第六十四話 強欲の理由
御前会議を終え、昼食を済ませてから執務室に入ってきたマキアデオス王は、机の上に見覚えのない封筒が置いてあることに気がついた。
「……また、彼奴等か……」
封筒の赤い色から推測される送り主は、この四年時々連絡しあっている赤の剣の連中に間違いない。一瞬眉間を顰めてから封筒を手に取ったマキアデオスは、直ぐに書簡を開きさっと目を通した。
「昼前、王都の商業区でシアントゥレと思われる少女が見つかった?」
手紙の突拍子のない内容にマキアデオスはマヌケな顔をしてしまう。
シアントゥレが見つかったことは確かに重要な話ではある。だが、問題は「思われる」と言うくだりと、「少女」のくだりだ。
成長期であるシアンは間違いなく姿が変わっているのだろう。だが、シアントゥレは間違いなく男だ。なら、別人である可能性が高い。
それなのに赤の剣の情報員から、こんなに早く連絡が入ったと言うことは……
「まさか、シアントゥレが女装でもして、自分が戻ったことを隠しているとも言うのか?」
自分でできる最大の推論を口にしたマキアデオス。だが、その独り言にいきなり返事の声が聞こえてきた。
「隠してますけど、女装はしてませんよ。陛下」
「何者だ!?」
マキアデオスは慌てて執務室の中を見回す。
すると、窓の横でゆっくりと人の姿が現れ始めた。
「ご無沙汰しています。陛下。四年ぶりですね」
「……まさか……シアントゥレか……?」
「はい。そうですよ」
完全に姿を現した茶髪の青年の顔には、確かに記憶の中の少年の面影があったのだが、鋭い目付きと纏った雰囲気は、四年前のそれとは比べられないほどに冷たく重いものた。
「どうやってここに……」
「歩いて来ました。ただ、こうやって姿を隠して来ましたけどね」
驚くマキアデオスを見て、口元を片方だけ釣り上げたシアンは、すっと目の前で姿を消してみせる。
そして、マキアデオスの直ぐ側で再び姿を現せた。
「……」
至近距離で圧迫感を発するシアンから思わず一歩下がるマキアデオス。
だが、シアンはそんな仕草には構わずマキアデオスが手にしている手紙に目を向けながら、質問を投げかけた。
「その手紙、赤の剣からの連絡ですよね?」
「……何故……?」
「赤の剣が見つけたのは僕の仲間ですよ。僕とよく似た女の子です。今はその娘が自分の監視していた赤の剣を捕まえています。だから、嘘も隠し事も無しでお願いします。陛下」
シアンが言っているのは事実だった。
シアンが王宮へ向かっている途中、自分を監視している赤の剣を捕まえたと、アンリから念話で連絡があった。
そして、箱庭で身につけた服を作る魔法、もとい【魔力の物質化】で光学迷彩の服を作り、身を隠して国王の執務室へ忍び込んだシアンは、マキアデオスが手紙の内容を口にした時、「少女」のくだりで赤の剣からの情報だと確信したのだ。
「……ああ、そうだ。私は赤の剣の連中を利用している。そやつらが一番古代人の情報を多く持っているからだ」
「嘘はなしだとお願いしました筈です、陛下。赤の剣の連中が一方的に利用される訳ないでしょうに」
「予がそやつらの言いなりになったとも言うのか!?」
「別に言いなりってわけではありませんが、ある程度便宜を図ってやっているでしょう?禁書指定、とか?」
「!!……プレリアに……会ったのか……」
色々と情報を握っていると、遠回しに告げるシアンの話にマキアデオスの顔に不安が過る。
「ええ。会いました。侯爵の話も聞きました。四年前のことは別にそんな地位を望んでやったわけではありませんから、前もって言っておきます。侯爵の件はお受けいたしません。出来ることなら伯爵位も返上したい気分です」
「……お前はそれを言いに来たのか……」
「いいえ。ここには脅迫のために来ました」
「!?脅迫?」
「はい。脅迫です、陛下。今まで集めた古代人と赤の剣に関する情報すべてを僕に渡して、モラークに対する内政干渉を中止して、この国の内政に専念してください。さもないと……」
「さもないと?」
「この国を乗っ取ります。力尽くで」
シアンは、自分の軽い口調とはそぐわない、冷たく鋭い視線をマキアデオスに向ける。
その視線は、自分が言った言葉が嘘でもハッタリでもないことを物語っているかのように、力強く光っていた。
「……自分でこの国の王になると?」
「なりません。なりたくもありません。だから、王族全員に隷属呪縛を掛けて裏で操ります。それを見かねて僕の敵になるものがいれば、全員殺します」
「それが……出来ると言うのか、お前は……」
「出来ますよ。いや、それぐらいなら四年前戦った古代人でも出来る筈です。何の目的でモラークでそうしなかったのかは分かりませんか、それは間違いありません」
「そ、んなことが……」
「僕は、何もかも武力でやるつもりはありません。正直ここへ来るのは後にもっと穏便な形で来る予定でした。ですが、陛下の愚行がどうしても見過ごせませんでしたので、不本意ながらこうやって脅迫の為に来たんです。もちろん脅迫がダメなら武力で物言わせるつもりですけどね」
不遜極まりないシアンの言動だったが、マキアデオスはそれを指摘することは出来なかった。
ほんの僅かだが、マキアデオスに残っている動物としての野性が、シアンを自分の上に立つものだと認識させていたのだから……。
「愚行……か……」
マキアデオスは辛うじて声を出し、自分の苦渋の選択に対するシアンの評価を口にしてみる。
「ええ、愚行です。世界規模で対処が必要な事柄だと知っておきながら、他国の内政に手を出しその力を削いだことも、赤の剣などの犯罪集団と手を組んだのも。愚行としか言いようがありません」
「なぜだ?一番古代人のことを知っているのは赤の剣だ。モラークは古代人の影響で既に崩れかけていて、誰かの手助けなく内政を立て直すのは厳しい状況だった!内政の干渉はその過程で必要だったからやっただけなのだ!それに、古代人の裏を追う為にもどうしても必要なことだったのだ!」
マキアデオスは必死で自己弁護を述べる。だが、シアンはそんなマキアデオスが哀れに思えてきた。
日本のゲームとか小説の中で、世界の危機が訪れた時、殆どの国王は勇者に頼るか、勇者が現れた時にその足を引っ張るか、時には世界の危機を自分で招くように描かれていた。
だが、マキアデオスは自分でなんとかして未来を開こうと努力している。
他力本願な連中なんかと比べるとマキアデオスが何十倍、何百倍マシなほうだろう。
もし、四年前シアンが古代人に負けて死んでいたのなら、もし、箱庭からシアンが戻って来なかったのなら、もしかするとマキアデオスの努力は後の日に実を結んでいたのかも知れない。
だが、現実は違う。
シアンは現に戻って来ていて、シアンがもっと実現可能性が高い、正当性がある道を歩こうとしている。
つまり、シアンの存在が一国の王を哀れな存在にしているだけなのだ。
ただ、立場と能力の違い。
それが英断と愚行を分ける境界線になっただけなのだ。
だから、シアンはもう一度、気持ちを込めてマキアデオスに提案した。
「だから、言っているのです、陛下。古代人と赤の剣のことはすべて僕に任せて、モラークに対する内政干渉を中止して、この国の内政に専念してください」
「……そ、っか……お前ならなんとか出来る。そう、言うのか……」
「僕だけの力では厳しいでしょうが、武力なら古代人にも赤の剣にも負けない自信があります」
独り言のように弱々しく呟くマキアデオスの言葉に、シアンは強い口調で約束でもするかのように返事を返す。
自分の自信感がマキアデオスに伝わることを願いながら……
「武力……一体お前は何処まで強く……いや、どうしてそこまで強くなれるのだ……」
「僕が強さに強欲になったのは、ただ当然なことが当然のように通用する世界で普通に暮らしたい、そんな欲望の所為です。権力に良いように使われ、武力に苦しめられ、財力なく衣食住のどれもままならないのが堪らなく嫌で、そのすべてを手にいれれば嫌な思いはしないだろうと……そう思って強さを求めました。でも、現実はもっと厄介だった。赤の剣だけではなく古代人まで、個人でも国家でも簡単に対処出来ない事柄が余りに多かった。だから、もっともっと強欲にならざるを得なかったんです」
シアンは淡々と自分の話を語っていく。
その中でマキアデオスは今まで感じていた圧迫感が薄れていることに気付いた。
そして、シアンが今語っている話が紛れも無いシアンの本音だと気付くことができた。
「ですが、そうですね……僕が本当に向かいたいのは、僕ほど強欲に強さを求めなくとも、普通の暮らしが出来る、安定した世界です。退屈なまでに安定した世界。それが僕の未来になって欲しいんです」
そこで、マキアデオスはハッキリと分かった。
シアントゥレは理想論者だと。
人間は欲の動物だ。シアンが語っているのは理想に過ぎない上に、不可能と言っても過言ではないものだ。
シアンは、そんなことも分からない馬鹿ではない。それでも理想を口にして、それを現実の物にしたがる、どうしようもない理想論者なのだ。
だが、シアンならその理想が作れるような気がした。
シアンが生きていく数年、数十年だけの話かも知れないが、その短い間でもそんな時期が来るかも知れないと……。
だから、思い出してしまった。
子供の頃、王室書庫でこっそり読んだ、作り話の中で登場する勇者のことを。
結末をハッピーエンドに変える魔法の称号を……。
「そうか……なら、託そう。この国の、いやこの世界の未来を。勇者シアントゥレ」
だが、
「その称号は嫌です」と、
シアンはたった一言で、その称号を返上した。
※次回の投稿は11月7日の午後2時前後になる予定です。




