第5話ありがとうテミス様
「逃げて! 今すぐ逃げて! こいつは私たちが手に負える魔物じゃないわ!」
エルザのその叫びによって並々ならぬ緊張感がその場を支配した。
だが、俺はそんな状況下の中、ふざけた様に
「無理だ、道わかんなくなっちゃったもん」
と言った。
「……は?」
俺の答えが予想外だったのか、エルザは気の抜けた声を出した。
しかし、俺の言った言葉は冗談などではなく本当のことだ。盗人ラビットを追っていつの間にか森へ、そして、今度はエルザの元に無我夢中で走ってここに、俺の方向感覚はもう訳が分からなくなっていたのだ。
そんな俺を見て、豪快に体を揺らしながらミノタウロス型の魔物は笑い、大きな口を開けて言う。
「くはははは! 面白い小僧だ! この状況でそんな冗談が言えようとは!」
「冗談じゃねーよ。つーか、お前何だ?」
俺はその魔物に強気に言った。本当はこいつのでかさ、強そうな雰囲気にかなりビビっているのだが、それを悟らせてしまったら今すぐ殺されてしまうと思ったからだ。
こいつが強いのはわかる。俺の危機察知はびんびんに反応し、生存本能はやばい! 逃げろ! と雄叫びを上げているのだ。
だが、俺はそれに従わなかった。なぜなら、ここにエルザが居るからだ。俺が今ここで逃げてしまったらこの子はどうなる? 死んでしまうのではないか?
そんな考えが俺をこの場に留めていたのだ。
「その肝の座りよう儂を知らぬからか。
なるほど、ならば教えてやろう!
我が名はグレガス! 貴様も名前くらいは聞いたことあろう?」
「知らない」
俺は自信たっぷりにそう質問するグレガスに即答した。実際知らないのだ。俺はこの世界に来たばかりの身、魔物を見たのもついさっきのが初めてだ。
すると、そんな俺にエルザが体を震わせながら説明してくれる。
「こいつはミノタウロス族のグレガス。
賞金もかけられている凶悪な魔物よ。人を攫って行く魔物。
しかも、それは女ばかりなの。だから、私が残ればこいつはここに残るはず。
ノラ一人だけが逃げるなら追ってこないはずよ。だから、ここは逃げて!」
エルザの体の震えと言葉の強さから、恐怖と一つの決心をしているのが。俺には分かった。
「そういうことだ小僧。儂が用があるのはこの小娘だけだ。今すぐ逃げだすなら見逃してやろう!」
今度はグレガスのほうがそう言うと、俺をギロリと睨む。
その睨みについ怯んでしまう。
本当はここから逃げたい! 死にたくない!
だけど、ここで逃げ出してしまったら……怖がっている女の子を見殺しにし一人助かろうとしたら……俺は人として大事な何かを失ってしまう。
そう思うと、自然と足が前に出た。
そして、俺はエルザの前へと、守るかのように立ちはだかる。
「無理だね。俺は逃げない! エルザにお前みたいなやつの相手をさせられるか!!」
俺はグレガスという強大な敵にそうメンチを切ったのだ。
グレガスはそんな俺を見て、またもや笑う。今度は顔をにやりと歪めてだ。
「面白い! どうあってもその小娘を助けるという事か! ならば、ここで殺してやろう!」
そう言いグレガスは腕を振り上げる。
それをみてエルザに避けろ! と声を掛けつつ俺自身も後方へと回避した。
グレガスの拳が何もない地面を叩く。
それはまるで、上から鉄骨でも落ちたかのような音と振動だ。
あんなものを食らったら無事では済まないだろう。
そして、それからグレガスは俺に狙いを定めているようで次々と殴りかかってくる。
俺はそれを何とかギリギリで躱していく。
グレガスの攻撃が俺に当たらないことから、俺は少し余裕が出てくる。
このまま躱し続けて、隙を狙えば、何とか逃げることくらいはできるのではないか……?
しかし、予想外のことが起きる。
「これぐらいなら簡単に避けられるか。ならば……これくらいか?」
――グレガスの攻撃スピードが上がったのだ
俺はスピードが上がった拳速に対応できず、グレガスのフックパンチをもろに受けてしまう。
そして、俺の体はそのまま吹っ飛び木に叩きつけられる。
「ガハッ!」
口から血を吹き出し、体の中があちこち痛い。たった一発で俺は瀕死級のダメージを負ってしまう。
そんな俺を興醒めだ、という風にグレガスが嘲笑する。
「中級回復魔法」
そこにエルザがやってきて魔法を掛ける。
すると、俺の下から魔法陣が出現し俺の体を癒していく。体の痛みはとれ、俺の体はいつも通りになる。
「なるほど、小娘はクレリックいや、プリーストか。
邪魔だな。上級麻痺魔法」
グレガスがそう言うと、エルザの下から俺の時と同じように魔法陣が出てくる。
「え、あ、から……だがうご……かない」
だが、効果は俺に掛けられた魔法と違う。エルザの体はその場からピクリとも動かなくなったのだ
「てめぇエルザになにしやがんだ!」
俺は体が動くようになったこともありグレガスに飛びかかる。
エルザに何かをした怒りと、今できた隙をつけば何とかなるのではないかと思ったからだ。
「ぐっ!」
しかし、実力の差は俺が思っていた以上にあるようで簡単に捕まえられてしまった。
「ふん、このまま潰してやろう」
グレガスは手に力を込め俺は握り潰そうとする。
俺の体はメキメキと悲鳴を上げていく。
「が、あ、ぐがっ!」
締め付けられる痛みに意識が遠のいていく
やっぱりダメか……?
初めてのクエストでこんな強い奴に出会うなんて運わるすぎんだろ……
俺は自分の体から聞こえる音に絶望しながら、エルザのほうを見る。
今のうちに逃げてほしい、そう思ったからだ。
だが、エルザはまだ動けないでいた。先ほど掛けられた魔法が解けてないようだ。
すると、そこに一筋の風が吹き、エルザのスカートから黒いレースのパンツが顔を覗かせた。
ラッ……キー。エルザのパンツ見えた……ぜ。
最後に良いもの……見えたな。
……ごめんエルザ……守れなかった。
……悪いテミス様――
そんな諦めのなか、テミス様で思い出す。
自分が何か能力を持っていることを!
「テクノブレイク!!」
俺は叫んだ! テミス様にもらった能力の名を。何が起こるかわからない。
うまく発動してもこの状況を覆せないかもしれない。そもそも発動すらしないのかもしれない。
だけど、俺は叫んだ。すがるような思いで。
「ぐがあああああああ!」
そして、一つの悲鳴が轟き渡った。
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「てめぇエルザになにしやがんだ!」
そう言ってわしにとびかかってくる一人の人間。
この者からしたら、わしがあの小娘に魔法を掛けたのが隙に見えたのだろう。
それを突いてくる。
だが、わしが相手にしているのは貧弱な人間。しかも、その中でもかなり弱い部類だ。
隙を突いたであろうこの行動も止まって見える。
「ぐっ!」
わしはとびかかってくる小僧を捕まえる。
「ふん、このままつぶしてやろう」
そして、わしは掌に力を込める。
やはり、人間は脆い。このまま楽にしてやろう。
そう思うわしだが、その手から何やら光が漏れていることに気づく。
光? なんの光だこれは……?
「テクノブレイク!!」
すると、わしの疑問に答えるように掌にいた人間が叫ぶ。
そして、その光は解き放たれたかのように輝く。
なんだこの輝くような光は!?
いや、それよりテクノブレイク……だと!? 此奴、絶対的破壊者と言ったのか!?
わしが人間の言葉に驚いていると、わしの目を眩ませていた光が消える。
そして、すぐに自身の手に違和感を覚える。
ん? さっきの人間の感覚がなくなった? いや、違う! ……なくなったのは儂の手だ!
わしは自身の手が消えたことを認識し、驚愕する。そして、それと同時にとてつもない痛みがないはずの手から響き渡る。
「ぐがあああああああ!」
くそ! 儂の手が消え失せた! あのガキめ!
何故、あんな者が絶対的破壊者など使える!?
わしは痛みに耐えながらその人間を睨みつけた。
だが、そこにいたのはさっきまでの死にかけで貧弱な人間ではなく、赤く輝く者だった。
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俺の手の甲から強烈な光が発生したと思ったら、いつの間にか俺は地面に足をつけていた。
グレガスの手の拘束から逃れることが出来たのだ。
だが、今の俺はそんなことどうでもよかった。
とてつもない解放感に酔いしれていたのだ。
なんだこれ、すげースッキリした。今まで溜まってたものが出てきた様な、そんな気分。すげー気分良いぜ。しかも、こんな能力とは思わなかった。
能力を発動した瞬間、不思議にもこの能力のことがわかっていた。
まるで、昔から知っているかのように。
そして、俺は目の前で俺を睨んでるグレガスに目をやる。
さっきまで、こいつのことも怖かったのに。今は何にも感じない。
まるで、地に這っている虫を見ている様だ。
すると、グレガスは無くなった手をもう一方の手で押さえながら問いかけてくる。
「貴様! どこでそれを! そんな魔法何処で覚えた!?
この世のすべてを破壊する絶対魔法、絶対的破壊者なぞ、人間が手にできるような能力ではないはずだぞ!」
「企業秘密」
俺はグレガスの問いかけにそう答え、ゆっくりグレガスに近づく。
「まて、待ってくれ! 頼む! 命だけは!」
グレガスは焦ったような眼差しでそう命乞いをする。
だが、俺は歩みを止めない。
「無理だね」
そう言い、俺はグレガスの頭にそっと触れた。すると、触れたところが塵となって消えていく。
「ぐがああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
グレガスの咆哮は彼の命が尽きるのと同時に消えた。
そして、それから、少し経つと俺から赤い輝きは消える。
俺はいつもの状態に戻り、その余韻を味わっていた。
まさかテミス様がくれた能力がこんな能力だとは……触れたものを消滅能力。
確かにこれがあれば魔王を倒すことが出来るかもしれない。
ただ、問題なのは……って、そんなことより、エルザの無事を確かめないと!
だが、すぐにエルザのことを思い出し、エルザの元に駆け寄った。
「大丈夫か? エルザ」
「え、あ、あわわわわ!」
エルザは顔を真っ赤にし体をわなわな震わせていた。
「おい! エルザ? 大丈夫か!? まだ魔法が効いているのか?」
「き、きゃああああああああああ!」
エルザは叫びながら、俺の股間を思いっきり殴った。
「ごふぁ!? な、なん……で」
そう言った俺だったが、倒れる寸前で何故殴られたのか理解した。
俺は服を着ていなかった。いや、正確には服が消滅していた。絶対的破壊者を発動し、グレガスの手を消滅させたとき、一緒に消えてしまっていたのだ。
「なる……ほど。あれの……せい……か」
そして、俺はそのまま痛みで意識を失ってしまったのだった。