃいない」

 引きつった笑みを浮かべるリュドミラの口だけの抵抗も虚しく、大男は彼女の頭に手をかざした。

 リュドミラの意識がぷつりと切れた。

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