二通目 時を経て 六
第六話です。着々と準備が整い始めます。
突然鳴り響くけたたましい目覚ましの音で目が覚める。驚いた心臓がバクバクと動き、音を止めようと体も動き出す。
暮相は寝ぼけ眼で腰に布団を引っ掛けたまま、凄まじい音を鳴らす目覚まし時計のある障子の向こうへ這って出た。障子を開け、目覚まし時計の上部を軽く叩くと止む音。
音が止むと、暮相は四つん這いの状態から力を抜きうつ伏せに倒れた。
「ここまで凝ったことしなくても……」
この目覚ましを設置したのは翠だ。なぜ暮相の寝室の外側に目覚まし時計があるかというと、目覚まし時計を暮相の枕元に置いておくと、すぐに目覚ましを止めて二度寝する可能性が非常に高いからである。暮相もこんな独り言は言いつつ二度寝する確率が高いことを自覚しているため、翠には文句を言えないのだ。
時計を見ると午前七時半になっていた。閑古庵の大体の開店時間は午前八時で、それに合わせて翠が時間設定をしてくれたようだ。
暮相は起き上がって伸びをする。その後、大暴れした布団と敷布団を畳み、服を着替え、顔を洗いに一階へ降りる。洗面台で顔を洗って、邪魔にならないよう髪を結ぶ。
まだ八時にはなっていないが、店の玄関の鍵を開け、窓も開けて換気をする。
「今日も良い天気だなぁ」
窓からは爽やかな風が吹いてきて、見上げれば優しい水色の空が見える。気温も適温。まさに春だ。
暮相はカウンター席の向かい側の椅子に座り、ふと考えごとをする。
「あの簪、付喪神なら話が通じるかもしれないな……。あの弱々しい妖気だとそこまで力も強くない。……準備をしておくか」
本日のやることを決める。
簪が度々零す妖気が付喪神のものだとしたら、手順を踏めば対話できるかもしれない。無害ならばあのまま簪に取り憑いていても良いのだが、翠が日常的に身に着けるものだ。なるべく警戒はしておきたい。
とりあえず翠の帰宅、または和巳からの報告を待つのみだ。暮相は準備を始めた。
……
……
「よおぉぉー!!暮相芳乃!!こんにちわ!!」
本日二度目、突然の爆音に、いつの間にかうつらうつらしていた暮相は目を覚ました。時計の針は午後四時を指している。簪についてのあれやこれやを終わらせた後、十分程うとうとしていたようだ。暮相は心臓が疲れる起こされ方だ……と思いながらも相手をする。
「こんにちは、篠目。今日も遊びに来たのかい?」
「そう!逆にオマエに遊び以外は求めてない!」
篠目は虚ろ街に繋がる扉ではなく、閑古庵の玄関から訪れた。いつも着ている紺色の作務衣に少し泥がついているのを見るに、現世に住む狸仲間と遊んでいたようだ。
「なぁー、どうせ暇だろ?ってか翠のネェちゃんは?」
「お仕事。この前と同じくらいの時間に帰ってくると思うよ」
「なんだよー、ちょっと期待してたのにー!……げっ……」
篠目はカウンター席に座ろうと暮相の方に近寄るも、暮相の背後を見てぎょっとした。暮相の方を見て固まる篠目を前に、暮相は不思議そうに尋ねる。
「うん?どうしたんだい」
「おい、その……その気色悪ぃの、和巳のやつじゃねぇの……」
暮相が後ろを振り返る。だが後ろの空間には暇つぶし用の本が並べられている本棚しかない。
「ん?何も無いけど……。また悪戯か?こんな簡単のに引っかかるなんて私もまだまだだね」
「ちげぇよ!下!本棚の下辺り!!ほんとまだまだだな!」
篠目が指さした方を見た暮相は、篠目と同じくぎょっとした。
「……おぉ。これは……」
虚ろ街へ通じる扉がある方向からカウンターの後ろにある本棚の下まで、大量の子蜘蛛が列をなしていた。それらは尚も暮相の方へ足並み揃えて向かってくる。
「こいつら、暮相に用があるんじゃねぇか?」
「そのようだね」
先頭の蜘蛛がカウンターを登り、遂に暮相が空札を散らかしたカウンターの上に到着した。すると、先頭の一匹の蜘蛛が真っ白な空札に文字を書き始めた。本来糸を出す穴から墨を垂らして書いているようだ。
「最近の蜘蛛って文字書けんだな……」
篠目は感心しながらもかなり距離をとって、指の隙間から覗いてはいるが手で目を隠している。先頭だった蜘蛛が文章を書いている間、後ろに続く蜘蛛達が紫の布に包まれた何かを運んで来た。
「ん?配達物もあるみたいだ」
暮相が布に包まれた物を蜘蛛から持ち上げ、カウンターに広げた。布に包まれていたのは翠の簪であった。その時ちょうど文章が書き上げられた。
“あんたに言われた通り、怪しい妖気がしたから翠からこっそり取ったよ。あと篠目がいたらこっちによこしな。タヌキ仲間がまた悪戯してったんだ”
「篠目」
「なんだよー!蜘蛛こえぇよー!!早く帰れよー!!」
「和巳がお怒りでね、上巳茶屋に来いだってさ」
「え?やだ……」
「君はこの辺りの地理に詳しいよね。じゃあこうしよう。篠目がこの時間ここにいた事は、和巳には秘密にしといてあげよう。ただし、私の仕事を手伝うなら、ね」
「えー……。まあ近所だったら知り尽くしてる自信はあるけどよー、オレ難しいことわかんねーぜ?それでいいんだったら乗る!」
「それでいいよ。交渉成立だ。じゃあちょっと待ってて、簪の付喪神を会話できる状態にしてくる」
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