第六十八話 軍閥
シアンの話を聞いて暫く口をつぐんでいたトーレスは、ため息を吐くように重苦しく口を開く。
「……それでも、何も変わりません」
シアンの話はトーレスにとっても十分納得できる話だ。
権力が正義とほぼ同一視される封建社会の中で、被害者に加害者を罰する権利を譲るのは最も正義に近いかも知れない。
だが、それは余りにも理想的な話で、現実的ではないと、トーレスは思った。
いや、知ってしまった。
その理由は……。
「それは、お前の未来予知で見たことか?」
シアンがトーレスを睨みながら質問を投げかける。
「はい。そうです。私の未来視は、何か変わる切っ掛けがあれば短編的ですが、直ぐにその変化の結果を私に見せてくれます。あなたの未来を見たのも、他の古代人が目覚めたのも、古代人が再び異世界から魂を呼んだのも、古代人が跋扈することで変異が起こることも、全て、そう言う風に分かりました」
未来視。
トーレスが子供の頃、つまり、最初の変異が起こる前に、異世界の魂を喰らったことで、手に入れた力だ。
神官の家系とこの能力のお蔭で、彼は幼い頃から、神官の地位に就くことができたのだ。
アンリは最初に狂言の可能性があると言っていたが、ギルルスの記憶のお蔭でシアンはその能力が実在することを知った。
だが、シアンはこの能力に対して幾つかの疑問を持っていた。
「お前の未来視が外れたことはないか?」
「ありません。大きな変化の切っ掛けがあれば、必ず見えます」
「つまり、その切っ掛けがなければ何も見えないと?」
「はい。今も何も見えませんでした」
「僕がこの計画を立てたのは、かなり前なんだけど?」
「考えだけでは見えません。それが行動によって実現される可能性が高くなった時が、私の能力が発動されます」
シアンが箱庭で知った知識の中で、世界は意識体の選択によって無数に分岐した未来を同時に持つと言うのがあった。
それは謂わば、平行宇宙説にも似ている話だが、未だ地球では定説化されていないその理論が、他の世界では完全に定説として通っていて、それに連なる技術も多く見つけることができた。
だが、それは余りにも複雑で、何処から始めていけば良いのかも分からないその知識を手に入れるには、シアンの持ち知識が余りにも不足していたし、それを手に入れる為の道には限度を超えた危険性が待ち受けていたから、シアンはそれを諦めざるを得なかった。
兎に角、
要は、未来はトーレスが見ているもののように一つではないと言うことだ。
そこから一番可能性が高い仮説を纏めると……。
トーレスの未来視は、何かの変化によってトーレスの未来に分岐ができた時に、トーレスが一番経験する可能性が高い未来を見せる能力、になる。
だが、そう言う仮説はこの際、必要ではない話だった。
なぜなら、
「最後に聞くけど、一番最近変化を見たのは何時だ?」
「半月とちょっと前です。あなたがマキアデオス国王に金色に何かを貰っているのが見えました。全権委任状だと……」
まるで、何か見てはいけない物を見てしまった子供の告白のようにトーレスが言葉を濁す。
シアンはそんなことには構わずに、知りたいことを全部知ったことに満足して何回も頷いて見せた。
「あ……あれか……確かに正確だな。でも、それ以来、見えなかったんだな?」
「はい。それが、最後です」
「なら、お前の未来視が働かないのは僕のせいだな」
「!?」
シアンのカミングアウトにトーレスが目を見開く。
それを見て「やっぱりそうだったのか……」と呟いたシアンは説明を始めていった。
「お前がそれ見た後、お前のところのサハラの瞬間移動が使えなくなったよな?それ、僕がやったことなんだよ」
「あなたが!?」
「ああ。正確には瞬間移動に必要な遠見をこの大陸全体で使えなくしたわけだけど。多分遠見と、未来視は同じ原理で使われていたのだろうな。そのせいでお前の未来視が使えなくなったんだ。未来視はお前の意志で使える能力じゃなかったから、今まで気づかなかっただけだな」
「……大陸……信じられません……」
震える声で呟くトーレス。
だが、そこでシアンの纏った空気が一気に変わった。
重苦しく部屋全体を圧迫するような気配がトーレスの息を詰まらせる。
「信じられないと言っても構わないよ。僕は別に信じて貰う為にここに来たわけではないからな」
「そ、れはどう言う……?」
「僕がここに来た目的は一つだけだ。お前ら、赤の剣の降伏。理解も納得も必要ない。知りたいことは全部知った。教えることも全部教えた。お前に残った選択肢は両手を上げるか、武力で制圧されるかだけ。長くは待たない。時間は有限だ。100数えるだけ時間を与えてやろう。では行くぞ。100……99……98……」
いきなり態度を改め高圧的に選択を迫るシアンを見て、トーレスは必死で頭を巡らせる。
シアンの言葉は多分全て事実だ。シアンの話も計画も多分実現可能性が高いのだろう。
だが、問題は、シアンは自分が失敗した時の保険など何一つ立てていない、いや、失敗すること自体想定していない。そんな欠陥だらけの道に自分と自分の部下たちを任せて良いのか。
そして、シアンは協力を求めるなんて言ってない。討伐とも言ってない。
制圧と言ったのだ。
つまり、ここにいる赤の剣全員を殺さずに捕らえる事ができるということだ。
さっき、ミレナとの話の一部をトーレスも聞いていた。
ギフトを持った22人と、防御と保険の為に張っておいた6枚の結界を少ないと言ったシアンの言葉を……。
シアンの今の強さは分からない。
まるで自分たち古代人並の、いやそれ以上の魔力制御だ。
どれだけの魔力をこの体に宿しているのか、まるっきり把握できない。
だが、シアンが言った『少ない』と言う言葉はハッタリではないのだろうことは、自分が感じている恐怖が何よりの証拠だ。
古代人として生まれ、変異種で殺されていく同族たちを見ても感じなかった恐怖だったから……。
しかし、確認せずにはいられない。
一体どれだけの強さを持っているのか。
それが本当に保険のない計画を、強引にでも進める事ができるほどの力なのか。
自分のため、部下のため、そして、未来のため、確認せずにはいられなかった。
「……36……35……34……」
「……待ってください!」
「待たないと言ったろう?……33……」
「一瞬だけ!一瞬だけで良いです!魔力を解き放ってみてくれませんか!」
「はぁ……僕の力を図りたい……と言うのだな。でも、お前な、周りの被害をちょっと考えろよ。ここ、都市の中だろうが」
シアンは少し不満そうにそう口にした後、軽いため息を吐いて、わざと声を出してアンリに念話を送った。
「アンリ。屋敷の周りに結界を。魔力を少し漏らすから」
「?被害?少しって……?」
シアンの話にトーレスは漸く自分が口にしたことが、どんなに馬鹿げたことだったのかを悟る。
だが、既に時間は遅かった。
「では、行くぞ」
「ま!まって……!!!!!」
トーレスが止める間もなく、シアンが宣言通り魔力を少し流す。
全ての細かい音が一気になくなり、葉が風に揺れる音だけが何時もより大きく周りに響いた。
そして、屋敷の敷地内にいる生物の中で、シアンとアンリ、サティーとユウ、トーレスを除く、全ての生物がシアンの魔力の影響で一瞬で意識を奪われた。
「どうだ?満足したか?」
シアンは素っ気ない顔でトーレスを見ながら魔力を納める。
トーレスは酷い魔力酔いにくらくらする頭を振り絞って、辛うじて口を動かした。
「何ですか……これは……一体……何を、いや何割、ですか……」
「何割なんて言うわけないだろう?でも、まぁ、これで分かったろう。問題なんてないってな」
「よく……分かりました……降参です」
人間は簡単に蟻を殺せる。
気付かないまま殺してしまうこともある。
シアンも他の人間を同じように殺せる。
もちろん古代人も……。
だが、シアンは可能な限り蟻を踏まないように気を付けて歩いている。
トーレスが分かったのはそれだった。
そう言う人になら後のことを託すことができる。
もう自分が全てを背負う気でいる必要なんてない。
そう言う無力感と安堵感が一気に全身を包んだ。
「これからのことは、あなたにお任せします」
トーレスは深くシアンに頭を下げた。
……のだが、
「何言ってるんだ?任せてどうする?」
「え?」
「お前らにはこれから僕の手足になって貰うんだよ。今まで以上に仕事させてやるから覚悟しておけよ」
「はい~!?」
「お前ら全員にはちょっと特殊な隷属呪縛付けて、犯罪奴隷として僕の下で働いて貰う。今からお前は赤の剣ではなく僕の軍閥の一員だ」
こうやって、後の日、蒼月隊と呼ばれる、全世界の全歴史の中で類を見ない、最強の軍閥が卵の殻を突き破った。
そして、トーレスはシアンに関する評価を少し改めた。
蟻を踏まないように気をつける優しい人だが、やる時には清々しいほど遠慮がない人、に……。
※次回の投降は11月19日午後2時前後になる予定です。頑張ります。




