第三十六話 不謝(ぶしゃ)
人を殺すことは人間に多くの精神的負担を掛ける行為だ。
戦争を経験した多くの軍人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいることを見ても、それは簡単に理解できるだろう。
だが、その中でもそんな精神的負担を相当部分軽減して、他人を殺せる人たちがいる。
それは、敵を自分と同じ人間として見ない人たちだ。
例えば、敵を自分の家族を殺す殺人犯と認識するとか、同僚を殺した殺人犯として認識するとか、宗教的理由で敵を異端者と決めつける、などで精神に掛かる負担を信念で曲げている人たちがそれに当たる。
しかし、そんな信念もなく、明確な敵対関係でもないシアンが、決心をしたとは言え、いきなり人を殺すというのは簡単なことではない。
現に今も最初に攻撃した盗賊の両手足を一瞬で使い物にならないように切りつけておいて、結局とどめを刺すことが出来ずに手を振るえている。
(くっそ!なんで!なんでだ!何時ものように一振りすればいいだけなのに!)
「た、助けて…くれ……い、命だけは……」
『少し遅くなりましたけど、降伏宣言が出ました。この人は活かして警備隊に渡しましょう。まだ敵は沢山います』
今まで積極的に背中を押していたアンリも、精神のバランスが崩れかけているシアンを押し続けるのは良くないと思い、一旦、自分を追い詰めるのをやめるように話をかけた。
「おい。誰か来るぞ!」
そこで敵の接近を匂いで察知したレパロが、偶然にもアンリの言葉を支援する形で声をかけてきた。
「ここじゃ弓が使えないわよ。狭くってあなた一人で戦うことになるわ」
シアンは悔しそうに歯を食いしばって、倒れた盗賊から踵を返し狭い洞窟の通廊を伝って少し広い場所を探した。
幸い、直ぐ隣に少し広めの部屋があり、敵の気配はその向こうからこちらに近づいてきている。部屋の中には三人だけしかなく、本格的な戦闘が始まる前に片付けられそうだった。
「あっちです!中へ入りましょう!敵は三人います!」
シアンはそう叫んでから木で出来た扉を蹴って中に入り込んでいく。
レパロとリャナもその後に続いた。
だが、三人は中に入った瞬間、足を止めてしまった。
中にいたのは二人の男と一人の少女。
三人とも全裸で、午前の時間なのにも拘わらず夜の営みの最中だったようで、見るに耐えない姿のままシアンたち三人を見て固まっている。
「な、なんだ!てめえら!!」
しかし、固まっていたのはシアンたちも同じで、先に少し判断力が戻った男が大声で叫びながら、隣に服とともに投げられていた剣を手にとって構えた。
「いや~。その姿で威勢張ってもな~」
レパロが苦笑いを浮かべながらゆっくり槍を持つ手に力を入れる。
「なにそれ、つまらないもの見せつけないでよ!うぅぷ。吐き気が出そうじゃない」
リャナもレパロの挑発に続いて、更に全裸の男を熱り立たせた。
「ふ、ふざけんじゃねぇ!!俺様の何処が貧相なヘボ○○だ!!!」
「いやだ~あそこだけじゃなく口もボロ雑巾みたいじゃない~」
「くっそがぁぁあ!!!」
リャナのその挑発が効果的だったらしく、剣を持った男が不格好な態勢で攻撃を掛けてくる。
リャナもそれに対抗するために素早く矢を弓にかけて弦を引っ張ろうとしたが、いきなり前を塞ぐように飛び出たシアンが、左手に持つ短剣で男の剣撃を逆に弾き飛ばした。
「な、なにするのよ!?」
「すみません。でも、ちょっと待って下さい」
「おい。坊っちゃん!」
「すみません。ここは、僕に、殺らせてください」
いきなり戦闘の邪魔をしてきたシアンに怒りの声を上げた二人だったが、シアンの声の質がさっきとは違うことに気づいて、思わず息を飲んでしまった。
「ガキがナマ言ってんじゃねぇ!!!」
一瞬何が起こったが分からずぼうとしていた全裸の男が、シアンにもう一度剣を振るってくる。だが、それはとても拙い剣技であり、シアンはその剣を短剣で簡単に躱した後、右手のレイピアで男の首の中央の少し右部分をたった一刺しで串いた。
シアンのレイピアは、綺麗に首の右前から入り頸動脈と迷走神経を突き破り、延髓の一部を破壊して頭蓋骨の下の部分を砕いて貫通する。
その一撃だけで男は余りにも簡単に息を引き取ってしまった。
だが、その時を狙ったようにもう一人の男が弩でシアンを狙ってボルトを発射した。
既にそれも察知していたシアンは首を串刺しにされた男を、まるで盾のように利用してそのボルトを防いだ後、レイピアから手を放してもう一人の男に素早く接近した。
「チ、チキショウが!!」
男は弩を接近するシアンに投げつけけん制した直後、逆手に持った短剣でシアンを攻撃しようと手を挙げる。だが、その手は何故か棒にでもなったようにぴくっとも動かない。
「な、なんで!??」
当惑する男。だが、いつの間にか50cmぐらい前まで接近したシアンが、静かに男の目を睨み、口を開く。
「俺が怒っているのは、お前らがあんな幼い少女に、口にもしたくないようなことをやったからだ。それだけじゃない。あんな子供に隷属呪縛まで付けておいて許されると、いや思っても構わないな。どうせ今殺るから」
シアンは嘲笑うようにそう言ってから、素早く左手の短剣で男の首を戸惑いなく刎ねて、胴と頭を両断してしまった。
血が噴水の様に垂直に飛び上がってすぐにシアン方に落ちてきたが、シアンはその血にも触れたくなかったようで、一瞬で距離を取りその返り血を避けた。
その直後、切断された頭が地面に落ち、両肩の付け根に小さな氷の矢が刺さった胴体が重い音を立てながら切り落とされた丸太のようにゆっくりと倒れる。
そしてあっという間に二つの躯を作り上げたシアンは、死体になった敵には関心すら向けずに、淡々とした足取りで少女に近づく。
レパロとリャナはとんでもないものを見たような顔でその姿を眺めていた。
だが、シアンは歩きながら簡単に指示を出して二人の気を自分から反らせた。
「直ぐ敵が来るはずです。準備をしていてください。僕もこの娘を見てから直ぐ合流します」
「あ、ああ」
「わ、分かったわ」
少女は10代前半ぐらいの狼か犬系の獣人族で、木だけで作られたテーブルの上で、仰向けに大の字にされて鎖で縛られていて、その両腕には刺青のような呪縛が紫色に薄く光っていた。
シアンは少女を縛っている鎖を短剣の柄で砕いて、腕輪から出した毛布を少女に被せてあげる。
すると、少女は虚ろな瞳でシアンを見ては薄っすらと笑みを浮かべ感謝の念を伝えた。酷く微かな感情だったがそれはちゃんとシアンに伝わってきた。
何故かシアンはその笑みを見て恥ずかしくなってしまい、すぐに顔を逸して敵が近づいて来る門の方に目を向けた。
「別に感謝する必要なないよ。僕は僕の仕事をするだけだから」
自分らしくないと思いながらも、シアンは敢えてツンデレのような言葉を口にしてから、レパロとリャナの方に足を運ぶ。
その恥ずかしさのお陰か、さっきの様な重苦しい足取りでもなく、さっきのような怒りだけの顔もない、何時ものシアンに戻っていた。
だが、シアンはこの一分にも満たない短い時間の中で確実に変わっている。
それは敵を分類するようになったことだ。
今までの敵の範疇のもっと外側に、新たに《不謝の敵》が出来、今までの敵は《可謝の敵》になった。
《不謝の敵》とはシアンが殺しても謝罪したくない敵で、《可謝の敵》は殺したら謝罪したい敵のことだった。
傲慢な考え方だが、シアンはその傲慢な自分ですら受け入れると決めた。
不謝の敵にまで情けをかけて、味方が少女のような目に会うのは御免こうむる。
それがシアンの変化だった。
シアンはレパロとリャナに近づきながら最初に殺した死体から自分のレイピアを抜き取り血を払って、もう一度覚悟を決めた。
(アンリ。全開でいくよ。これからは戸惑わない!)
『はい。シアン様』
覚悟を決めて構えるシアンと、二人の戦人がいる部屋の直ぐ側で、《不謝の敵》の足音が近づいて来ていた。




