SS 02-01 王都で
シアンがモラークの王宮で姿を消した三日後の夕方。
ヴァノアは朝から続いた国王との会談を終えて屋敷に戻ってきた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。マーシャ」
「食事はいかが致しますか?」
「いや、いい。クッソ王との会談で食欲が失せたよ」
「……わたしは何も聞いてません」
「気のまわし過ぎだ。私は事実を言ったまでだからな」
貴族として有るまじき国王を侮辱する言葉を口にしたヴァノアは、肩を竦めながら玄関ホールへ足を運ぶ。
マーシャも何か言いたそうにその後に続いた。
階段のところで一旦足を止めたヴァノアは上の階に目を向けた。
「ところで、ユウはまだそのままか?」
「はい。そのままです。食事もせずに、部屋で一歩も動きません。いいえ。瞬きもしてません。シアントゥレ様がいなくなってから……」
「シアンは旅に出たのだよ。マーシャ」
咎めるようにマーシャの言葉の折るヴァノア。
それを聞いてハッとなったマーシャも直ぐに自分の失言を正して、話を締めくぐった。
「……はい。旅の途中、シアントゥレ様と分かれてここに戻ってからずっとそのままです」
「わかった。私が話してみるよ」
◇
玄関から、真っ直ぐユウがいるシアンの部屋へ移動したヴァノアは、ノックもせずに扉を開いた。
部屋の中は明かりもなく、夏になって夜でも暑い日々が続いているに関わらず、肌を刺すような冷たい空気が停滞していた。
その空気の中、シアンのベッドの直ぐ側にある木の椅子に、美しく彫刻された木像のような女性、ユウが座っている。
扉を開いて入ってきたヴァノアに見向きもせずに、ただ静かに半分ほど開いた目で薄暗くなった部屋の中を凝視するその姿は、とても生命を持っているものの姿には見えない。
ヴァノアは部屋に入り、扉を閉めてその扉に背を預けユウを見ながら、まるで独り言のようにゆっくりと話を始めた。
「国王は今回のことを利用してモラークを編入することにしたようだ。だが、戦争にはならないだろう。今モラーク首脳部は全員狂乱して、一部は自害したそうだからね。多分、傀儡政権をモラークに置く計画を立てているみたいだよ」
「……」
「主な原因は古代人だな。モラークの人間は古代人の襲撃で自分たちの首脳部がそうなったと、大混乱中だそうだ。私は逆だと思うがね。君とプレリアが持ってきた情報では王宮を『私の庭』と古代人が呼んでいたそうだし。多分首脳部の連中は随分前から操られていたと見て間違いないだろう。そんな伝説上の種族が実在することが公になったせいで、我が国も大混乱するのは理解できるが、こんなことを利用してまで政をやるとはね……正直参ったよ。上の者の考え方に自分なりには理解があると思っていたけど、今回のことで完全に分からなくなってしまった」
「……」
「それに今回の一番の立役者になったシアンは私と同じ侯爵になるそうだ。本人のいないところで一体何考えているんだか……」
「……主様を利用して、政ですか……」
シアンの話題になってユウは漸く口を開く。その口調には微かだが殺気が滲み出ていた。
「それを聞いて流石に私も、国王を殺したいと思ったよ。だが、やらないつもりだ。君も我慢しなさい」
「何故ですか?」
「殺したらシアンが戻れなくなる」
「……殺しても主様は戻ってきます。まだ主様の魔紋は残っています。反応はまだですけど。わたしが必ず見つけてみせます!」
「そんな意味じゃない。社会的にって意味だ。王殺しは他国でも大罪だ。私か君がそれをやってしまったら、シアンが戻ってきた時、まともに顔向け出来なくなってしまう。ヘタしたら、シアンも一味だと言われて罪人になってしまうのだよ」
「……」
叱るようなヴァノアの言葉にユウはまた口を閉じてしまう。だが、それは今までのような空虚な沈黙ではなく、言いたいのに言えない何かが詰まったような沈黙だった。
「だから、私は出来るだけ穏便にシアンの帰りを待とうと思ってる。母親として帰る場所ぐらい用意してやらなくっちゃな。君もあいつの仲間なら、問題など起こさずに待ってやりなさい。あいつが戻った時に元気で顔向け出来るように」
「……」
ユウからの返事はなかったが、ユウの目に力が少し戻ったのを確認したヴァノアは、満足したように軽く笑みを見せた後に扉から離れてユウに背を向ける。
そして、
「10歳で、伝説上の種族を相手に勝ったんだ。次はどれ程強くなって戻ってくるか楽しみだ」
その言葉を残して部屋を後にした。
ユウはヴァノアが出ていった扉を見ながら小さく呟いた。
「当然です。わたしが主と認めた方ですから」
◇
その頃。
王宮の国王の執務室。
プレリアは一通の書簡を机の上に置いて国王を睨んだ。
「辞表です。私はもう王宮では働きたくありません」
「理由は?」
「陛下に失望しました。それだけです」
「失望、か……シアントゥレのことだな?」
「はい。沢山の恩を受けておきながら、その上、散々利用したにも飽きたらず、失踪したのに捜索隊も出さず、戻ったら侯爵などの褒美にもならない褒美だけで済ませようとしている陛下に、これ以上仕える自信がありません」
恩知らずで、上辺だけの、厚顔無恥の愚王。
プレリアが言っている言葉を直訳するとこうなる。
つまり、これは辞職願いというより、国王に対する罵倒だった。
普段ならこんな言葉は不敬罪に問われるべき言葉であったが、国王は余りにも簡単にそれを受け入れた。
「そっか。わかった。これは受理しておこう」
「な!?」
「なんだ?不満か?」
「……いいえ……では、失礼します」
あまりにも淡泊すぎる返事に拍子抜けしながらも、プレリアは執務室を後にする。
そして扉が閉まると、開けられていた窓の外から青年の声が聞こえて来た。
「いいんですか?ラザンカローの王様?」
「いいに決まってる。これからは色々と胡散臭い連中と付き合わなくってはならない。そんな連中の相手をさせるにはプレリアは綺麗過ぎるのだ」
「あ~胡散臭い連中って俺らのことですか?」
青年の言葉に国王は視線の窓に向けて眉間に皺を寄せた。
「当然、お前たち《赤の剣》のこともだ。トガ」
「酷いな。胡散臭いだなんて。王様に会うと言われて誠実さを見せるために髭まで剃って来たのに……」
「御託はいい。用件だけ申せ」
「我が司教様から伝言です。対古代人共同戦線のこと、了解だそうです」
「わかった。必要なことはこちらから連絡すると言っておけ」
「はい、はい。では、俺はこれで」
トガの姿が見えなくなってから、国王は身を起こし開けっ放しになっていた窓を閉めた。
「古代人……伝説が伝説のままであったなら良かったものを……」
マキアデオス国王の行動はすべて、古代人対策のためのものだっだ。
今回のことで古代人の実在が確認された。その強さも危険性も知ることになった。ならそれに対抗するための手段は多ければ多いほどいい。
赤の剣しかり。国力上昇しかり。
モラークを自分の手の内に収めることが出来れば、操られたと言われる首脳部に関する研究も可能になる。それが進めば自国内で操られている存在を見極めることができるかも知れない。それがダメでも、それに関する知識はきっと役に立つはずだ。
それに今まで古代人と戦っていたという赤の剣だ。共同戦線を張ればなにかと役に立つだろう……
そんな考えの元に色々と工作を始めたのだ。
「シアンめがいてくれたら……」
ふと、古代人一人を葬ったシアンのことが頭を過ぎていく。だが、プレリアの言葉も一緒に浮かんで、マキアデオス思わず苦笑いをしてしまった。
「恩知らず……これじゃ、本当に反論できぬな……」
マキアデオスは頬を叩き、雑念を頭から振り払って机に戻る。
「愚王になるか、賢王になるかは歴史に任せよう。今は対策を可能な限り用意するだけだ」
そしてペンを手に取り、色んな書類にペン先を走らせていった。
次の朝には、その机の上に、書類の山が二つほど出来上がっていたが、それでもマキアデオスのペンの音は止まることを知らなかった。
※次回の投稿は三日後の10月18日の午後三時の予定です。




