第五十八話 零の封印
剣道三倍段、という言葉がある。
これは、素手の格闘技で剣道を相手する場合、相手の段位の三倍が必要だという言葉だ。
《武器の利》、とでも言い換えられるだろうか。
武器による攻撃範囲の拡張、武器による殺傷能力の上昇、武器の回転運動による攻撃速度の上昇などの要因が相手を圧倒する力を武器使用者に持たせる。
これは魔法などの特殊な力が使えない限り、到底覆すことができないものだ。
しかし、それには一つだけの例外が存在する。
それは、基本的身体能力だ。
圧倒的な身体能力の差があれば、いくら優れた技術を持ってたとしても、いくら優れた武器を持っていたとしても、その全ては簡単に覆されてしまう。
例えば、今のシアンのように……
レイピアを折られて、その折られたレイピアを持つ右手も握り潰され、目の前の健在な敵の姿を睨むことしか出来なくなってしまうのだ。
このように完全に守勢に追い込まれているシアンだが、未だその両目に闘志を宿らせ、左手に握られた短剣を敵に向け敵意を燃やしている。
(アンリ……分析は?)
『敵が全力を出してはいないでしょうが、今までの動きで判断すると、力と器用さは2000弱、敏捷さは3000強、抵抗力は10000を超えていると思います』
2000、だと簡単に言っているが、人間型魔物で最強の力を誇るオーガーでさえも800前後の力を持っていて、人外だ、化け物だと言われてるシアンでさえも、器用さ以外には未だ500を超えていないことから考えると、目の前の古代人のデタラメさ加減が分かることだろう。
そして一番の問題、抵抗力10000。
この抵抗力のお蔭で、シアンの初撃が古代人の左胸を正確に刺したにもかかわらず、皮の一枚を破り筋肉の一部を傷つけただけで、レイピアはそのまま折れてしまった。
その後、見えない動きででケインズに右手を捕まり、握力だけで骨を潰され剣を持たないようになってしまったシアンは、必死で苦痛を耐えてその手を振り切り距離を取った。
このたった一手のやり取り、いや、やり取りとも言えないただの一握りでシアンの右手は満身創痍になり、替えの武器を出すにも魔力が使えず腕輪はお飾り状態。魔法で傷を癒やすことすらできない今では、頼れるのは左手の短剣一本だけになってしまった。
幸いアンリの制御で、右手の痛みはかなり軽減できていて、足も問題ないが空間隔離で逃げることもできない今では戦う以外の道はない。
だが、シアンがどんなに頭を張り巡らせてみても、負け戦の未来しか残されていなかった。
闘志はあっても勝機はない、正に絶体絶命の状態だった。
「驚いたな。思ったより素早い。それに筋肉の一部も傷つけられたか……これは苗床に使うには惜しいな」
自分の胸に手を当てて感心したように呟くケインズ。
「苗床?」
「ああ、言ったろう。私はガーデナーだ。魔力で種を作り、人間に埋める。それが芽を出し成長すると、忠実な私の下僕に生まれ変われるのだ。だが、精神にかなり負担が掛かるから、精神面で壊れ安くなるがな」
「まさか、さっき言った庭って言葉は……」
「そうだ。この国の首脳部は既に私の下僕で埋め尽くされている」
ケインズの淡々とした口調がシアンの神経を削る。
「ゲスが……」
「ゲス呼ばわりされたか……下等なものに我らの考えが理解出来ぬのも仕方ないことか」
「理解したくもないな。人間を勝手に操って自由意志を奪うゲスの考えはな」
「自由意志?欲望の読み間違いだろう?それも薄汚い私欲だ。それを奪って何が悪いんだ?」
「俺にはテメェが支配欲に塗れた薄汚いゲスに見えるんだがな」
玉砕覚悟で何も考えずに攻撃してしまいたい程の怒りを自分の内で抑えながら、シアンはケインズの言葉をそのまま返す。
「支配欲ではない。元の地位に戻してるだけだ。星を蝕む愚かな人間に希望を与えた主として」
「希望だぁ?テメエがやっていることの何処に希望がある!?」
「3000年以上前、この地の人間は滅亡に向かっていた。この星の重要エネルギ元であったルダル石を使い果たしたせいでな。そこで我らがこの星にやってきて、永遠に尽きない資源を与えてやったのだ。それを希望ではなくなんと呼ぶのだ?」
その言葉にシアンの頭の中に一つの線が繋がった。
「ダンジョン……」
永遠に湧いてくる魔獣、そこから取れる魔石。それは永遠に尽きない資源だとも言える。だが……
「わかってるのではないか……そう。そのダンジョンだ。これからお前もそのダンジョンにしてやろう。感謝したまえ」
「なに言ってるんだ?」
「さっき言っただろう?苗床に使うには惜しいと。だからお前を人間の希望に変えてやろうとしているのだ」
(人間の希望?巫山戯てるのか?異世界から魂を犠牲にしてダンジョンを作り、本気でこの世界の救世主になったつもりか?その上、俺までも救世主ごっこの道具にすると言うのか!?)
そこで、シアンの堪忍袋が切れる。怒りに身を任せてケインズに飛びかかろうと足に力を入れた。
「巫山戯ん……!!」
『シアン様!避けて!!』
その瞬間シアンの首から赤い血が噴水のように吹き上がった。
二人の位置関係は何も変わっていない。だが、ケインズの手は赤い血で染められており、シアンの首からはトクトクと血が溢れ出ている。
「……いった、い……な、にが……?」
「いきなり動こうとするからだ。思わず反応してしまったのではないか」
手に付いた血を振り払うケインズを見ながら、シアンは短剣を落として血を止めるために首を手で抑えた。だが、指の隙間から血は勢い良く飛び出て上半身を濡らしていく。完全に頸動脈が破られてしまったようだった。
段々力が体から抜けていくのを感じながらシアンは膝から崩れ、倒れた。
「まぁ、苦しいだろうけど少しだけ我慢しろ、直ぐ魂抜いて楽にしてやるから」
そう言いながらケインズは一歩前に出る。
そして、何か聞き覚えのない呪文を詠唱し始めた。
『シアン様!魔力が動きます!!今がチャンスです!!早く治療して撤退を……』
(その、まえに……やることがあるんだ……)
アンリの話を遮り、シアンは最近覚えた、何の魔法反応のない、あの魔法を、ケインズに気取られないようにこっそり使った。
その瞬間ケインズが詠唱を止め棒の様に前に倒れた。
シアンの目に薄っすらと見えるケインズの後頭部には、シアンが落した短剣が刺されている。だがそこからは血の一滴も溢れていなかった。
シアンが使ったのは数日前、見よう見まねで成功させた古代人の瞬間移動魔法だった。
それを成功させた時と同じように、椅子の代わりに短剣を移動させ、ケインズの後頭部、生命活動にとって最も大事な部分、延髄に出現させただけのその魔法は、固い皮と筋肉などは完全に無視して、延髄を完全に破壊し、ケインズの生命活動を停止させたのだ。
「……ざまぁみろ……」
シアンは自分の試みが成功したことを確認して、薄っすらと笑みを作り、そして……意識を手放した。
その直後、何も聞こえないはずのシアンの耳に、アンリの声が聞こえてきた。
『所持者の生命の危険を感知しました。これより【零の封印】を解除します』
そして、その声と共にシアンの体は、その場所から姿を消した。
◇
(病室だ。それも、地球の病室見たいだな……)
シアンは自分が気がついたベッドから身を起こし、周りを見てそんな感想を心の中で述べた。
そして傷ついていたはずの首を触ろうとして、思わず右腕を動かして見てそれも正常に動くことに気付いた。
(どう、なってるんだ?僕はさっき古代人と……アンリ?どうなったか分かる?)
だが、アンリの返事は帰ってこない。
一体、何なんだと思ったシアンはベッドの上で何回も、何回もアンリの名前を呼んだ。そして、それは結局声にまで出てしまう。
「アンリ?アンリ!」
「アンリさんは外ですよ」
「!?」
いきなり聞こえて来た声に振り返ると、病室の門の前で、
「ね、猫?」
が立っていた。
それも人間大の黒猫が、直立して、白い白衣を身にまとって……
「お帰りなさい。そして、はじめまして、ですね」
こんな訳の分からない、矛盾した言葉を口にした。
※次回の投稿は10月12日午後3時前後……にできるように頑張ります。(TT)




