第五十九話 事象のゴミ箱
「お帰りって……?」
呆けた顔でシアンが聞くと、猫は肉球でヒゲを撫でながら困ったような口調で返事を返してきた。
「そうですよね~そこから説明しないとだめですね~。わかりました。それを説明するにはまず、ここが何処なのか、から説明しないとダメですから。質問は一旦控えてください」
「あ、ああ」
「では、ここは『事象のゴミ箱』という名前で呼ばれてます。って言ってもその言葉を知っているのは現在は、わたしとアンリさんだけですけど……兎に角、この名前は『事象の地平線』という時空間の境界面の概念から付けられた名前ですが、その境界面を突破できないゴミクズが集められて造られた、一種の亜空間のようなもの、だと考えてください」
色々理解し辛く、突っ込みたいところ多い説明だったが、質問は控えてくれと言われたのでシアンは口をつぐみ、説明に集中した。
「まぁ、そうですね。輪廻に必要ないものが現世にも戻れず、そのまま集まり一つの小さな世界が創りだされた。とでも言い換えましょうかね。それで、そんな空間に三人の日本人の魂のゴミが同時に入ってきました。そのゴミは非常によく似た感情的繋がりを持っていて、この亜空間の中で融合して新しい魂として蘇ることになりました。もちろん核になったのはあなた、石川実のゴミです。つまり、あなたはこの世界で偶然、新しく生まれた魂で、ここから出た後、また戻ってきた。だから、お帰り、だったんです」
理解に苦しみ、納得に苦しむ内容だ。
だが、何故かシアンはその話がすんなり納得できてしまっていた。
目を開けた時から感じられた異常過ぎる程の安堵感が、今感じている空気が馴染みのある物だと教えてくれたから……心から安心できる空気がこの空間に、そして猫の周りから感じられていたから……
しかし、感情では納得できても頭では理解できない猫の話に、シアンはちゃんとした証拠を求めた。
「それを僕に信じろと?」
「自分の名前、覚えてないでしょう?三人の人格が融合する時、衝突する情報は消えてしまいましたからね」
確かにシアンは前世の名前を覚えていない。だが、それだけじゃ証拠としては不足している。
だが、そこで猫がその証拠になるようなことを質問してきた。
「自分が生まれた年、覚えてますか?自分が死んだ年齢は?死んだ年は何年ですか?」
「生まれたのは昭和三十二年だ。三十二歳に死んだ。死んだのは……平成二十……ってあれ?可笑しいな……合わない……」
「そう。三人分の記憶が混ざったせいでそうなったんですよ」
「なんで君はそこまで……」
知っているんだ、とシアンの驚きに満ちた声が口から漏れる。
だが、その返事はあまりにも簡単なものだった。
「以前のあなたから直接聞きましたからね」
「ぼくが?でも君はさっき、はじめましてって……」
「今のあなたは別人ですからね。わたしが知っているあなたは、このゴミ箱の中で自分だけの箱庭を作った神に等しい存在で、それをすべて捨てて現世に脱出した時から別人です。実際覚えてないんですしね」
「箱庭?神?」
「ええ。この安定した空間も、わたしも、アンリさんも、ゴミ箱から集めた素材であなたがその手ですべて造ったものです。ほら見覚えがある空間でしょう?以前のあなたは、ここが自分が前世で記憶している最後の場所だと言っていました」
その話にシアンの中から色んな物が整理できていった。
自分の記憶の欠落、知識の多様さ、アンリ……でも未だ分からないことは多い。特に……
「じゃ、何故僕はここへ呼び戻されたんだ?」
「誰も呼んでませんよ。あなたが作ったシステムで、あなたが死に瀕した状況になると、ここへ戻れるようにプログラムされていただけです。確か【ゼロの封印】とあなたが名付けたはずです」
「ゼロの封印……アンリの一の封印もそうだが、一体僕はどれだけの物を造っておいたんだ?」
正直、多少厨二病臭いその封印の名前は恥ずかしかったが、その封印のお蔭で自分が助かったのは確かだった。シアンはその厨二臭いネーミングセンスに少し呆れながらも、色々と用意してくれた過去の自分に、心の中でこっそり感謝を述べる。
だが、そんな用意ができていたなら、もっと自分に役立つものを用意してくれてもいいのではないかと、ほんのすこしガッカリにもした。
「それは分かりませんね。僕が知っているのは、生命維持のための【ゼロ】と無限の友の【一】だけです。でも、そうですね……現世との穴を作る為の何かを用意しなきゃ……とあなたが話していたのは覚えてます。それが、ここから出る時に使って無くなってしまった、使い捨てのものだったのか、また使えるものかは分かりませんが、名前までは聞いてませんね」
「じゃぁ、僕が戻れるのかどうかもわからないわけか……」
「あなたが以前の能力を取り戻すことができれば、出られるのではないんですか?以前は現世に肉体がなかったから、苦労してましたが、今は瀕死の状態で治療中ですが、ちゃんと生きた肉体があるわけですし」
「!僕の肉体がここにあるのか?じゃ、この肉体は……」
「わたしが作った擬体です。どうします?見ます?今は治療中ですけど……」
魂の世界だと言われ、肉体のことは完全に諦めていたシアンは、自分の肉体があると言われて勢い良く首を縦に振った。
◇
病室を出て治療室へ移動しながら、シアンは別のものに目を奪われてしまった。
それは窓の外から見える。現実ではありえない、色とりどりの美しい風景だった。
だが、猫から言われた言葉がシアンの感想を一瞬に砕く。
「あれが、ゴミです。美醜善悪、様々な感情と記憶と欲望が入り混じった混沌。あなたはあそこで生まれたんです」
「……それじゃ現世と同じじゃないか?」
「もっと極端的ですけどね。時間も空間も関係なく、限界まで歪められたそれらは現世のそれとは比べられない程に、時には美しく、時には醜悪な姿をあらわすんです。生身の人間には毒でしかないですから、気が狂いたくなければ、余り見ない方が良いですよ」
「……分かった……」
外の風景に心惹かれるのを振り絞って、猫の忠告通りそのまま廊下を過ぎて、シアンが治療室と書いてある自動ドアを潜ると、そこには試験管のようなものに入れられた自分の肉体と、その前に静かに立ち尽くすアンリの姿が見えてきた。
「アンリ」
「シアン様!」
シアンがアンリを呼ぶと、アンリは嬉しそうにシアンの所へ走ってきた。
「アンリ。ずっと見守っていてくれたのか?」
「はい!シアン様の大事な肉体ですからね!」
「あれ?なんかアンリお前……感じが変わったんじゃないか?」
何故かアンリの感情表現が自然になったような気がして、シアンは首を傾げた。
「分かりますか?私にも肉体ができました!」
「肉体?」
「わたしが作った擬体ですよ」
「じゃ、この感情表現は……」
「認識しなくっても肉体が感情を表現してくれるようになりました!」
アンリの説明にシアンは猫を見て起ころきの声を漏らす。
「君ってすごいな……」
「全部あなたが作った技術です。感心するなら自分自身にしてください」
「あ、そう……」
身に覚えのないことを言われても拍子抜けするだけだったが、それ以上は話が続かないのだと悟ったシアンは、話題を変えることにした。
「さっき言ったよな?僕が力を取り戻せば現世に戻れるって」
「やっぱりまたここを去っていくつもりですね、あなたは」
猫がジト目で静かにシアンを見つめる。
(僕の記憶にはないけど、確かに僕はこの猫を置き去りにしたんだよな……)
しばらく動転していたシアンはやっと、猫の気持ちに気がついた。
自分がいない間、一人でこの小さな箱庭で生きていた、置き去りにされた猫の気持ちに……
「……ゴメン」
「いいえ。私はこの箱庭を管理するために造られた擬似人格ですから。名前も貰ってませんし」
(以前の僕!どれぐらい鬼畜だったんだよ!!)
寂しそうな猫の声にシアンは以前の自分を一発、いや百発は殴りたくなった。
「今回は君も一緒に行こう。ここの管理は他の、そう人格のない自動プログラムを作ろう。そうすると君も出られる。あ、でも肉体がないな……アンリも現世に行けばまた僕の中に戻るんだろうし……よし!それも纏めて全部やってしまおう!前の僕の技術は君が知っているんだよな?全部教えてくれ!僕はまだ現世でやらなきゃならないことがあるんだ!」
ゼロの封印があれば幾らでもここに戻れる。それに以前の自分はこの世界で色々とすごいことが出来ていたそうだ。つまり、自分はもっと強くなれる。強くなって……
「古代人とか言う連中にヤラれたんでしたっけ?」
「え?……まさかアンリ?」
「はい。話しました」
「幾ら小さい世界であってもこの世界では神にも等しかったあなたが、たかが人間ごときにヤラれるとは、情けない……」
「別にヤラれたわけじゃない!」
苦しい言い訳だったが、シアンはヤラれたわけではない。結論から言えばシアンは勝ったのだ。
「まぁ、そうですね。現世で体を得るために色々捨てざるを得なかったんですから仕方ないんですね……」
「……僕の話し聞いてないな、君」
「いいです。わかりました。ここから出られるなら、手伝いましょう。わたしもこの箱庭を見飽きたところです」
こうやって、シアンにはもう一人の仲間が加わり、現世に戻る為の準備が始まった。
と、思ったが……
「あ!一つ言い忘れました」
「何だ?」
「ここ、時間的に隔離された場所ですから、肉体は現世に繋がっていても、時間までは指定出来ないんですよ」
「……ってことは……」
「現世に出ても『何時』になるかは決められません」
「……」
どうやら、シアンが現世に、ヴァノアとユウがいるその時間帯に戻るのはそう簡単ではないらしい……
※十歳編はここで終わりです。次回からは十四歳(?)編……になる予定です。
※次回の投稿は三日後10月15日の午後になる予定です。




