クッチマム (1)
その日、馬に乗って黒の館を訪ねて来た人がいた。ジル駅から来た、クッチマム・ジルムンドリドだと男は名乗った。
クッチマムはもちろん、ロミファに会いに来たのだが、扉の所で迎えたルーズに
「奥さん、寝なさっと。もう、できねえ」
と言われ、困り果てていた。
朝一番に、マッカラムがいつもかわいがっているあし毛のスヌカにまたがりやってきて、もう昼を過ぎていたし、久しぶりに馬に乗ったということもあり、疲れ果てていた。
それに、ここに来ればどうにかなると思っていたので、食糧などは何も持ってきてはおらず、スヌカにも水をやりたいし、自分もとにかく少し中で休ませて欲しいのだが、いろいろ言い方を変えてみても、この細いヨボヨボの老婆は同じ言葉を繰り返すだけだった。
タイラは聞くとはなしにこのやりとりを聞いていたが、自分が出て行った方がよさそうだと判断した。
小さいころからずっと、来客が来ている間は息を殺し、自分の存在を消すようにしていたので、そのくせがついていた。
もしロミファに尋ねたら? きっとタイラが来客に関わることを嫌がる。でも今は聞くことさえできない。ロミファはここ数か月の間寝たきりで、夢と現実との間を行き来している感じなのだ。
タイラは自分の姿を姿見に映して見た。そして、
「だいじょうぶ」
と自分に言い聞かせた。
「失礼いたしました」
とタイラはルーズの後ろからクッチマムに声をかけた。
クッチマムは、話が通じそうな若い女性が出て来たことでほっと息をつき、
「無理を言ってもうしわけありません。わたくし、朝から馬でここまでやって来ておりまして…。その…、図々しいのですが、馬にもわたくしにも…、何か飲み物をいただきたいのですが…」
「ええ。どうぞ」
とタイラはクッチマムを屋敷の中に招き入れた。そして、ソファに座るように促し、
「ルーズ、お茶を淹れて下さらない?」
と言った。
「けど…」
とルーズがまだ何か不服そうにしているので、
「大丈夫よ。ルーズ。今はわたしがここの主人。そうでしょ?」
と言い、クッチマムに軽くほほ笑んだ。
「ロミファ様はもう診断はなさらないということでしょうか?」
とクッチマムは不安げに聞いた。
「ええ。申し訳ございません。母が寝込んで二月を数えます。まあ、それ以前も寝ていることが多いような生活でしたが…。ここのところ本当に弱っておりまして。火を見るのには母の力を全部かき集めなければならないのですが、そんなことをしたら、母はもうまちがいなく、力尽きてしまいます」
「ロミファ様のお嬢様?」
とクッチマムが聞いた。
「え、ええ」
「お嬢様は占いをなさらないのでしょうか?」
「はい」
「そうですか…」
「遠い所をわざわざいらっしゃったのに、本当に申し訳ございません」
クッチマムは心底がっかりしたようにソファに埋もれた。
タイラはこの男が「ジルムンドリド」と名乗った、その名前に興味があった。
数日前のことだ。外でカラスたちが騒がしいので、鷹にでもねぐらを見つかったのか? 不審に思い、タイラがカラス小屋に行くと、迷い鳩が訪れたらしく、グアラがその鳩を鋭いかぎ爪で地面に押さえつけ、今、そのくちばしで突っつこうとしているところだった。
周りのカラスたちは、それを応援するようにグァグァ低い声で騒ぎ、「やれ!」「やれ!」とはやしたてていた。
「おやめ!」
とタイラが声を上げると、グアラはそのビー玉のような眼玉をタイラに向け、自分の止まり木に戻った。
鳩の片羽はもうもぎ取られていた。
「なんてこと!」
とタイラはグアラをにらむと、鳩を自分の部屋に持って行った。
こんな所に迷い込んで来るなんて、なんて不運な鳩なのだろうか。鳩はもうぐったりしいていて、息を吹き返しそうもなかったのだけれど、せめて最後はカラスの餌食にせず、裏の動物墓地のどこかに埋めてやろう、とタイラは思った。
グアラたちは弱っている小動物を捕まえて来ることがあり、それはカラスの習性としてしょうがないとわかっていながら、タイラはいつも悲しく思い、自分が気がついた時にはグアラを叱り、自分の手で動物たちを葬ることにしていた。
そのほかにも、森で見つけた動物の亡骸などは、その墓地に埋めてやるのだ。
カラスには充分な餌を与えているというのに…、それにカラスは自分より強いものにはかかっていかない。自分がたやすく仕留められる獲物を探し、狙う。
そういう現場を見る時、タイラの心の中にはカラスに対する怒りがわくことがあるというのに、もしかしたら、グアラはタイラが喜んでいると思っているのかもしれない。グアラの仕留めた動物を取り上げると、グアラはいつも誇らしそうに仲間にグァグァと太い声を上げるのだが、それはまるで自分の行動を自慢し、威張っているように見えた。
きっと自分が手柄を立てたと思い込んでいるのだ。
どんなことをしても彼らには伝わらないだろう自分の複雑な気持ちを、タイラはもてあましていた。




