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クロウ   作者: 辰野ぱふ
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ジルムンドリド家 (1)

 長くマスカが眠っていた部屋には、今、クルメルが眠っていた。

 クルメルは二年前の寒い日にキッチンで倒れた。そして、動けなくなった。

ジャスクール伯爵が亡くなってから、マッカラムは新しい屋敷を隣に建てて、自分はそちらを使うようになっていた。ジャスクールがこの屋敷を使っていた時代には、クルメルとクッチマムの部屋はジャスクールの隣の執事用の部屋だった。だが、マッカラムが古い屋敷を嫌い、寄りつかなくなってから、古いジルムンドリド家は、クッチマムの屋敷のようなものになった。

「ようなもの」というのは…、マッカラムがそれを宣言したわけでもなかったのだが、マッカラムはもう古い屋敷のことが話しに出るのもいやなようで、今、誰がどのように使おうともまったく気にしていなかったからだ。



 クルメルが倒れた時、クッチマムがマッカラムにそれを告げに行った時のことだ。

「母上が倒れ、執事部屋に寝ていますが…、あの部屋には窓がなく、病気の母には暗く、身体に良いとは思えません」

 とクッチマムは恐る恐る切り出した。すると、マッカラムは冷たい黒い瞳をギロリとクッチマムに注ぎ、

「どこの部屋でも好きに使えばいい。もう、その話も、古い屋敷の話も聞きたくない。お前が好きなように、好きな場所を使ったらいい」

 ときっぱりと言った。

 マスカが使っていた部屋には大きな窓があり、ずっとジルの丘のぶどう棚を見渡せた。晴れた日には温かい光が注ぎ、寒い日にはガラス扉が二重に閉まり、やはり外が見渡せる。ベッドの上にも天窓があり、眠っている所からも外の光を受けることができたし、星空を見ることもできた。暖炉は大きく暖かい空気を循環させ、薄いネグリジェのままでも揺り椅子に座ってやり過ごすことができる。


それから、今までしてきたのと同じように、クッチマムはいつも古い屋敷をきれいに保ち、ジャスミンの部屋を確かめ、その合間にマッカラムの新しい屋敷も見回り、きれいになっているかどうかを確かめた。


 古い屋敷の裏には厩舎があり、今はそこがジャストランドのいちばんのお気に入りの場所だった。

ジャストランドは背の高い青年になり、ジルの丘を走り回るのが大好きだった。ジャスミンゆずりの淡い金髪の髪に、透き通るような青い目、細く白い手はまるで少女のようだった。

「ジャス!」

 とクッチマムがジャストランドを呼んだ。

「ああ、兄さん」

「どうだい? ジャスミン様のご様子は?」

「うん、相変わらず髪をといて、何か歌っています」

「花は足りているかな?」

「ええ、いつもありがとうございます」

 ジャストランドは行儀よく答えた。

「それより、兄さんのお母様はいかがですか?」

「ああ…。寝ている。どうもマスカ様の病気と同じ病気のようだ。たぶん、もう…、治らない」

「サイカ郡の病院にお連れになったのですか?」

「サイカ?」

「ええ。ジャム郡の病院は小さくて、大きい病気の時にはあまり役に立たないという話を聞いたことがあります。馬車をお立てになってお連れしたらいかがでしょう?」

 クッチマムは「う」と言って言葉に詰まった。

「花は足りていますか?」

「花?」

 とクッチマムは苦々しく笑った。

「花なんか飾らないよ」

「え? そうなんですか?」

「そうさ。花なんかいらない。母さんはいつもジャスミン様の部屋を花でいっぱいにしていたけれど、自分の部屋に花を飾るなんてことは望んでいないんだ」

「へえ、そうなんですか」

「マスカ様のお部屋にいられることで、もうこれ以上の幸せはない、と言っていた。あのベッドで静かに眠っている時は、いつも穏やかで、静かに息をしている。もう動かすこともかなわない」

「そういえば…、兄さんは馬に、乗らないんですね?」

「今は…、乗る必要はないからな」

「一度乗ってみたらいいのに。朝が始まるころ、霧がうっすらかかっている中を走るのが特におすすめです。すごく気持ちがいいです」

「そうか…。そうだったかもしれないな。昔は乗ったんだ。父上が教えて下さった」

「兄さんはいつも働いて働いて働いて、何か楽しいことがあるのですか?」

「え? 楽しい?」

 とクッチマムは考えた。

「そうだな。皆がおいしい料理を食べて、何も文句を言わないこと。お屋敷の中がきれいに片付いていて、古い空気がたまらないようにすること。ジャスミン様の部屋に長持ちするきれいな花をとどけること。枯れた花は一本とて入っていない。そんな花を飾り続けること。そんな事かな? わたしの楽しいことというのは」

「働くことが楽しいことなのですね」

「そうなのかな?」

 クッチマムは自分の手をじっと見つめた。

「この手で、何か作ったり、片付けたり、とにかくできることがあるということが楽しいことなのかな?」

「それは、すばらしいことですね」

「お父様はいつもわたしに、いろいろ教えて下さった。そのお父様が大事にしていらしたこのお屋敷を守ることも、楽しいことと言えるかもしれないな」

「そうなんですね」

「ジャス、君は何が楽しいんだ?」

「今はなにより、ランドンと走り回るのが楽しいです。それに学校も楽しいです。これからお父様もマスカ様、マッカラム兄さんも通った大学校を目指すのですから、たくさん勉強しなければなりませんし…」

「そうか…」


 クッチマムは屋敷の外でも中でも人と長話をすることを好まなかった。ふっとスイッチが入ったように、

「じゃあ、勉強に励むように」

 とジャストランドに言うと、また自分の仕事場に戻って行った。


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