第五十五話 太陽神・ラ
数分後。
大使館の方向へ出発していた馬車はシアンの予想とは違い、途中からその経路を変えた。
大使館の前でプレリアが馬車を降りるところで接近しようと思っていたシアンは、その馬車を止めて途中で邪魔をするかと一瞬悩んだが思いとどまって、馬車の行き先をそのまま追うことにした。
馬車が停まったのは、住宅街にある、小ぢんまりした一軒家の前だった。
馬車から降りたプレリアはエルフが「お主の客のようだが……」と口を出したところで、シアンの接近に気付き驚きを見せる。
どうやらエルフの方はシアンが付いて来ていたことに気づいていたようだった。
だが、何故かプレリアの最初の言葉は「お久ぶりです」でも、「どうしてここに?」でもなく、「シアンさん。そこのメイドさんは誰ですか?」だったので、色々と緊張していた気持ちが一気に他の緊張感へと変わってしまった。
プレリアとユウの視線のやり取りが、かなり激しいスパークを発していた。
シアンにはそのスパークの理由は分からなかったが、早くなんとかしないと、と思ったところで、その状況を見かねたエルフの男性が
「先約は私の方ではなかったのかな?プレリア殿」
とプレリアを喚起してくれたことで、その場は一旦収まった。
シアンはそれを見て思わずエルフに「すみません。ありがとうございます」と謝罪と感謝を一片に口にする。
頭では分からなかったけど、二人のピリピリした雰囲気の原因が自分にあることは何となく気付いていたようだった。
「外で待たせるわけにもいかない。少年も入りなさい」
「はい。すみません……」
そんなエルフの提案で、プレリアの用件に付き添うことになったシアンは、一軒家の中に足を踏み入れた。
◇
家の中に入ると、そこは家と言うより、家自体が一つの大きな書斎だった。
蔵書の量は図書館と呼んで構わないぐらい多かったが、その中央にティーてブルと安楽椅子がこの本は、個人の為にあるものだと密かに語っている。
窓まで本棚によって塞がれているせいで、内部は昼なのにもかかわらず大分暗かったが、灯りの魔道具をつけると、むしろ安定感まで覚えられるぐらい気楽な空間に変わった。
「客を迎える為の家ではないのは見て分かると思うが、茶ぐらいは出そう」
エルフは、家の雰囲気に驚いているシアンとプレリアたちをみて、ゆったりとした動きで、部屋の隅に置いてあるティーワゴンに向かう。そして、電気ポットのような形をした魔道具を発動させ、茶を入れ始めた。
すると、数秒後、何故か馴染みのある香りがシアンの鼻をくすぐってきた。
(この香り……)
『コーヒー……のようですね。この世界にコーヒーがあったんですね……』
別にに前世でコーヒーを楽しんでいたわけではなかったが、この香りは何故かシアンに郷愁を呼び起こしてくれた。
「ほお。少年はこの香りが何か知っているようだな」
「あ、いいえ。ただ、いい香りだな、と」
どうやら懐かしむような表情が顔に出てしまったようだった。シアンは少し慌てながら、言い訳を口にする。
そこで、プレリアから、漸くまともな挨拶が出されてきた。
「二年も会わない内に本当に大きくなりましたね。でもどうしてモラークまで来たんですか?」
「まぁ、僕の用事は後にしましょう。僕は招かれざる客ですし……」
「そう気にすることはない。プレリア殿は私の論文に興味があって来ただけだ」
「論文ですか?」
「ああ、私は歴史と神話に興味があってな。その研究をしている」
「神話と歴史……」
シアンはそれを聞いて『やっぱり……』と思いながら、プレリアに目を向ける。
プレリアはそんなシアンをみて頷いて見せた。
「シアンの予想している通り」と言っているのであろう。
「プレリア殿が探している私の論文だが、あの本棚にある筈だ。表側に黒い字で『太陽神・ラについて』と書いてある」
エルフはコーヒーが入ったコップをテーブルの上に乗せながら顎でプレリアの後の本棚を指した。
プレリアはそれを聞いて「ありがとう御座います」と口にしてから、早速本棚の探索に移った。
「太陽神・ラ……ですか」
シアンは、前世で古代エジプトにそんな名前の神が崇拝されていた事を思い浮かべる。
二年前《ラ・ギルルスの剣》の事件で聞いて少し気になってはいたが、色々立て込んでいたせいでそこまで深く考えたことはなかった。
だが、「名は体を表す」という言葉があるように、その神は地球と、この世界から見ると異世界と何か関係があるのかも知れない。
シアンは、プレリアと目の前にいる異世界人のエルフの話に、もう少し踏み入れてみることにした。
「僕は信仰とか宗教とかを持ってないので、神と言われてもピンと来ないんですね……」
と、前置きを置く。
「まぁ、ラザンカローは宗教活動は殆どなされていないから、そんな人は多いけど、このモラークは違うな。大きく二つの宗教が国民たちを両分している。片方が古き神である、太陽神・ラ。そしてラの娘、月の神、イーナだ」
「そんなに広まった宗教なら、色々と資料があっちこっちにあるんでしょうね。経典とか遺物とか……」
シアンのこと質問には「色んな資料が手に入る環境なのに何故プレイアはあなたを探してきたのが」という意味が含まれている。
その意味を呼んでのことがどうかは分からないが、エルフは嘲笑うような口調で返事をしてきた。
「まぁ、沢山残ってはいるな。殆どが後世によって創りだされた物ばっかりだがな」
「後世、ですか?」
シアンのその質問には、本を見つけたプレリアが返事を返した。
「簡単に言うと宗教の歴史より、遺物と経典の歴史が浅いんです。一番古い遺物すらも、800年程前の物ですし。それに比べ、ラの神暦は3000年以上を遡ります」
「空白期があるとのことですか?2000年以上も?」
「正確には空白期ではないな」
「どういう意味ですか?」
「メイブレン先生が言っているのは、信仰の主体が変わったことですよ」
宗教には対象と主体が必要で、対象は神を意味し、主体は崇めている人、崇拝者を意味する。
つまり、プレリアが言っているのは、崇拝者が変わったという意味だった。
だが、宗教は国によって、地域によって、文化によって、発展によって、人によって違ってくる物だ。主体が変わることなど、そう特別なことではない。
空白期があるとしても、戦争などの色んな原因で消失された可能性もあるし、ただ発見されなかった可能性もあるのだ。
そこで、プレリアが目の前のエルフ、メイブレンの論文の一部を読み始めた。
「このような人口分布を分析て得た結論は、3000年前、この世界の主役は古代人と呼ばれる、今は断絶された民族だったということだ。なら、本来のラ信仰の主体は古代人であって、800年前に他の主体によって全く異なる宗教として復活したと見て間違いないのではないだろうか。その疑問の手がかりは、840年前のラ教の聖人、ギルルスの記録から見つけることができる。ギルルスが執筆したと知らされた、《始まりの経典》には数本の写本があり、その写本の一つである《モラークス写本》の初頭にはこのような句が記録されている。『古き民の意志が断たれた時代、神の言葉を取り戻し』……」
そこまで読み上げたプレリアはシアンに目を戻し、内容を纏めた結論を口にした。
「つまり、太陽神・ラは古代人の神であり、ギルルスはその意志を継ぐ者と考えられる、とのことです」
※次回の投稿は10月6日午後3時頃になる予定です。




