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クロウ   作者: 辰野ぱふ
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黒い人たち (1)

 ムーニーはタイラ親子が初めてジャム・サ・ドラの町にやって来た時のことを良く覚えている。

 いつものように店先に立っていたら、急に空がくもり、今にも雨が降り出しそうな黒い雲が低くたれこめた。そこに、帽子も、ドレスも、荷物も全部黒づくめの女が二人静かに駅の方からこちらに向かって歩いて来たのだ。見たこともない気味の悪い女だ。車のついた、身体ほども大きい荷物を二つも引っ張ってゆっくり歩いて来た。


馬車をやとえばいいのに、とムーニーは思った。前を歩いている女がタイラの母、ロミファだった。瞳がまったく見えない、黒いガラスの丸ぶち眼鏡をかけていた。そしてその後ろからロミファより少し背の低い女が赤ん坊を抱えていた。それがお手伝いのルーズなのだが、見た感じ、ロミファよりも年老いていた。その手の中にいた赤ん坊がタイラだ。


二人の女と赤ん坊がムーニーの店に向かって来ると、それまでざわざわとお客と話していたのに、なんだか言葉が見つからなくなって、通りはしんと静まり返った。みながみな、その奇妙なよそ者を見つめていた。

 その大人二人と赤ん坊一人の三人連れは、周りの人たちの注目を集めながら、じりじりとムーニーの店に近づいてきて、そして、そこを曲がってドラ・サ・ミミュウの森の方に曲がって行ったのだ。


(いったい、どこに行くのだろう)とムーニーは思った。

 いつもの陽気で親切なムーニーだったら、走り寄って「どこに行くのですか?」と尋ねただろう。「この先に行っても何もないですよ」と、教えてあげただろう。

 だが、この三人連れは人を寄せ付けない透明な膜でおおわれているかのように、周囲の視線を跳ね返し、ゆっくりではあるが、確実に森の方に曲がって行ったのだ。迷う様子はなかった。


 三人の姿が見えなくなってしばらくすると、冷たい空気が森の方から流れてきて、ムーニーはむき出しの腕を抱えた。季節は寒い季節が終わった頃で、せわしく働いていると、汗をかくくらいだったのに…。

そして、その風が合図になったように、大雨になった。

 店のちょっと奥にある揺りかごには、まだ赤ん坊だったマミリが眠っていて、火がついたように泣き出した。

「おやおや、今日は変な日だわ」と口の中でボソボソいいながら、ムーニーはマミリを抱き上げた。

 ムーニーはこの一行が気になったが、森の方まで様子を確かめに行く気はしなかった。その当時、森に近づく者はおらず、そこでだれかが生活するようになるなどとはだれも思いもしなかったのだ。


 その次の日から、タイラが学校に上がるまでは、年老いた手伝い女のルーズが、ムーニーの店に野菜を買いに来ていた。ムーニーはほかのお客に接する時と同じように、明るく親切に話しかけた。でも、この老婆といったら、ニコリともしなかった。そして、やっぱりいつも黒ずんだ地味な色のドレスを着ているのだった。

 ムーニーはときどき、まだ赤ん坊だったマミリを背負って店に出ていた。あの黒い奥さんが連れていた赤ん坊はいったいいつ産まれたのだろう。いろいろなことが気になった。

 数年たつうち、ルーズもしわがれた声で、ときどきはムーニーの質問に答えるようになり、お屋敷に帰りたくないのか、疲れているのか、店の前に積んであるミカン箱に座って少し休んで行くようにもなった。

 ムーニーは、時にはおいしいお茶をごちそうして、そのたびにルーズから少しずつ少しずつ、屋敷の様子を聞いていった。

「ルーズ!」

 と、ムーニーはわざと親しげにルーズに話しかけた。

「お屋敷のお世話は大変でしょ?」

「な…、こと、ね」

 ルーズはどこの言葉とも知れない不思議な話し方をした。

「奥様のお子さんはお元気?」

「あ」

 この、ただの「あ」というのが「はい」という返事のようだった。

 その頃、マミリはもうおしゃべりな娘に育っていて、マミリが一番下のバリーをおんぶしていて、バリーのまるまると太った横幅はマミリの上半身とほとんど同じくらい。バリーの足がだらんとたれていると、地面にくっつきそうだった。

 ジャニは走り回り、ドニはそれを追いかけようとヨチヨチ後をついて歩いていた。

「お医者さまが必要な時には、このムーニー言っておくれよ。ほら、うちにもこういう小さいのがたくさんいるでしょう。いつだってお役に立てるわよ」

「な」

 この「な」は否定の意味で、「いらない」とか、「知らない」とか「いいえ」とかいうことらしかった。

「あのお屋敷は、もともと奥さんのものだったのかしら?」

「あ」

「昔は住んでいらしたの?」

「な」

「奥様の名前はなんとおっしゃるのかしら? ほら、だれかが訪ねて来た時にね、この店でみんな聞いていくのよ。だから、何かの時にお役に立てるから、お名前くらい知っていないとね」

「ロミファ カレンズ」

 ルーズはしょぼしょぼした声で答え、深いため息をついた。

「じゃあ、お子さんのお名前は?」

「タイラ カレンズ」

「男の子?」

「な」

「なにかあったら、なんでもお話してね、とにかくこのムーニーがなんでもお役に立てると思うわ」

「な」

「奥様は、何をしていらっしゃるのかしら?」

「……」

「どこかにだんな様がいらっしゃるのかしら?」

「な」

「それじゃあ、お金はどうしていらっしゃるのかしら?」

「…」

「奥様は何をしていらっしゃるの?」

「病気だで」

「え?」

「寝なさっと」

「あら…。それで大丈夫なの? お医者様は来ていらして?」

「な」

 こんな風に、ムーニーが回りくどく聞き出して、切れ切れの言葉をつなげて、タイラが学校に上がるまでには、なんとなく、黒の館のことがおぼろげながらわかるようにはなった。

そしていつもムーニーは思っていた。あんな暗いお屋敷に、病気の母親とあまりしゃべらない暗いお手伝いさんとで暮らしていて、そのタイラという女の子は大丈夫なのだろうかと。外に遊びに出ることがあるのなら、きっとマミリがいい遊び友達になるのにと。


 そして、この何年かの間に、この黒の館を訪ねて来た人が数十人はいた。

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