ジルの丘 (3)
ジャスクールはまるで、別人のように優しい目でジャスミンを見つめた。そして、今まで聞いたことのないような甘い声でジャスミンにささやいた。
「ジャス、君にはどんな色もよくにあう。好きな布を選び、いつもきれいでそこに咲いていてほしい」
「ジャスク、まあ、なんてお優しいの」
ジャスミンは透き通るような声でジャスクールに答える。その声で、マッカラムは言いようのない複雑な気持ちになった。
ジャスミンの声はマッカラムの心の奥にある、熱いものを引き出してくる。苦しい。だが、なんだ「ジャスク」とは。マスカでさえそんな呼び方はしなかった。そのジャスミンの声にこたえるジャスクールと言ったら、まるで飼いならされた犬じゃあないか!
その二人を見ているだけで、マッカラムの心はねじくれたような、痛いような、かゆいような気持ちになるのだった。
マスカが言っていたように、確かにジャスクールの瞳の中には強く光る何ものかがある。それは人を強く魅了する。マスカが亡くなるまで求めていたものだ。それらすべては今、ジャスミンに注がれていた。
マッカラムはギリギリと痛む心を抑え、ジャスクールに近づくように心がけた。
「お父様。わたしにも鷹狩を教えていただけませんか?」
まず、マッカラムはジャスクールの好きなことを自分も好きなように見せかけるように心がけた。
「ほう」
まんざらでもないというように、ジャスクールはマッカラムに鷹狩のコツを教えた。だがそれはいつも気まぐれなもので、何かジャスクールが必要なこと、大事なことはいつもクッチマムがすることになっていたし、ジャスクールの心はジャスミンのとりこだった。
そこにマッカラムが入り込む隙間はなかった。
いつごろから、そんな風になってしまっていたのだろう。小さい頃には弓のけいこも指導してくれたし、少しは愛情を感じられたことがあったのに…。マッカラムは思い出そうとしてみたが、ジャスクールの心が自分に向けられた思い出はとても遠い遠い昔のことのようで、それはもろく、手の中でくずれてしまう砂のようなものだった。
マスカの影にかくれて、そっとジャスクールを見つめていた自分の姿が思い浮かぶだけだった。
だが、マッカラムは耐えた。ジャスクールをたたえ、ジャスクールの気に入るものを見つけ、なるべくジャスクールのそばにいようと心掛けた。大学校に通うようになってからは勉強にも精を出し、しっかり学校にも通ったが、鷹狩にも夢中になり、家にいる時にはジャスクールが誘わなくもジャスクールの予定を確認して、必ずジャスクールに着いて行くようにした。そして、ジャスミンにも取り入った。
ジャスミンは子供のように素直な心を持っており、マッカラムが花束を贈ると、それをとろけるような笑顔で受け取り
「マック、ほんとうにうれしいわ。わたし、お花が大好きなの。お花の中に埋もれて、ジャスクが言っていたように、ずっとずっとお花のようでいたいといつも思っているのよ」
と言い、
「わたしのことは、お母様と呼ばないでね。ジャスというと、お父様の名前と似ているから、ジャスミンさまと呼んでね」
などと無邪気に微笑む。
庭に続く階段を下りる時には手を差し出し、
「さ、わたしをお姫様だと思って、ちゃんとお庭に連れて行って」
などと笑う。マッカラムは自分の中に渦巻く複雑な心を抑え、ジャスミンンに笑顔を送った。
「ねえ、ジャスク。マックはとてもいい息子さんね。わたしのこと、とても大事にしてくれるの」
「今度のお食事会に、マックも出席させるでしょ? そのほうが楽しいわ」
と言われるようになり、ジャスクールも自然にマッカラムを自分の取り巻きの一員として見るようになっていった。
だが、マッカラムが二十歳になった時、とうとう恐れていたことが起きた。ジャスミンが男の子を産んだのだ。
男の子はジャストランドと名付けられた。年を取ってからの子どもだからなのだろうか。ジャスクールは人が変わったような優しい父親になり、ジャストランドをいつも手元に起き、かわいがった。マッカラムもジャストランドをかわいがるふりをし、近づこうとしたが、ジャスクールはジャストランドのそばを片時も離れず、せっかく取り巻きに入ったマッカラムを遠ざけようとさえした。その様子を見て、マッカラムはギリギリした。
だがマッカラムはそんな様子は見せず、鷹狩に打ち込み、馬を飼いならし、弓の練習に励み、剣のけいこを怠らず、すべての憎しみ、憤りを自分の力に変えて行った。
実は、マッカラムはジャスクールに近づいた時から、冷徹に、静かに、魔の手を伸ばしていたのだ。毒薬を手に入れ、ジャスクールと食事をするチャンスがあるときは必ず自分の手で、ジャスクールの飲み物などにわからないほど少しずつ毒薬を入れ、それを数年にわたって、根気よく続けていたのだ。どんな機会も逃さなかった。ジャスクールに近づけるすべてのチャンスをマッカラムは有効に使った。
マッカラムはすべてのことに気を配った。毒薬は決してジル駅の近くでは探さず、変装をし、遠出をして遠く鉱山の山や、海辺の方まで出かけて行って買い求めた。だれにもそのことは話さず、使いの者も使わず、いつも自分で直接それを求めた。だれにも気づかれなかった。
そのかいがあったのか。ジャスクールはある日、倒れた。強い風が吹き荒れる吹雪の日だった。
マッカラムは根気よくジャスクールのようすを観察していた。顔色が少し黒ずんできており、酒の杯を持つ手が震えていた。自分が少しずつ加えていた毒薬がやっと効果を表してきていたのだ。
ジャスクールが倒れ、寝込んでからも、マッカラムは慎重にジャスクールに仕えるふりをした。ジャスクールさえいなければ、今ならなんとかなる。クッチマムはメイドの息子だし自分より若い。ジャストランドはまだなにもわからない幼児。ジャスミンは子どものように、あっけらかんとしていて、マッカラムのことを疑うことはないだろう。
ある日、マッカラムは宣言した。
「これからは、父上の伝言はすべて私の口から皆に伝える。父上がそう望んでおられる。わたしが直接、お父様を看病する」
クルメルにはいろいろやってもらわなければならないので、病室に入ってもいいということにしたが、ジャスミンには入ってはならないと伝えた。
「この病気はまだわからないことが多い。あなたのような細い美しい方にこの病気がうつったら、父上が悲しむでしょう」
そして、クッチマムにはできるだけ、威厳をもって接した。
「もう、おまえには父上の世話はまかせられない。こんな病気になるまで気づかないなんて! わたしだったらそんなことにはならなかった。おまえはいつも父上のそばにいて、何を見ていたのだ? 役立たずが!」
そして、自分のしもべのように、自分の用事を言いつけた。
幸い、もうジャスクールはしゃべることができなかった。マッカラムがジャスクールの病室に入ると、ジャスクールは白い泡のようなよだれを口からぶくぶくと出し、何か言おうとするのだが、何を言っているのかわからなかった。
だが、マッカラムは気をつけてジャスクールに接した。ジャスクールの目の奥にはまだ燃えるような強さがあり、すべてを見通すような鋭い目をマッカラムに向けていた。
「お父様、なにかほしいものはありますか? なんでもわたしが用意いたします」
マッカラムはうやうやしく、ジャスクールに言った。が、心の中では(これで、お母様の気持ちがわかっただろう! もう、おまえに力はない。お前はこのまま死んでいくのだ)と冷たく思った。