第九話 十級戦人シアン。
「行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
ギルドに正式に登録した次の日の朝。
シアンはギルドから徒歩20分ぐらいの距離にある宿、《夕暮れの麦畑》亭の女将マルテアと挨拶を交わし、ギルドに向かう。
昨日貰った腕輪に殆どの荷物を入れてある為、カバンも無く何時もの皮鎧と両腰に下げている武器だけの身軽な姿だ。
本当は自前のアイテムボックスを持っているシアンにとって、もっと先からこんな軽装での生活が出来ていたが、自前のアイテムボックスを持っている人間なんてこの国には殆どなく(アイテムでは無く魔法でそれが出来るのは一人もいなく)、悪目立ちしかねない為ずっとできなかったのだ。
だが、今は腕輪のお蔭で堂々とアイテムボックスが使える。シアンはそれだけでも嬉しさ百倍になっていた。
軽い足取りでギルドに向かい、真っ先に十級の掲示板の方に足を運ぶ。
シアンは左側には表で纏められた常時依頼と、左の一枚ずつ貼られた限定依頼から自分が一日で処理できそうな幾つかの依頼を確認して、貼り紙を手に取り、受付の方に向かった。常時依頼は受付を通じる必要なく納品だけで依頼の成功とみなされる。
八人ぐらいの列の後ろに並び待つこと3分。
やっと自分の順番になり受付に顔を出すと、そこには昨日のミリアーナさんじゃない、20代ぐらいの可愛い猫耳を持つ獣人族の女性が鋭い目付きでシアンを睨んでいた。
「あのぉ」
シアンがそっと話を掛けると、「なに?」と不機嫌そうな声が返ってくる。
「この依頼受けたいんですけど」
「二つ?受けるの?」
「え、受けますけど、なにか?」
「ちょっと待ちなさい」
シアンから出された貼り紙を奪うように取っては、幾つかの書類をテキパキと書いて行く受付の女性。
それを見てシアンはどうも変だと思い、まずはアンリに意見を求めた。
(アンリ。何だと思う?)
《『怒ってるように見えますね。さっきまであんな表情をしなかったのを見るとシアン様が原因だと思います』》
(え?僕は何もしてないよ。そもそも初対面だ)
《『人間って複雑ですよね』》
何故かアンリの言葉に刺があるように聴こえる。シアンはなんだかもう少し気分が悪くなってきた。
「【マブック鳥3羽狩り】と【野兎5匹狩り】。こことここにサインして」
「あの、失礼ですが僕に何か問題でもありますか?」
どうにも気になったシアンは貰った書類にサインを入れ女性に返しながら、理由を聞いてみた。このままじゃスッキリした気分で一日を始められそうにない気がしたからだった。
「あなたに問題はないですよ。問題はその娘です」
だが、返事が返ってきたのは隣のブースからだった。
「あ、ミリアーナさん。おはようございます」
「おはようございます。シアンさん」
「ミリアーナ先輩。まさか話すつもりですか!?」
「なに?ライラちゃんが昨日の訓練場で禁止されている賭け事をして給料カットされたこと?」
「あ!!もう話してるしぃ~!!」
(あ~。そう言うことか、つまりこのライラって人は自分の給料が減って僕に八つ当たりしてたわけだ)
《『それにあの時、シアン様がさっさと負けてたらばれずにすんだのにと言ってました』》
(え?そんな事、僕聞いてないよ?)
《『私は言ってません。でもちゃんとシアン様の耳に入りましたよ?人間って自分が思ってる以上のことを見聞きしてます。脳でそれを勝手にカットするか、優先順位を付けて忘れさせますから覚えられないだけですよ』》
シアンは知らなかった、と心の中で呟きながら、もう一度ネコミミの受付嬢、ライラに目を向ける。
「文句ある?」
相変わらずの目付きでシアンに突っかかってきた。
コレ以上の会話は不毛だと思いシアンはため息混じりに首を振った。
「いいえ、ありません。それじゃ、仕事行きますので」
◇
王都の東門から少し離れた小さな名も無き森。
そこでシアンは久しぶりにスリングショットで狩りをしている。だが、何処か心ここにあらずって感じが全身から見受けられた。
何時もはしないミスも何回もして、一時間狩りをしたのにノルマの半分もクリアされていない。
(昨日はあんな偉そうな事言ったのに……人間を知らないだけじゃなく、知りたがらないんだよな、僕)
《『シアン様はまだ八歳です。今はそれで問題無いと思いますよ』》
(でもさぁ。僕前世で恋愛一つしたことなかったから、今回はしっかりしてみたいんだよ。これじゃ前世の時と何も違わないじゃん)
《『いいえ。八歳児は普通は恋愛しませんよ?それはもっと大きくなってから悩んでください』》
(お前は僕のオカンか?)
《『いやだな。私は何時もシアン様の忠実な相棒ですよ~?』》
(なんかそれすげぇーむかつくから人格設定変えろ)
《『まだ、変えるためのデータが足りません』》
三年前までは人格も無く空気を読まないアンリだったが、今は擬似ではあるが人格を形成している。しかし、その方向性は何故自分自身を弄るのに特化して行くのか、幾ら考えてもシアンはただ嘆くことしか出来ない。
《『別にシアン様を弄るためじゃありません。会話を円滑にするためのちょっとしたお茶目です』》
とアンリは弁を述べるが、あまりフォローにはなってない。
人間とは複雑なものなのだ。
その後1刻ぐらいで狩りは終わり常時依頼の採集も粗方済んで、王都に戻ろうとして、すぐ森を抜ける処まで来ていたシアンは森の外から高速で自分に接近して来る気配を感じ取った。
(アンリ。何だと思う?)
《『人間のようですね。何かに追われているみたいです。後から5匹の……赤狼です』》
シアンはアンリの確認に怪訝そうな顔で首を傾げる。
どう考えても今の状況は説明が出来ないと思ったからだった。
理由は三つ。
一。王都城壁の外で一人で行動するのは9割9分が戦人だ。その中で八級以上戦人なら赤狼の群れぐらいは狩りの対象にしか見ないし、九級以下でも怪我を覚悟するなら狩りは可能だ。
二。赤狼は群れで行動するが5匹はありえない。赤狼は大抵2世代が群れを作るし、一回の繁殖で生まれる子狼は基本8匹だ。つまり最小の群れでも2+8で10匹。ヘタすると30匹ぐらいまで大きい群れを作る。
三。赤狼の群れと逃げて来る人間の距離が開かないし縮まない。一定の距離でこちらに向かって移動している。
これで出せる結論は、
《『わざとこちらに赤狼を誘導しているんですね』》
(先に言うな。折角自分の頭でマトモな推理したのに……)
《『いいじゃないですか、ホームズ。相棒でしょう?』》
(お前がワトソンってか?全く、前世の知識まで無駄に使いやがって)
《『あ、そろそろ見えますよ』》
「た~~~す~け~~て~~~~!!!!」
そんな無意味な救援要請を叫びながら、間抜けな表情で走ってきているのは10代半ばぐらいの少女だ。
服装は部分プレートメイルでハルバードを背負い腰には鞭が下げられている。
間抜けな戦人の演技をするつもりのようだが、それぐらいの準重武装でこれ程の速度を出せる戦人が5匹の赤狼に追われている状況を演じているのは、どう考えても素の間抜けだ。
(アンリ。どうしようか、合わせて芝居打ってみようか?)
《『面白そうですね。それがいいと思います』》
(それに東の方から来るもう一つの気配……)
「なんか茶番劇が出来上がりそうだな」
シアンはそう言いながら口元を綺麗に釣り上げ、とても楽しそうに笑った。