第五十二話 裏側の一時
ラザンカロー王国の地方都市、ミケロー。
そこにある小さな露天カフェで、一人の少女がスイーツを口に運んでいた。
既にテーブルの上は空になった皿の塔が出来上がっている。
正に人外並みの食いっぷりだった。
「そんなに食べると太るよ。ミレナ」
少女、ミレナがいるテーブルの方へ、顎髭のせいで中年にも見える青年が近づいてくる。
「あたしは今非常にお腹が空いてるの。邪魔しないでくれる?トガさん」
「じゃ、普通の食事をすればいいじゃないか」
「これはあたしにとって普通の食事なの」
「はぁ、さいですか」
軽くため息を吐きながらトガは、ミレナの向かいの席に腰を降ろして、ウェートレスに「マルフィ茶、ホットで。」と簡単に注文を済ませた。
「仕事は無事終わったようだな。ダンジョンの掃除なんて、司教様も人使い荒いよな」
「それよりよ。聞いたでしょう?司教様が私たちに秘密にしていたこと」
「異世界人の魂のことか?司教様の秘密主義は何時ものことだろう?」
「その口振りだと、トガさんは知っていたんだね」
「俺も先日聞いたばかりだよ。でも仕方ないんじゃないか?司教様がやってる全てを下の俺達に知らせるわけにはいかないだろうしな」
「でも!……」
そこでウェートレスが茶を持ってきたので、一旦会話が途切れる。
そして、茶を置いて去っていくのを見てミレナは小さな声で不満を口にした。
「でも、そんな大事な話は教えて欲しかった。何故それをシアントゥレが先に知る必要があったのよ……」
「はは~ん。要するに、大好きな司教様の話をシアン君が先に知ったせいでへそを曲げていたわけだ」
「ち、ちがうわよ。だ、誰があのモヤシ男のことを……」
「まぁ、でも。少しは分かる気がするよ。確かにシアン君のことが司教様の耳に入ってから、俺らの動きも大分変わってしまったからな。戦争を後で操って色々動きまわって、悪党の真似事やってた俺達だったのに、今はこの国の人間の為に魔獣討伐なんかやってるしな。まぁ、でも俺はこっちの方が性に合ってるな」
トガはそう言ってから茶の匂いをゆっくりと楽しむ。そして、一口飲もうとしてコップに口をあてて「あちっ!」と直ぐにコップを口から離した。
どうやらネコ舌だったようだ。
「あたしは逆よ。むしろ前の方が良かった。決して悪事が好きなわけじゃないけど、あたし達が戦争を手引していたのは古代人の連中に操られない人間を作り出す為に必要なことだったんでしょう?それなのにシアントゥレと言う奴が現れた後には必要なくなっだなんて……」
「まぁ、俺達のようにギフトを持ってるか、戦争で沢山の人を殺しても精神が壊れない人間以外は、古代人の精神攻撃で簡単に壊れてしまうのは確かだしな……俺もこれ以上必要なくなったというのは、少し気になっているんだよな……」
「でも、理由を聞いても、何時も「もうすぐ分かる日が来ますよ」しか言わないし……」
「じゃ、その「もうすぐ」を待つしかないな」
「なんでそんなにあっさりしていられるのよ、あんたは!」
「だってさ。俺は司教様が拾って力を与えてくれなかったら、とっくに死んでいる人間なんだぜ?いや、あの時、俺はあの死体の山の中で死んだね。今の俺は歩く死体だ。だから、不必要な考え事はしないことにしてるんだ」
トガはどうてことないように、自分の惨めな過去史を口にする。それを聞いたミレナは悲しそうに目を下に向けて小さく呟いた。
「……それは……あたしも似たようなもんだけど……」
「それより、俺がここまで足を運んだ理由だがな。ミレナちゃんが大好きな司教様より指示が出たんだ。十日後《赤の剣》全員集合だそうだ」
「全員集合!?」
全員集合と言う言葉にミレナがパッと顔を上げ、目を丸くする。
「そう、六年ぶりの集合だ。今回もなんかでっかい仕事が待っているぞ、きっと。本当、人使い荒いよな、俺達のボスは。サハラちゃん使いは特に、な」
トガは何か楽しそうに顎鬚を擦った。
そして、二人は《赤の剣》唯一の瞬間移動能力者の苦労を頭に浮かばせ、心の中で合掌を送った。
「じゃ、サハラは今頃……」
「死ぬほど人を運んでるだろうな。後に何か美味い飯でも奢ってやらないとな」
「そう、だね……」
◇
その頃、ダンジョンより深い地の底。
今は、地上に住む人間の誰もがその名前を、いやその存在すら知らなくなった、《深淵の王宮》の一室で、二人の古代人がテーブルを挟んで向き合っていた。
「ケインズ公。今回は失態でしたね?」
赤い肌に、金髪の美しい女性が相手を睨みながら嘲笑うような口調で話をかける。
その女性はラザンカロー王宮のダンジョン事件の時シアンと遭遇した古代人だ。
「は?何言ってるんだ?失態?ロゴスの奴が勝手にやらかしたことが私の責任だと?巫山戯てるのか、イリューシア」
女性の向かいのソファーに座っている、金髪の、顔に白い刺青がある、ケインズと呼ばれは青年は、イリューシアの言葉に牙を向きながら反論を口にした。
「では、今回のことは全て、主であるあなたの意志は少しも込められてない、ロゴス一人の暴走だと、言うんですか?」
「いや。似たようなこと口にした覚えはあるな。だが、構想の段階で思いとどまったことだ。それを勝手に主の命令と考えて実行するなんて、ロゴスも馬鹿すぎる程、忠心深い家臣だったなぁ」
「伯爵に過ぎない私には、公爵のあなたを責めることは出来ませんわ。ですが、今回のことは姫様に必ず報告させて頂きます」
「ほぉ、その口振りだと、姫さまはまたお眠りに入ったと言うことか?」
「仕方ないことです。まだ、時間が必要なのですから」
悔しそうにそう呟くイリューシアのその言葉を、待っていたかのようにケインズが口を開く。
「何故、姫様に時間が必要になったんだ?お前のせいだろう?お前がみすみす異世界人の魂を盗まれたせいで、姫様は未だまともに目覚めることができないんじゃないのか?その失態の張本人がこの私に責任云々とは可笑しくて腹が痛くなるわな?なぁ?」
「それは既に姫さまのお許しを頂いてますわ。今更そんな言葉で私を責めるのは遅くないんですか、ケインズ公?」
「へえ、随分と面の皮が厚くなったんじゃないか、伯爵家の鼻垂れ娘が」
「今は私が伯爵ですから。そして鼻を垂らしていたのは3000年も前の話ですよ?」
「だが、お前が目覚めたのは20年前ではないのか?人間風にいうと25歳でしかないんだろうが」
「そうですね。でも、そんな風に言いますと、公爵と私は同じ歳になりますよ?十年前にお目覚めになりましたしね?」
「一言も負けないとはな……全く姫様の腰巾着にしておくには勿体無いな。どうだ、鞍替えしてみないか?ラヨール王子殿下にはうまく言ってやるぞ?」
「結構です。私は、私の家系は姫さまの恩あってのものですので」
「気が変わったら、何時でも話しかけてくれや。気の強い女は好きだからな」
そう言いながらケインズはソファーから身を起こす。
「待ってください。まだ、話が……!」
「私は忙しいんだよ。姫さまの枕を見守るだけのお前と違ってな。まぁ、夜に私の寝処に遊びに来るなら、話はその時にでもしようか」
「なっ!?」
「ははは。冗談だ。真に受けるなよ」
「冗談でも言っていいことと悪いことが……」
侮辱に近い言葉を聞いて、抗議を口にするイリューシア。
だが、ケインズは、顔を一瞬で真顔に戻し、イリューシアを見ながら、威圧するように、何かを宣言するように、力強い口調で、言葉を吐き出した。
「私は言っていいんだ。私は公爵。お前は伯爵。これが上下関係ってやつだ。地上の人間どもにも、もうすぐこれがハッキリと分かる日が来る。お前もその日の前までには、それが分かるようになっておけ。でないと、お前も地上の人間と同じ未来が待っているからな」
「……」
何も口に出来ずに自分を睨んでいるイリューシアを見て、満足そうに口元を釣り上げたケインズは、「また機会があればお茶でもしよう」と言い残して部屋の扉を開けた。
そして、ケインズは部屋を出て廊下を歩きながら、誰にも聞こえないような小さな声で、
「既に種は蒔いてあるんだ。それが芽生える前には分かるようになれよ、イリューシア」
と、楽しそうに呟いた。
※次回の投稿は30日の午後6時前後になる予定です。




