二通目 時を経て 九
とうとう二通目最終話でございます。
よろしくお願いします。
暮相は考えた。この紅葉の簪を現世から虚ろ街へ運んだ人物の事、そしてその方法を。しかし少し考えても答えには辿り着けそうにない。先に簪が帰りたい場所とやらに返してあげようと思った、その矢先。
「せんせぇー、ただ今帰りましたー」
この場に居てはいけない人物、翠が帰ってきてしまったのである。
しかし閑古庵は、虚ろ街へ通じる扉から暮相達がいる部屋は見えない構造だ。暮相は咄嗟に、時間稼ぎのために口を動かした。
「お、お帰り翠!最近風邪とか流行ってるみたいだから、ちゃんと手洗いうがいするんだよ!」
「風邪流行ってるんですか?先生も気を付けてくださいねー」
「そうだね!気をつけるよ!」
翠と部屋越し、口任せな会話を続けながら、今にも喋りだしそうな簪に(喋るな)と、口を滑らせそうな篠目には(帰れ)というジェスチャーを送る。簪は大人しく目を閉じて、妖力保存のために眠る事にしたようだ。暮相は簪を柔らかい布で包んでカウンターの何も入っていない引き出しにしまう。一方篠目は少しふてくされたような顔はしたものの、渋々閑古庵を後にした。
どうやら時間稼ぎは成功したようだ。翠は素直に手洗いうがいをいつもより丁寧にしているらしい。しばらく流水の音がして、止まった。
暮相が後ろの棚から空札と筆と墨を出し、作業している風を装ったその時、棚の横の扉から翠が顔を出した。
「先生、閑古庵に落ちてませんでしたか?私の簪」
「いやー、見かけなかったなぁ。お店で無くなったんだろう?ここにはないと思うけどなぁ」
「ですよね……すみません」
「見つかると良いね」
暮相はすこし心が痛んだが、事情が事情であるため致し方なし、と思い直した。
胸の痛みをかき消すように、暮相は手を伸ばし、翠の頭の上に置いた。
「もう少し探してみよう。それでも見つからなかったら…… 代わりにはならないと思うけど、私が新しい簪でもあげよう」
「うぅ……そんな、悪いです。自分の失態なのに」
翠は申し訳なさそうにうつむく。
「まあまあ、そんな自分を責めなくていいんだよ。悪意を持った妖怪がこっそり盗っていったのかもしれないしね」
翠の頭から手を降ろす。
「……もうすこし探してみます。それじゃあ、私先にお風呂入っときますね。もうそろそろお店閉めて、ちゃんと窓も鍵かけてくださいね」
翠は立ち直したようだ。いつものしっかり者の翠の言葉を置いて、風呂場へと向かっていった。
「はいはい」
暮相は伸びをしてから閉店の準備を始めた。
現世は冬。雪は降っていないが、鋭さのある冷たい風が頬を撫でていく。暮相はいつもの濃紺の着物にマフラーや着物に合うコートなど、しっかりとした防寒をしている。そして、ポケットには布で包んだ紅葉の簪。隣にいる篠目は狸の姿で、冬場だからか毛が分厚く見える。
「いやー!!今日もさみーな!!!人間の姿じゃやってられねぇ!!」
「今だけは篠目が羨ましいねぇ」
「ふふん!いつも羨ましがっていいんだぞ!!!」
「それは勘弁してほしいかな」
「あ!?どーゆー意味だ!!」
「モゴモゴ……モゴ……」
「暮相、おめぇポケットが喋ってねぇか?」
「ああ、簪さんを入れておいた。おおかた『差し込み部分が金属製だったら今頃凍えてますねぇ!』とか話してるんじゃないかな?」
「一人で?」
「というか、一本で」
下らない会話をしながら閑古庵を出る。今から篠目が見つけたという元茶屋の店へ向かうのだ。篠目が簪の匂いを嗅いだとき、思い当たる匂いがこの山麓の町にあったのだという。
「さー行こうぜ!!出発進行!!」
篠目が枯れ葉の上を元気よく走り出す。その後を見失わない程度の速度で暮相が追いかける。
篠目が案内したのは、創箔亭という老舗料亭であった。商店街と住宅街の境目にある店で、建物自体も年季の入っている木造であった。
「ここだぜ!いっつも醤油のいい匂いがしてんだ!!」
「……確かに、うっすら良い香りが……ん?」
暮相と篠目が創箔亭から香る醤油の匂いについて話していると、突然暮相のポケットがゴソゴソと動き出した。暮相がポケットから布で包まれた簪を出し、布をめくった。
顔を出した簪は布がめくれるなり喋り始めた。
「いい香りですねぇ!なんだか懐かしいような香りです。ここが私の目的地なのでしょうかねぇ…… 」
簪はいつになく若干の不安を含ませた雰囲気だ。
「珍しく不安げじゃねぇか!!大丈夫だって!!オレが見つけたんだぜ??……ま、まあ間違ってないとも言えないけど……!」
簪に感化されたのか篠目もなぜか自信なさげになってしまった。空気を変えるように暮相が深呼吸してから二人(一匹と一本?)に言葉をかけた。
「さあ行こう。とりあえずお店の人に話だけでも聞いてみよう」
そこからは早かった。狸姿でお店に入れない篠目を店外に待たせ、暮相が店に入る。店にいた還暦の女性が出迎え、注文や食事をしながら世間話をし、さり気なく暮相が簪の話題を出した。すると還暦の女性は、昔、お気に入りの簪が盗まれたという事を話したのだ。その場で紅葉の一本簪を渡しても良かったが、成り行きで自分が犯人にされかねない上に、まだ簪から妖力の札を剥がしてない事を思い出した暮相は、勘定を払って店を出た。
「ここが君の家だ。この店の店長が君を愛用してた娘さんのようだ。良かったねぇ」
「ほ、本当ですか…… !やっと帰れるんですね!」
「良かったな簪!!」
「ああ、そうだ。彼女に返すには、君から妖力を溜めた札を剥がさなければならない。最後に言っておきたいこととか、やっといてほしいことはあるかい?」
「……そうですね。それなら、私をポストに投函する際、『ただいま』と書いた紙を一緒に入れてくださいませんか。声が無くなるなら、文字で伝えたいのです」
「分かった」
暮相は懐から小さい紙と鉛筆を出し、『ただいま』と書き、また懐から出した封筒へ入れた。
「簪!楽しかったぜ!!またな!」
「ええ、ええ、ありがとうございました。こんなに良くしてもらって……感無量でありますよ。本当にありがとうございました、暮相さん、篠目さん」
「ああ、君も帰れてよかった。また娘さんとゆっくり時を過ごせば良い」
暮相は簪の顔の裏側に手を回し、札をゆっくり剥がした。
すると、簪の目が閉じて消え、細い手足は差し込み部分に同化した。開いたら中々閉じない、見えない口ももう無くなっただろう。
「もう顔とか無くなっちまった。別れってはえーもんだな!」
「そうだね。まあ、またここに来れば、もう一度会えるかもしれないね」
「そうだな!!」
暮相は喋らない紅葉の一本簪を布で包み、先程手紙を入れた封筒へそっと入れた。
「またね」
手紙と思い出の簪は、創箔亭のポストへと。
✢✢✢
月を背景に二人の影。片方は豪勢な着物姿。片方は落ち着いた色の袴姿。
「ねぇ、そこのあなた」
「……」
「禍災百鬼夜行を一人で討伐したって本当?」
「……なんの話」
「とぼけないで。あたし見ちゃったのよ、あなたが刀で街の厄介者達成敗してるの!あなたみたいな娘があんなに強いなんてね!」
「そう」
「そんなつれないあなたにお話があるの」
「……」
「暮相芳乃って知ってる?アイツを捕らえてほしいの。生死は問わないのよ」
「!」
「ビックリしてるわね〜刀抜いちゃって」
「あの方は恩人だ。仇成すものは斬って捨てる」
「恩人?もしかして、虚御所のお姫様が関係してるあの事件で助けてもらったの?……って危ないわねいきなり斬りつけないでよ!」
「何故それを知ってる」
「調べたからに決まってるわ。まあ、これ以上話通じそうにないし、あなたの事は諦めるわね。そんじゃ、おやすみなさい」
月を背景に一人の影。瞬きの間に消えた影は暗闇に溶け、残された影は刀を納め、足を踏み出した。
閲覧ありがとうございました!
二通目はこれにて完結です。
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