第四話 ヴァノア・イプシロン。
《『十分な情報が集まりました。スキル【細剣術】を作成しました』》
相変わらず無感覚なアンリ音声が脳内に流れている。
だが、シアンは自分が今見た物に心を奪われ、そんなことは全く気にしていなかった。
それほど、鮮烈な剣捌きだった。
敵の動きを完全に封じながら体中にある全ての腱だけを切り、呼吸する以外何も出来ない人間をあっと言う間につくり上げてしまったのだ。
「坊や。動けるかい?」
「あ、は、はい。大丈夫です」
あんなに華麗な、剣舞のような動きをしていたのに返り血一滴付けずに、息すらも上げないままのヴァノアが、シアンの脇を掲げ立たせては異常が無いかを確認する。
シアンはなんか照れくさくなってしまい顔を少し赤くしながら答えると、一歩下がり「今回は助けていただき、ありがとう御座います」と日本式に30度のお辞儀をした。
「なんだ。その子供らしくない挨拶は……。ドヴェルグ(ドワーフ)じゃないね。どう見ても人間の子供だ。6つか、7つまでは見えないが……」
「5歳です。でも、命を助けてもらって挨拶1つ出来ない人にはなるなと言われましたから」
勿論、コレはシアンが今考えついた言い訳だ。前世の親もこの世界の親もそんなこと教えてはくれなかった。
「5歳で?坊やは商人の子供かい?」
「いいえ。でも、コレを教えてくれたのは商人の人ですね」
これも今思いついた言い訳。お辞儀を叩きこまれたのはスーパーでバイトしていた時だ。あながち嘘という訳ではない。
この世界ではただの農民の子供にそんな礼儀は必要とされない。ただ、貴族と王族だけには頭を下げる必要があるけど、普通それを学ぶのはもっと歳をとってからだ。5歳の子供がこんなに礼儀を叩き込むのは商家か貴族以上の身分を持つ人だけ。
だからヴァノアはそう聞いてシアンがそれに合わせる言い訳をしたのだ。
「そっか。でも、敬語もちゃんと使ってるし、本当に礼儀正しい坊やだね」
「あ。そう言えば、自己紹介がまだでした。僕はシアントゥレ・リベレンと申します。戦争で親を亡くし避難民の人たちと一緒に王都まで来ました。元農民の子供です」
「これはご丁寧に。私はヴァノア・イプシロンだ。【戦人ギルド】の長をしている」
「戦人ギルドの長!ギルドまひゅたー!!ぃいたっ!」
ヴァノアの自己紹介を聞いたシアンがあまりの驚きで舌を噛んでしまう。
だが、シアンの反応は決して大げさなものでは無い。
【戦人】は強いて言えば、ファンタジー小説かゲームによく登場する冒険者と傭兵を合わせた人たちを称する言葉だ。
魔物を狩り、商隊を護衛し、戦場にも出る。戦に関する全てを受け持つ、戦闘専門職の総称、ソレが【戦人】なのだ。
彼らは国ごとにギルド化されて運営されており、そのギルドは独立した一種の国家権力として位置づけられる。
そんなギルドの長といえば伯爵クラスか、国家制度によっては国王と同じぐらいの権力を持つ為、ギルドマスターという人物は普通は顔を拝めることすら出来ない人たちだ。
それにこの国、ラザンカロー王国の今のギルドマスター、ヴァノア・イプシロンは少し違う意味でもその名を上げている。
一つは、身体能力が決して高くない【エルフ族】の、それも女性の身でこの国の最強と言われるぐらい強い事。
もう一つは、魔法使いとしても宮廷魔導師長クラスでありながら、国によりギルドの方を優先することだった。
基本、どんな人族でも魔力は持っている。その7割ぐらいは極僅かだが魔法を使うことが出来る。だが、戦闘に使える程の魔法となれば、その7割の中でも1割にも満たない。故に国は戦力確保のため魔法の才がある人は全額国費で教育をさせ、その代わり宮廷魔導師として国家の為、一生を過ごすことを義務付ける。勿論その待遇は極めて高待遇でそのためエリート意識も強い。
そのエリートをも凌ぐ彼女はそんな国の援助などは一切受けずに、自力で武を磨き、魔を極め、ギルドの長までなったわけだ。
故に貴族たちからは疎まれ、国民からは尊敬されている。
それはギルドの支部があるところでは誰でも知っているぐらい有名な話で、シアンもそれを知っていた。
そんな彼女が目の前に現れ自分を助けてくれた。それはシアンにとって一大事件であり、恐縮極まりないことだったのだ。
「舌、大丈夫かい?」
「ら、らいじょうぶれふ」
「しょうが無いな。ほら、【ヒール】」
ヴァノアがシアンの頭に手を載せて【ヒール】と呟いた瞬間、掌が白く輝きやがてシアンの中に溶け込んだ。
「あ、痛くない。治った。治りました!ありがとう御座います!」
シアンが再度頭を下げて感謝を述べると、ヴァノアはシアンの髪をグチャグチャに撫で回した。
「だから、子供がそんなに畏まるな!」
「は、はい~」
中身は30過ぎのオジサンなのに何故か子供扱いされることが嬉しい。
それは感情が肉体寄りだからなのか、それともそんな子供時代がなかったからなのかシアン自身にも分からなかったが、今はコレでいい。いやコレがいい、と思うことにした。
《『十分な情報が集まりました。スキル【回復魔法】を作成しました』》
だが、相変わらずアンリは空気を読まない。
◇
半刻後。
シアンは【ラザンカロー王国・戦人ギルド本部】に来ていた。
今いるのはギルド長の執務室、その部屋に集まっているのはヴァノアとシアン、気を失っている人攫いの衛兵。
そして副ギルド長のリヒト・パントーレ。
オールバックがとても似合う50代のナイスミドルって感じのオジサンだが、今はそこからナイスを取り、アングリーを付けるべき表情をしている。
「そんなことがあってそこにいる奴捕まえてきた」
「そんなことって何ですか!?ギルド長!!これは問題になりますよ!西警備隊から苦情が来ますよ!戦場からもなんの前触れもなく勝手に帰ってくる!来た早々こんな問題を平然と起こす!貴女はこのギルドを潰す気ですか!?」
「逆なんじゃないの?」
「逆ですと?」
「そいつは紛れもない人攫いだ。でも捕まえてみたら西警備隊員だった。ここにいるシアンが被害者だ。私もコイツが言っていたことを聞いてなかったら、ここまでしなかったよ。え~となんだっけ?「ちょっと高く売ってやろうと思ったが、てめぇはだめだ。たっぷり痛めつけて売淫窟に捨て値で売り捌いてやる!男のガキが好みな変人共も結構いるから精々媚び売って長く生き延びてみろや!」だっけ?なぁ?」
ヴァノアが淡々とさっきの言葉を繰り返しながら部屋の隅に潰れている衛兵に目をやると、衛兵の視線が激しく宙を彷徨う。それを見たリヒトは「はぁ~」と深く溜息を吐いてから、額に手を当ててヴァノアを睨む。
「まさか、狙ってやった、ってことですか?」
「まぁね。戦場に知らせに来た奴等から聞いた犯行時間帯と場所がどうにも気になったからね」
戦争の為、王都でも数多い男の人が留守にしている。つまり女子供の比率が高い状態だ。そんな状況で人攫いが続出しているということは幾ら疑いの目を取り払ってみても衛兵達の職務怠慢。ゆえに、ヴァノアは時間帯と犯行場所を聞いて衛兵がそれに直、間接的に関わっていると見ていた。
それが今回の事で証明されることになった、ということだ。
これで何時も「寄せ集めの喧嘩や集団」だの「何時も国を裏切る金の亡者」だの、ギルドのやり方に文句を言って来る警備隊と軍部への抑止力が持てる。そして警備隊を牛耳っている貴族院の連中に対する牽制にもなる。
ヴァノアが全てを計算してやったわけでは無いが、結果としては上々、この上無いことなのだ。
「全く、貴女って人は……」
困ったように首を振っているがリヒトもコレ以上言うことは無いらしく、視線をシアンに向ける。
「事情聴取とかで暫く少年には面倒を掛けます。お家族には我々の方から連絡を入れますので、住所を教えて頂けますか?」
「あ、いいえ。大丈夫です。僕は難民で、家族はいませんから」
「それは申し訳ないことを聞きました。じゃ、キャンプの方に……」
「それより、お願いしたいことがありますけど」
「お願いですか?」
聞き返された言葉に少し口篭りながらも決然とした口調でシアンは自分の願い事を口にする。
「その……今回の件が終わりましたら、僕をここで働かせて頂けませんか?」
「ここって戦人ギルドで?」
「はい!十歳になったら戦人になりたいと思います!今は下働きでも構いませんからここで働かせてください!!」
「少年は5,6歳ぐらいしか……」
「お願いします!!!」
段々お辞儀の角度も大きくなって行き、願いの言葉も切実さを増す。
リヒトが助けを求めるようにヴァノアに目を向けると、ヴァノアは薄っすらと笑いながら口を開く。しかし、リヒトはその顔を見て嫌な予感を感じた。
(あの目はギルド長が面白い物を見つけた時の目だ)
そしてそんな予感はすぐに事実であったと証明される。
「十歳と言わず、もっと早くならどうだい?」
「はぃい!?」
「なっ!?」
ヴァノアの十歳という年齢制限を無視する衝撃発言にシアンもリヒトも唖然とする。
「ただし、私が出す宿題を坊やが解決できたら、ね?」