四通目 もの病みと夏 五
「先生!毛虫!」
「先生は毛虫じゃありません。どれどれ」
翠が手を置いたタンスの上に、毛虫にしては大きい何かが乗っていた。それはうぞうぞと体を動かし、こちらに近づいているようだ。タンスのふちギリギリで動きを止め、頭と思われる部分を持ち上げる。そこには、先ほど出会った毛羽毛現と同じようにつぶらな瞳が二つ、すがるようにこちらを見つめていた。
暮相がその瞳の下に溜札をそっと貼ると、一筋の切れ込みが入り、もにょもにょ動き出した。
「んぐ……んぐぐ……」
一回り小さい毛羽毛現が喋り始めた。
「あなた……がたは、いったい……」
「笹原さんからの依頼で調査に参りました、暮相芳乃と申します。あなたが笹原裕介さんですね」
「……そうです」
簡単な自己紹介を済ませ、調査の内容について話す。妖怪・毛羽毛現が家に棲みつくと病人が出る事や、その毛羽毛現がこの家に棲みついている事、笹原裕介自身がその妖怪になってしまっている事。意外にも裕介は、自身がどちらも経験したためか、妖怪や幽霊といった事象をすっかり受け入れているようだ。話している最中、裕介が口を開いた。
「僕が出会ったあのデカい毛虫は病気を運ぶ妖怪という事ですか。つまり僕はその妖怪のせいで病気を患って家族を置いて死ぬことになったんですか」
「いいえ。あの毛羽毛現がここに棲み始めたのは最近ですよ。あなたが病を患ってから亡くなるまでの五年間、この家で異常な数の病人が出ましたか」
「……いや、せいぜい誰かしらが一年に二、三回風邪をひくくらいでした。でも、そしたら最近の立て続けの病気はあれのせいってことですよね。妖怪とかお化けとかよく知りませんけど、なんでそんなのがうちに……」
裕介はうなだれている。
「毛羽毛現は希少な妖怪で、出現条件などが不明なんですよねぇ。……ところで、あなたはここで亡くなられてからだいぶ経っているようですが、その姿になるまで魂としてさまよっていたようですね。まぁ、なんとなく想像はつきますが……未練があるのでしょう?教えていただけますか」
「そりゃ未練はあります!子どももまだ小さくて、家内もおいて一人死んでしまうなんて……。どうにか、僕が生き返る方法は無いのですか!?」
家族を残して逝ってしまった未練をこれでもかと感じる懇願に、暮相は少し考えた。死んだ人間がもう一度生を受けることは、自然ではまずあり得ず、超自然的な力を使ったとしても許されざることだ。力を使うほうも使われるほうも人の道を外れかねない。
「……生き返るなんてのは、禁忌ですよ。どれだけ悲しくても辛くても、人は死んでしまったら蘇ってはいけない」
「そんな……。せめて、今まで言えなかった感謝だけでも伝えたかったのに……」
その時、翠がそろそろと手を挙げていった。
「伝えるってだけなら、私たちが介入すれば何とかなるんじゃないですか」
暮相はあっと顔を上げた。
「伝えるだけなら、確かに」
心の底では生き返ることなど不可能だと気付いていたのだろう。裕介は暮相たちに口述筆記で手紙を書いてもらう提案をすんなり受け入れた。暮相達はタンスを机代わりにさっそく手紙を書き始めた。最初こそまくしたてるようにあれこれと書いてほしいことを口にしていた裕介だったが、段々と落ち着きを取り戻していった。
この依頼は連続病人事件を止めてほしいというものだ。原因はおそらく裕介ではない方の毛羽毛現。彼を虚ろ街に移住させれば、この家で病人は出なくなるだろう。それで依頼は解決なのだが、裕介をどうするかという問題がある。妖怪になってしまった今、毛羽毛現として生きていくか、術によって成仏させるか。それを彼に決めてもらわねばならない。しかしそれは酷な選択なのである。毛羽毛現として生きていてもこの家に住まわせるわけにはいかない。この問題について翠が考えあぐねていると、裕介が世間話でもするように問いかけた。
「あなた方、この部屋に案内されてから誰かと話してらっしゃいましたね」
「ええ、笹原真さんが縁側にいらっしゃってね」
暮相が文字を書きながら答える。
「真さん……?あぁ、そういえばそろそろお盆でしたね」
翠が固まった。暮相も思わず手を止めた。
「……え?」




