第三十二話 波は直ぐそこまで来ている
「怪しい宗教集団とは長付き合いしたくないけどな」
《銀血のトガ》と言う《赤の剣》の人間がかけたその言葉を、シアンはバッサリと切り捨てた。
「いや。長い付き合いになるさ。お前が強さを求める限りそれは免れない事実になる」
「どういう意味だ?」
「何れ分かるようになる、とだけ言っておこう。波は直ぐそこまで来ているからな」
「そんな雲を掴むような話をするために態々出向いたのか?案外暇みたいだな、《赤の剣》の人間は」
波、という意味ありげなことを口にしたトガは、シアンの皮肉が込まれた詰問に、声だけではあるが自分が直接出向いた理由を述べ始めた。
「そう急かさずともいいものを……まだ子供だからしかたないか。まぁいい。これから我が《赤の剣》はラザンカローから手を引く。戦争をさせるメリットは既になくなった。十分な成果も得た。用件はそれだけだよ」
「それを我らに信じよと言うつもりか?」
その言葉にはシアンより早く公爵が反応した。
「信じるも信じないも関係ないね。でも、モラークは気を付けたほうがいいぞ。上層部がどうしようもないぐらい腐ってしまって国家崩壊が始まっているから。ああ、でもあんたは後20年以上ここに釘付けだっけ?なら、危険は無いな。よかったな、公爵さん」
スラスラと国家機密を口にしていくトガ。だが、今回は公爵が何かを言い返す前にシアンが口を開いた。
「戦争が大好きな《赤の剣》にしちゃ親切じゃないか。まさか恩にでも着せるつもりなのか?」
「まぁ、世間は我らを悪人と断定しているみたいだが、我らにも我らの正義があるんだ。必要のない悪事まで手を染めて自分を怪我したりはしないさ」
それは狂信者の論理だ、とシアンは言おうとしたが、それを口にする前にアンリがシアンの考えに異論を唱えてきた。
『いいえ。違います。これは革命家の口振りです』
(革命家?)
『はい。未来、波、直ぐそこ、それは一般的に地球では《革命》の時に使われている単語です。でも、銀血のトガは《波が来る》と言っていました。多分《赤の剣》が恐れている他の存在がいる可能性があると思います』
そこで、アンリの言葉に合わせるようにトガが最後の話を始めた。
「用は済んだし、帰らせて貰うわ。この力余り好きじゃないんだ。って、いっけない!忘れる所だった。シアントゥレ。もっと強くなれよ。今のままじゃ波に飲まれるぞ。これから来る時代は狂気の時代だ。我々はそれに備えて、あっちこっちで戦争をやらせているが、それも遠くない内に効果が激減する。その時には直接、顔見にきてやるから、その時まで強くなっておけ」
それを最後にボヤンの口はコレ以上動かなくなる。
だが、狂気の時代という言葉は、公爵とシアンの耳元に張り付いて離れなかった。
そこで、シアンは気づく。
《シアンに挨拶しに来た。長い付き合い。波が来る。狂気の時代。強くなれ。》などといったトガの言葉が、最初から最後まで全てシアンに向けての言葉だったことを。
しかし、幾ら能力があるといえ子供にそれを言うのは何か目的があったのではないか。それと《赤の剣》の人間の言葉を何処まで信じればいいのか。狂気と波の意味は一体何なのか?
そんな疑問がシアンとアンリを悩ませる。
勿論それは公爵も同じだったが、
「シアントゥレ。まずは息子の、いや娘の様子を見に行きたいが……」
自分の娘への心配が優先し、先に悩みを片付けた公爵がカルーアの安全を聞いてきた。
シアンは「あ、今下の階に……」と言いながら扉の方に踵を返すが、そこで、いるはずの人間が一人いないことに気が付いた。
「あれ?ライラ、さんが……逃げた?」
「逃げただと!?」
『はい。逃げる時気付きましたが、トガとの話が大事だと思い、知らせませんでした。既に個人職別出来る資料は揃っていますので何時でも追跡は可能です』
驚くシアンと公爵とは違いアンリは淡々とした口調で見逃した理由を話しシアンを安心させる。
だが、カルーアと公爵を会わせた後、ライラを追跡し追いついた時、シアンとアンリは直ぐ追跡を掛けなかったことを後悔することになった。
◇
場所はギルドの寮の一室。
「犯人は……」
少し離れた場所で四肢が砕かれた上、心臓まで抉られて死亡しているライラの死体を目にしながら、シアンは犯人のことをヴァノアに聞く。
「手がかりすらないわ。これは警備隊の仕事だけど、ギルドでも直接調査する必要があるね」
(アンリ。犯人の特定出来そうか?)
『無理ですね。犯行現場の捜査の為に既に数十人は出入りしています。そのせいで痕跡が全部消えてしまったようです。前回のように逆に薄い体臭などの特徴があれば探しようがありますが。それもないですし……」
シアンがライラを追跡してギルドの寮に到着したのは、犯行の一刻(二時間)後。
その間に死体が発見され、警備隊とギルド員による初動捜査が行われていた。だが、手がかりは何もなく、挙句には犯行に使われた武器の種類すらも分からない状況で、犯人を特定しようと言うことは無理な話だった。
この世界には指紋とかDNAなどを使った捜査方法などはない為、状況証拠の分析結果と、聞き込み等による証言が捜査の基礎になる。だが、それすらまともに揃わない今、事件は迷宮入りコース確定のようなものだった。
だが、シアンには犯人を捕まえるより先に、ヴァノアに話さなきゃならないことがあった。
「ヴァノアさ……いいえ。ギルドマスター。報告したいことがあります」
「ん?報告?」
「出来れば執務室の方でしたいのですが」
「ああ、そうだな。行こう。ここでやれることは今は無いみたいだからな」
◇
ヴァノアの執務室の方へ移動したシアンは出来るだけ簡略に、《ラ・ギルルスの剣》の話と、ライラがスパイだったことを説明したが、思ったより長い説明になってしまった。勿論、個人のプライバシーがあるためプレリアとカルーア関連のことは出来るだけ伏せておいた。
「ライラが諜報員だったか……」
「これはギルドの信用に関する問題になるんでしょうね……」
「いや、それは違う」
「え?」
「ライラはギルドに入る時、警備隊から任されたケースだからな。面倒を押し付けた警備隊の責任に出来る」
ヴァノアは、なんともないみたいにそう言っていたが、事実上ギルドはある程度は責任を負うことになることを、ヴァノアもシアンも知っていた。
ただ、それはライラが諜報員だと証明出来る物が発見されたら、の話だ。
状況証拠からみるに、ライラを殺害したのは、同じスパイか、《ラ・ギルルスの剣》の人間だ。
ならば殺害して口を縫い付けるだけではなく、物理的証拠なども処分されている可能性が非常に高い。
よってライラが諜報員だと証明出来ないのだ。
「まぁ、それにしても、本当、子供に似合わない経験が後を絶たないんだな。不憫な息子だよ、お前は」
「別にやりたくってやってるわけではありませんよ。それに不憫と思って無いでしょう?お母様?」
「それに気づくとはさすがわが息子だよ、シアン」
「これ……どう見ても親子の会話ではありませんよね」
「まぁ、そう言うな。こんな親子関係がなければ作っていけばいいだけさ。さぁ、これで報告は終わったな?陛下にも早速報告しないと駄目だし、大使館に行ってから、王宮に行かないと。あ~今夜もまた徹夜か……」
「付き合います。張本人がサボるわけにはいきませんから」
色々溜まったストレスを頭から追いやるように、下らない冗談を交わしていた二人は出来るだけ遅い足取りでギルドを出た。
そんなよく似た思考構造を持つ二人は少しだけだが、親子らしく、見えなくもなかった。
そうやって、漸くシアンの波乱に満ちた数日間が一段落ついた。
しかし、まだ多くの問題と疑問が残ってしまった。
ライラ殺害事件のこと。波のこと。狂気の未来の事。
そしてそんな全てを含む《ラ・ギルルスの剣》、《赤の剣》のことまで、解決の見込みもないその全てが、只々シアンとアンリの心の中で不安の種に水を注ぎ続けている。
だが、それらのことを、シアンは一旦伏せておくことにした。
悩みは必要だが、悩み過ぎは病になる。
それをよく知っているシアンだから、今は、そう今だけは、そうしておくことにした。
◇
その頃、ギルド寮の一室。
一人の警備隊員が部屋ごと聴きこみに廻っている。
「はい……私にわかるのはそれだけです。お役に立てずに申し訳ありません」
「いいえ。ありがとうございました。これでも十分な助けになります。では、」
警備隊員は申し訳無さそうに頭を下げるギルドの職員、ミリアーナに軽く挨拶をした後に次の部屋に足を運んだ。
『いや~。見事な演技ですね。本当に何も知らないように見えますよ。ミリアーナさん?』
その時、ミリアーナの耳にミリアーナにしか音にならない声が聞こえてきた。
所謂、念話という奴だ。
『トガさん。あんた、少しは反省しなさいよ。あんたのせいで私がライラちゃんを殺すことになったんだから』
だが、ミリアーナも何故か同じく念話を使い、念話の相手、トガに返事をする。何時ものミリアーナとは違う冷たい口調だった。
それに面倒以外の何の感情も載せないまま、苦楽を共にした同僚の殺害を話す。
顔は同じでもまるで別人のような話し方だった。
『それはすみませえんね。でも、これちゃんと司教様の許可も取ったんですよ?シアントゥレの現状能力確認と接触、情報の譲渡まで、全部』
『知ってるわ。だからコレぐらいの文句で勘弁してやっているのよ。じゃないと……』
『はい。はい。分かっています。《黒血のミリー》さん。私もあなたに心臓抉られたくないですから。じゃ、私はコレで。また連絡します』
トガのその声にミリアーナ、黒血のミリーは顔を上げて少し離れた建物の屋根の上を凝視する。
そこには、顎に髭を生やした、青年とも中年とも言えない男の人が手を降っていた。
だが、その直後、男は最初からいなかったように忽然と姿を消してしまう。
ミリアーナはそれが当たり前だとも言うようにそこから視線を外して、顔に笑みを浮かべた。
それは何時ものギルド職員、ミリアーナの笑顔だった。




