第六十二話 再び旅立つ……その前に
※遅くなって申し訳ございません。
目を開けると目の前に涙でぐちゃぐちゃに歪んだ顔があった。
シアンは一瞬ドキッとしながらも、その歪んだ顔の持ち主のことを思い出して、落ち着きを取り戻し、直ぐに済まない気持ちでいっぱいになった。
昨日、夜まで続いたヴァノアとの話を終え、目立つことを避ける為に屋敷には戻らず、宿を取ってそこで休んだシアンは、次の日の朝を人に謝ることから始めることになった。
「ごめんな。ユウ。待たせたな」
「はひぃ~まっでまひだぁ~あゆじひゃまぁ(はい。まってました。主様)」
喉まで詰まった涙声を必死で絞り、ユウが言葉を紡ぐ。
シアンは横になったまま手を伸ばしそっとユウの頭を撫でて、もう一度「ごめん」と謝る。
すると、シアンを起こさないためにこらえていた涙が、大声と共に溢れ出してきた。
「うわぁぁん。あゆじはあぁああ。わあああん」
シアンはそれを見て身を起こし、ユウを抱きしめて背中をトン、トンと叩きながら「ゴメン、心配かけたな」「待ってくれてありがとう」と、気持ちを込めてユウを宥め続けた。
暫く泣き続けたユウをそっと離して指で涙を拭いてやりながら、シアンはユウに何時から来ていたのかを聞く。するといつの間にか部屋の中に入って来たアンリが代わりに返事をして来た。
「三刻ぐらい前ですよ」
「三刻(約6時間)!?マジ?」
「どうやらヴァノアさんから聞いてそのまま走ってきたみたいです。シアン様が寝る姿をずっと見てました」
「いや……それはちょっと……」
『怖いなんて言わないほうがいいですよ。シアン様。健気な乙女心だと思ってください』
一瞬口に出そうになった言葉はアンリの念話で止められる。
「で、なんでアンリがそんなことを知ってるんだ?」
「昨日来た時、顔を合せましたからね。部屋に通したのも私ですよ。サティーさんとも挨拶は済ませました」
「あ、そう……でも、そんなことがあったなら起こしてくれよ」
「起こそうとしましたけど、ユウさんに止められましたよ。旅の疲れは毒だからちゃんと休むべきだと、言い張りましてね」
「疲れてない、いや疲れないんだけど……」
「それも話しましたけど、だめでした」
「あ、そう」
そこでユウが頑固な口調で意見を出してきた。
「主様は自分のことを酷使しすぎるんです!あの時も私を逃がして自分だけ危険な目に……」
「いや。もうあんなことにはならないから……」
「でも!」
「待った」
過保護気味の言葉がもっと出てくるようだったので、シアンは手の平を出して待ったを掛けた。そして、
「ユウ質問だけど、今も瞬間移動出来る?短距離ではなく遠見を使うやつ」
と、全然関係なさそうな質問を口にする。
すると、ユウは困ったように視線を落す。
「……使えません」
「何時から?」
「十日程まえから……です」
「内緒なんだけど、それってさ。実は僕の仕業なんだ」
「え!?」
そして、シアンは済まなさそうに頭を搔きながら、説明を始めた。
「4年前、変な処に飛ばされて、そこで色々と頭を回してみたんだけど。どう考えても瞬間移動って反則のように思えてきてな。幾ら僕が強くなって相手を圧倒しても瞬間移動で逃げたらまたやり直しになるんだし。だから、それを止める為の準備をして来て、戻って直ぐ後にかなり大掛かりな魔法使って【遠見】を止めたんだ。かなりの範囲で瞬間移動が不可能になったんだと思う。少なくともこの大陸内では不可能だろうね」
シアンは淡々とした口調で話してはいるが、実はその魔法はシアンが箱庭で見つけた魔法の中でもかなり特殊な魔法だった。
古代人対策に使えそうな魔法を探っていたところで見つけたその魔法は、魔法が開発されていた他の異世界では【ディヴァイン(神聖)魔法】と呼ばれ、神の偉業にも等しい能力を持つ魔法だった。
だが、それを使う為には色んな意味で人間の身では無理があって、シアンは箱庭の中で自分の体に大掛かりの改造を施し、魔法を使えるようにしたのだ。
ヴァノアに見せた、魔力固定の結界の中で魔法を使えるのも、実はそのおまけの様なものであった。
「そんなことが……」
「まぁ、瞬間移動なんて便利だけど、その分悪用されたら洒落にならないからね。あ!でも、短距離の移動とか、ゲートを作れば幾らでも行き来は出来るよ?でも、ゲート作るためにも指定された場所にちゃんとしたマーカーを作る必要があるから、何時でも何処でもってわけにはいかないけどね」
「すごいです!主様!」
「まぁ、別にすごくなくっても、面倒さえなくなればそれで良いんだけどね」
シアンも、ここまで大げさなことをやるのは正直、気がかりではあった。
だが、瞬間移動なんて世界に必要か、と言う疑問に、シアンが出した答えは《否》だった。
瞬間移動なんて、生命を持つ存在には全く必要のないものだ。
これは箱庭で色んな世界の知識を手に入れる過程で確認出来た事実だった。
物好き共が思い上がって開発したり、時にはその才能を持った子供が偶然生まれたりするだけで、当代限りの能力である瞬間移動使いはこの世界には多すぎる。
その異常さの理由も一緒に知ることが出来たシアンは思い切ってその大掛かりな魔法を使うことを決心し、それを実行した。
しかし、シアンが使ったその魔法が、どんな未来をこの世界にもたらすことになるのか、シアンも、アンリも、この世界の誰も、今は知ることができない
◇
ユウとの話を終えて一緒に朝食をとったシアンは、アンリとサティーに旅に向けての買い出しを頼んで、宿を後にした。
帰還して直ぐにまた旅に出ると言うシアンの言葉に、ユウは一瞬だけ嫌な顔をしたが、ゲートのマーカーを作り何時でも戻ることと、ユウも一緒に旅すると言うと直ぐに安心した顔に戻らせた。
シアンはユウにアンリとサティーの案内を頼んで(実は必要ないのだが)、昨日ヴァノアから聞いたプレリアの居場所へと足を運んだ。
「《鈴の木・古書店》か……」
シアンは目の前にある、小ぢんまりした綺麗な書店の看板を読み上げて、書店の扉を開いた。
扉についている呼び鈴が店舗の中に響いて、中から少し低めの女性の声が聞こえて来る。その声はシアンが予想していた声ではなかったが、聞き覚えのある声だった。
「はい、はい。今いきますよ~」
店の中から車椅子に乗った声の持ち主が姿を現す。
「カール!?」
「誰だ、あんた?なんで俺のことを……って、まさか、シアンか?なんだ、お前、いきなりでかくなって現れやがって!」
姿は4年前より、ぐっと女性らしくなったカールだったが、言葉遣いは余り変わってないようだ。
「なんでお前かここにいるんだ、カール?」
「いや。ここ俺の職場だし」
「ここプレリアさんの店だろう?」
「プレリアはオーナー。俺は職員だ」
「大使の娘がこんなところでバイトかよ」
「バイトじゃねぇよ。もう三年以上やってるんだぞ?」
「尚更問題じゃねぇか」
「問題ねぇよ。どうせモラークの大使なんて、今はお飾りなんだし」
「お飾り?」
「知らねぇのかよ。モラークは今はラザンカローの属国だ」
「なんで……」
シアンは始めて聞く情報に眉を潜める。
だが、その疑問を口にする前に、ある人物の声が、呼び鈴の音と共に聞こえてきて、その質問は一旦お預けになった。
「おはよう。カール」
「あ、おはよう。プレリア」
「プレリアさん……」
シアンが振り返りプレリアの名前を呼ぶ。
何時もなら「誰?」と言う反応の後に「シアンだ」と気づく順番だったが、何故かプレリアの反応は、シアンが予想していた反応とは違うものだった。
「おかえりなさい。シアンさん」
プレリアは一瞬の迷いもなく、一筋の涙を流しながら、花のように笑って、シアンの胸元に飛び込んだ。
そして、シアンはボケとした顔でお約束通りの言葉で返す。
「た、ただいま。プレリアさん」
これが、戻ってきてシアンが始めて口にした『ただいま』だった。
※次回の投稿は11月1日の午後2時前後になる予定です。頑張ります。




