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ガーディアン

ガーディアン 第五話(挿話) ~大森パトロール社設立の理由~

作者: 藤浦リサ

「ガーディアン」シリーズの、第一話~第四話を読んでいただいた方を対象とした、「挿話」的な回です。警護シーンのない、やや解説的な回となります。大森パトロール社の背景の紹介が中心ですが、第六話の予告的な部分も一部あります。

 河合茂は金曜夜をできるだけ過ごすことにしているいつものバーをスルーして、平日昼間仕事をしている会社から、まっすぐに、同じ最寄駅の反対側にある雑居ビルへ向かった。二階に上がると、茂が土日夜間限定で警護員として働いている大森パトロール社の事務所がある。

 前回の警護で負傷してから、入院中になまった体を早くもとに戻すため、早く仕事を割り振ってほしいと波多野営業部長に頼んであるが、そうはいってもなかなか今の彼にちょうどよい案件・・・つまりあまり体力的にハードでなく長期でもなくなおかつ土日夜間だけの仕事・・・は都合よく発生しない。

 事務所へ来ると、尊敬する先輩警護員の高原晶生や葛城怜に会えるのではないかという期待と同時に、平日昼間働いているほうの会社で自他ともに認める相性最悪の同期の三村英一がまた遊びに来ているのではないかという不安が同時に頭をもたげ、いつも茂にとって事務所に入る瞬間はエキサイティングかつスリリングだ。英一はなぜか先輩警護員たちと、とくに高原と、仲がいい。

 今日は波多野営業部長から、経費で夕食を食べさせてやる、と呼び出されていた。今までの経験からそれはたぶん単に応接室で一緒に弁当を食べることを指しているとは思われるが、なおかつ、特に新しい警護の仕事の話のような感じでもない。

 茂が従業員用の入口からカードキーで事務所へ入ると、事務室の奥の応接室から大きな声で波多野営業部長の呼び声が迎えた。

「茂かー?」

「はい、ちょっと早めに着いてしまいましたが、いいですか?」

「おう、冷蔵庫から麦茶持ってきてくれ、麦茶。」

 ピッチャーに入った麦茶と、グラスふたつを給湯室から持ち出し、テレビのついている応接室へと入る。

 波多野営業部長は坊主刈りに近い短髪と、がさつそうな容姿に、いつものようにまったく似合わないメタルフレームのメガネをして、ソファに持たれて手元のファイルに目を落としていた。

 茂が向かいに座ると、テーブルに準備されていたふたつの弁当のうちひとつを波多野がすすめる。

「いただきます」

 テレビからバラエティ番組の他愛のない笑い声が聞こえてくる。

 箸を口に運びながら、茂は波多野の言葉を待った。

 波多野はおもむろにテレビを消し、ソファの背中にもたれたまま、ちょっと楽しそうに、茂の薄茶色の目をメガネ越しに見た。

「茂、お前も、もう普通の警護を三回くらい経験したんだなあ。」

「普通の警護って、波多野さん・・・」

「だから、入門編な軽めのストーカー対策でもなく、ホモのおっさんの痴情のもつれ対策でもないやつだよ」

「ならば、四回ですねー。」

「そうか。三村さんの警護、豊嶋氏の、笈川氏の、そして、お前がケガしたのが前回の治賀氏のやつだもんな。」

「特に一回目のは忘れたい気がしますが」

「そろそろ、新人とか新米とか、呼ばれるのも卒業してもいいような回数だな。」

「そうですよね!」

「・・・しかし、まだまだ、実力的には正真正銘の新米だけどなー。」

「・・・はい。」

 波多野は自分も弁当を食べ始めながら、言葉を続ける。

「うちの会社の、警護部門には、二十五人の警護員がいる。」

「はい。」

「うち、半分はお前と同じように、ほかに仕事を持っているパートタイマーだ。」

「はい。」

「残りはフルタイムの警護員だが、いずれにしても警護員の入れ替わりは激しいから、一年程度でだいたい半分近くが入れ替わっていく。」

「だそうですね。」

「在職三年以上になるやつは、今、十二名いる。そして・・・そのうち、大森パトロール社ができたときからいるのは、四人だ。」

「高原さんと、葛城さんが、その四人のうちの二人なんですよね。」

「そうだ。怜に聞いたか?」

「はい。」

「そして忘れてもらっちゃ困るが、この波多野も、会社設立のとき以来ここにいる。」

「そうなんですね。」

「大勢の警護員たちを見てきたから、俺は、そいつがどのくらいの期間うちにいることになるか、だいたい分かる。で、長居しそうなやつには、必ず、話していることがある。」

「・・・・」

 波多野がソファの背もたれから背中を離し、両肘を両足の上に置いて少しだけ上体を前に傾けた。

「うちの会社・・・大森パトロール社が、できた理由、だ。」

「理由・・ですか・・?」

「別に大したことじゃないがね。うちは若い、小さい会社だ。そして、話してそれで、だからどうということもない。ただ、必ず、話す。それだけだ。」

「・・・はい。」

 手元のファイルのページを開き、茂のほうを向けて波多野はテーブルの上に置いた。

 そこには、一人の、美しい女性のスナップ写真が貼りつけてあった。

「これが、その、理由だ。」

「・・・・?」

「大森政子社長が・・・いや、当時は単に”メンバー”と呼ばれていたが・・・彼女と、この人との、ある事件が、今うちの会社がある、理由なんだ。」

「この人は・・・?」

「彼女が当時働いていた会社で、彼女を育てた、恩人だ。名前は、里見祥子。」

 今、大森パトロール社に、女性のメンバー・・・警護員は、いない。社長が女性であることはもちろんよく分かっていた茂だったが、改めて、不思議な感じがした。

「大森社長が当時働いていた会社って、やはり警備会社だったんですか?」

「まあ、そんなもんだが、何でも屋だったそうだ。もともと大森社長は、警察の人間だったんだが、一緒に警察を辞めた友人数人で会社を立ち上げた。メンバーは知り合いの知り合い、というようなつてで、ほかの警備会社や探偵社から引き抜いたり、そしてもちろん警察官出身者にも声をかけて、一番多いときで総勢二~三十人の所帯だった。」

「なんでも屋って・・・」

「身辺警護業務が中心だったが、はっきりしたポリシーはなくて、相談ごとが持ち込まれたらかなり手広く対応していた。かなり非合法すれすれのこともやっていた。」

「・・・・」

「たとえば・・・盗品を、盗み返すとか。あるいは、ストーカーに罠をしかけてわざと犯罪行為に及ばせ逮捕させるとか。」

「・・・・すれすれというより、一部違法なような・・・」

「大森社長もその友人も自分たちは警護業務はほぼ素人だったから、かつて女性SPだった人間を契約社員兼研修講師として迎えた。」

「なるほど。それが・・・」

「そう、里見だ。」




 茂と波多野が話している大森パトロール社の警護員事務所から、私鉄で何駅か行ったところに、もう少し大きな雑居ビルに入ったもう少し大きな事務所がある。大森パトロール社の、警備部門の事務所である。制服を着たガードマンとしてビルの警備などを請け負う部門であり、従業員数も多く、事務室も広い。

 真っ黒に日焼けした若い男が、派手なトライアスロンウェアを着て手にバイク用ヘルメットを持ったまま、従業員用入口からカードキーで入ってきた。事務室に入るとお客様用入口の近くに座っている当直事務員らしい女性が振り返り、あきれたように声をかける。

「山添さん、またそんな恰好で・・・。お客様に見られたらうちの従業員のイメージがガタ落ちですから、早く着替えてくださいねー。警護員と警備員とが違うなんてお客様にはわからないんですから。」

「ごめんごめん、移動時間は貴重なトレーニングの時間だからさあ。いつも大目に見てくれて感謝してるってば。宿直室のシャワー借りるよ。」

「どうぞ。こっちにいらっしゃって、今日も調べものですか?」

「うん。高原は来てる?」

「ずいぶん早くからお見えですよ。私が出勤してきたときはもういらっしゃいましたから。」

 やがてシャワー室から出てきた山添は、耳の下くらいまで伸ばしたやや長めの髪をタオルで拭きながら、事務室の奥の資料室へ向かう。

 重い扉を開けると、コンピューターのサーバー特有の音と空調の音、そして書庫にある大量の資料が放つ埃と紙の匂いが、山添を包む。大森パトロール社の過去の警護記録を中心に、警護・警備業務に関連するあらゆる資料が閲覧できる場所である。外部にもサーバーはリースしているが、同じものを自前でも保存している。紙の資料も電子化して保存してあるので、ここまで来なくても警護員事務所のほうの端末からも閲覧できる。が、紙資料を直接見られることや、空間的に広く複数人数での調べものがしやすいこと、そして性能の良いプリンターやコピー機が充実していることから、警護員たちは、込み入った調べものをしたいときはよくここへ来る。

 資料室のほぼ中央にあるテーブルに、こちら側から見て横向きに、警護員仲間の高原晶生が座っている。

 山添は入口の扉を締めながら呼びかける。

「晶生!ずいぶん朝早くからメールくれたんで、びっくりしたよ。もしかして、何か分かったか?」

 高原がこちらを振り返る。高原晶生は、すらりと背が高く、知的な顔立ちにメガネがよく似合うが、同時に不思議な愛嬌と人好きのする笑顔が特徴だ。爽やかな短髪も、清潔感ある服装も、高校の科学の教諭になったら女性高生から大人気になりそうな雰囲気である。

 しかし、高原は今日はいつものような笑顔ではなく、長時間の調べもののあとらしい憔悴した表情を隠そうともしていなかった。

「ああ、崇。仕事で疲れてるとこ悪いな。」

 ようやく少し顔に笑顔を浮かべ、高原は山添のほうを見た。

「お前のほうがよっぽど疲れてるぞ、晶生。どうした?」




「大森社長とその仲間は、手取り足取り、警護の基本を里見から学んだ。今お前が受けているような、ちゃんとした警護員の育成プログラムもそのころだんだんに出来ていった。」

「ボディガードがどんなことをするのか、俺も、入社して研修を受けるまでずいぶん誤解していた気がします。」

 茂は、少し上を向いて、それほど前のことではない、自分の入社当時のことを思い出してみる。茂は茶色のさらさらした髪と、そしてさらに色の薄い茶色の目が特徴だが、その童顔が、もともと若い茂の年齢をさらに若く見せている。

「やたら屈強そうな目つきの悪い男が、用心棒みたいに腕力だけで守ってるイメージが、いまだに世間にはあるようだからな。」

「警察のSPとごっちゃにされることもありそうですし・・・」

「警察は、銃と、そして必要な権力とを持っている。そしてその守備範囲は決まっている。我々民間の警備会社は、銃も権力もないが、警察の守備範囲ではないところを、カバーする。」

「波多野さん、そうしますと、今のお話で・・・・大森社長が当時設立した会社は、純粋な警備会社というわけではなかったんですね。」

「そうなんだよ。」

「警備会社は警察業務との補完関係にあると自認しているわけですから、違法すれすれのことなんかしませんよね。」

「まさに、そうなんだよな。創成期の、まさに野生の王国みたいだった会社で、でもだんだん警護の基礎を教えるうち、里見はやはり仕事のやり方を合法に・・・すれすれとかじゃなく、普通に合法にしていこうとした。」

「そりゃそうですよね。」

「大森社長もその仲間も、最初は里見の意図をよく理解できなかった。それじゃ自分たちが警察をやめる前と変わらないじゃないかってね。」

「うーん。」

「礼状がなくて家宅捜索できない、だから、防げる被害も防げない。大森社長やその仲間は、警察時代にこういうふうなストレスが背景としてあったから、自由な民間人になったら好きな方法で依頼人の利益を守りたいと思っていたわけだ。」

「・・・・。」

「まあつまりはだな、『警察の守備範囲以外のところ』というのを、どういう意味だと理解するか、なんだよ。」

「警察が、警察だけじゃなくほかの何者であろうと、やるべきでないと考えて、やらないことと・・・・」

「そう。それと、警察が、必要なら警察以外の者がやるべきと考えていることと、だ。」

 茂の顔色が、さっと変わった。それは、少し遅すぎるくらいだった。

「里見は、自分の考え方を、警護の実践の場で、何度でも、体で示したそうだ。」

「それは・・・」

「たとえば、こういうことがあった。悪質なストーカー対策で、依頼人にはおそらく生命の危険。当時まだストーカーというものへの法や行政の対応は今ほど充実していない。ストーカーの行動を止めることは法的には不可能。」

「・・・・」

「大森社長たちの会社が、事前準備で調べただけで、ほぼ、ストーカーが次にどんなふうに依頼人を襲撃してくるか、予想がついた。”メンバー”たちは、身代わりとかおとりとかの手法を主張した。しかし里見は、警護技術の教員として、そして同時に”メンバー”として、全員に、はっきりと言い渡した。」

「・・・・」

「違法な攻撃以外には対処無用である、っていうことと、」

 茂が言葉を継いだ。

「そして、合法な防御以外は無用である、・・・・・ですね?」

「そうだよ。」

「里見さんは会社設立メンバーでもないのに、ずいぶん権力があったんですね。」

「権力じゃないな。」

「・・・」

「そのケースを、里見は自らメイン警護員として担当したんだ。そして周到な事前準備の上で、クライアントの女性にぴったりついて、三週間、身辺警護を続けた。」

「・・・どうなったんですか?」

「襲撃機会をほぼ奪われた犯人が、最後はやみくもな攻撃をしかけてきた。計画性もなにもなかったから、もちろん、防御できた。ただし、里見さんは負傷した。それもかなりの重傷だった。」

「そうなんですね。」

「犯人は逮捕された。このことで、当時の会社の中では、ふたつのことが決定的になった。ひとつは、里見がその主張を実地で体を張って貫いたことで、彼女の人望はゆるぎないものとなったこと。もうひとつは・・・社内で、”メンバー”たちの考え方が、二分されてしまったこと。」

「分裂ですか?」

「皆が、里見を信奉しているからこそのことだった。大森社長は、里見の考え方に納得した。しかし大森社長と共に会社を立ち上げた一番仲の良い友人・・・うちの会社とは関係ない人だから仮にYさんとしておこうか、彼女が、大森社長とは反対の解釈をした。」

「里見さんを信奉するのは同じなのに、逆というと・・・」

「Yさんは、親友で共同経営者でもある大森社長に、こう言ったそうだ。・・・里見さんは正しいし、立派だ。今や尊敬していると言ってもいい。しかし、里見さんは警察SPの考えから結局抜けきることができない人だ。要人でもなんでもない、地位も財産もない一般の人々を、朝から晩まで長期間に渡り密着して警護するなどというのは、現実的なことではない。」

「・・・確かに・・・。」

「しかも、そういう警護をしてでさえ、里見さんはクライアントの身代わりに重傷を負った。なぜか?答えは簡単だ。犯人が違法な行為に出るまで待つとか、自分たちは違法な防御はしないとか、そういうことにこだわったからだ。・・・Yさんは、そう言った。」

「・・・・じゃあ、ふたりは、袂を分かつことに・・・?」

「いや、里見が退院して仕事に復帰するまで、皆、彼女の帰りを待っていたし、復帰後はなにはともあれ彼女のもとで仕事は続いた。」

「みんな、里見さんが、好きだったんですね。」

「理屈はともかく、必要とされた人だったんだな。」

 



 夜のカフェ・バーで、葛城怜は軽い食事をしながら、携帯端末を見つめていた。

 葛城は身長一七〇センチくらいの、茂と同じくらいの背格好でやはり細身の、青年である。しかし、茂と異なり、髪を肩の下辺りまで無造作に伸ばして顔を覆い、さらに大きめの伊達メガネまでかけている。それはとにもかくにも、その顔を世間から少しでも隠すためだった。その効果が限定的だとしても、ないよりははるかにマシだった。

 特に呼んではいないのに、食事を運んできた店員とは別の人間が、水を注ぎに何度もやってくる。それも毎回違う人間が。そしてどの人間も、うつむき加減の葛城の顔を最低五秒間は見つめて、帰っていく。

 いつものことだが、葛城はため息をついた。

「とにかく自炊したほうがいいって、晶生が言っていたな・・・・確かに、あいつの言うとおりだけど。」

 葛城は最近の男性には珍しく、料理が非常に苦手なのだ。

 厨房では、店員たちがひそひそ話していた。

「見た?」

「見た見た。」

「男のひと・・・よね?」

「えっ、男装の麗人じゃない?」

「ノーメークだよ。」

「あんなキレイな顔、私人生で初めて見た。」

「単にキレイというより、もう悪魔のレベルじゃん?」

「もう一回見てこようかな・・・でも目を合わせたら魂ぬかれそう。」

 葛城は、文字通り美女と見紛うような、そして、この世のすべての美女が戦慄し自信喪失するような、絶世の美貌の持ち主なのだ。

 だから、彼の職業を聞いた人は、たいてい信じない。

「遅いな。」

 手元の携帯端末を見つめ、葛城は新着メールをしきりにチェックするが、なにも届いていない。

 しびれを切らして、葛城は背もたれのジャケットを取り上げ、席を立った。店員のひとりが、慌ててテーブルへ走ってきて、伝票の上に置いてある現金を見て一礼する。

「ありがとうございました。」

「ごちそうさまでした。」

「あ、あの、お客さま・・・」

「なんですか?」

「失礼ですが、芸能人か、モデルさんでいらっしゃいます・・・?」

「いいえ。」

 葛城は伏し目がちに笑った。店員の顔が真っ赤になった。

「・・・私は、警備会社に勤めています。」




 茂は、波多野部長の話が、どう考えてもあの三度目の警護で”奴ら”から言われた話と、無関係であるとは思えないのに、その点については驚くほど気にならない自分に、逆に驚いている。

 それは、あの事件の後、このことについてなるべく考えないようにしていることが最早習慣化しているせいかもしれないし、あるいはまた、こうしたことが、特定の人物や会社に関わる問題ではなく、もっと普遍的なこととして茂の心に存在するようになっているからかもしれない。

「でも、大森社長は数年前にこの大森パトロール社を立ち上げました。ということは、前いたその会社は、その後もちろん辞めたんですよね。」

「そうだ。里見が退院して仕事に復帰した後、まもなく、大森社長は当時いた会社を、辞めた。」

「なにかきっかけが・・・」

「その前に、里見が、辞めたんだ。」

「えっ・・・・。あんなに、社員教育をがんばっていたのに?」

 波多野が麦茶を飲み干し、茂はピッチャーから波多野のグラスと、それから自分のグラスに、二杯目を注いだ。

 里見は、今、警護の関係の仕事をどこかでしているのだろうか。

 できることなら、彼女に会ってみたい、と、茂は思った。会って、自分の中に今もなくならない疑問について、彼女の話を聞いてみたいのだ。しかし茂の直観が、彼に告げていた。おそらく里見は今、行方がわからないのではないか。そしてなにかの理由で、大森社長は、彼女に二度と会えない立場になってしまったのではないか。

「里見が前の会社を去ったのは、その後のもう一件の警護案件が原因だ。」

「ストーカーですか?」

「シリアル・キラー・・・・連続殺人犯だ。」

「・・・・」

「里見は大森社長やその共同経営者のYと同じく、警察出身・・・そしてもと女性SPだ。」

「はい。」

「ある警護案件で、里見が担当したクライアントを殺害しかかったのが、前科のある病的な連続殺人犯だとわかった。しかし証拠不十分で逮捕されなかった。」

「現行犯としておさえられなかったんですか。」

「そうだ。しかも因果な話だが、その犯人は、里見が警察にいた時代にも、警官と犯罪者として関わりを持ったことがあったんだ。」

「その犯人は、もしかして里見さんを・・・」

「そう、恨んだ。その警護案件で目的を達成できなかった後、まもなく、今度は里見の殺害予告をしてきた。」

「・・・・」

「もちろん警察には届けた。同時に、大森社長とそして共同経営者のYの二人は、会社の命運をかけて、里見を今度は警護対象として守ることに決めたんだ。」

「そうですよね。」

「だが、想像つくよな、茂。」

「・・・はい・・」

「大森と、Yとの、意見はまったく一致しなかった。」

「つまり、法を犯してでも、里見さんの命を守ることを何より優先するかどうか、についてですね。」

「そうだ。」

 茂は、唾を飲み込み、次の質問をした。

「里見さんの、意思は・・?それは、どうだったんですか?」

 しかし訊いたあとで、この質問が無用のものだったことに茂は気が付いた。




 大森パトロール社の警備員事務所の入っている少し大きな雑居ビル前に着き、葛城がエレベーターから事務所入り口へ向かう。警備部門は窓口を一年三六五日開けているから、お客様用入口も明りがついている。その横にある従業員用入口を、カードキーで開けて中に入ると、当直事務員が振り返って声をかけてきた。

「ああ、葛城さん。警護のお仕事帰りですか?遅くまでお疲れ様です。」

「こんばんは。今日、こっちに高原警護員と、山添警護員が来ているはずなんですが、いますか?」

「確かにいらしてました。お待ち合わせだったんですね。」

「そうなんです。二人はもう帰ってしまいましたか?」

「いえ、ちょっと前までおられたんですが、二人でさっき外出してしまいまして。すぐ戻りますから、っておっしゃってはいましたけど。」

「そうなんですか。」

「・・・ちょっと、様子が変でしたよ。」

「えっ・・?」

「なんだかすごく、怖い顔しておられました。二人とも。」

 葛城は、広い事務室を抜けて、奥の資料室へ入った。机の上に書類はなかったが、ペンやクリップが散乱しており、椅子がふたつ引かれていて、少し前まで二人が何かを見ながら話していたことがわかる。

 椅子のひとつに座ってしばらく葛城はぼんやりしていたが、やがて立ち上がり、奥の書庫へ向かう。紙ファイルの膨大な資料から、過去の警護記録の、最も初期のものを探して手に取った。

 案件別と警護員別の綴りがあり、葛城が手にしたのは警護員別のものだった。背表紙には「朝比奈 和人」と記されていた。




「里見の指示は、お前の想像通りだよ。」

 波多野が、茂の考えを見透かしたように言った。

「そうですよね。そして大森社長は、里見さんのいつもの方針どおりに警護を・・・」

「しようとしたんだが、その前に、里見は会社を辞めた。警護も無用と、最後に指示をして。」

「なぜ・・・?」

「大森社長と、Yとの、対立がこの件をきっかけに表面化して、会社内が分裂状態になったんだ。」

「・・・・・」

「険悪な雰囲気だったそうだ。おかしなもんだよな。皆、里見さんを守りたいということは、一致しているはずなのにな。」

「じゃあ、誰も里見さんを警護しなかったんですか?」

「結局、警護した。里見に無断で。Yは、手段を選ばず犯人をおさえにかかった。そして大森社長は、無断で移動時警護にぴったりとついた。いずれも、精鋭の警護員たちを総動員してね。」

「怒られなかったんですか」

「何度みつかって怒られようと、やめなかったそうだ。」

「・・・・・」

「里見の教育を受けたY、大森社長、そしてその他の”メンバー”・・・警護員たちは、皆優秀だった。犯人に、うまい襲撃の機会をまったく与えなかった。」

「そうなんですね。」

「そしてYは犯人を追い詰めた。」

「逮捕されたんですか?犯人は。」

「最終的に、逮捕されたよ。しかし、それは、Yや大森社長にとって、成功とはいえなかった。」

「・・・・?」

「里見は、殺害された。」

「・・・・!」

 茂は、波多野の顔を見た。

 波多野が何を言ったのか、わからなかった。

 そして茂は、気が付いた。

 ・・・大森パトロール社は、今まで、警護対象が・・・クライアントが、本人の自殺以外の理由で死亡した事例は一件もない。

 そう聞いていた。

 そして、それは、事実だろう。

 そう、里見は、大森社長が警護したが、それは・・・今の大森パトロール社ができる前の、話なのだから。

 波多野は茂から目をそらさずに、茂の目を見返している。

「白昼、衆人環視の中で、殺害された。」

「どうして・・・・・・」

「犯行後自分も逃げられるような、良い襲撃機会を悉く封じられた犯人は、自分の安全より、自分の復讐を優先しようと決めたんだろう。」

「そんな・・・・」

「混雑した電車の中で、そして数メートル先で大森社長とあと2名の”メンバー”が見ている目の前で、里見は、襲われた。」

「・・・・・・」

「背中から、サバイバルナイフで5回刺された。」

 茂が、ゆっくりとうつむいた。

 長い沈黙が続き、茂が、うつむいたままでいるのを、波多野はしばらくの間、唇を前歯に挟むように噛みしめながら見ていた。

「こんな話を聞かせて、すまないと思う。いつも、本当にすまないと思うんだが、でも、必ず、言わなければいけないことだと・・・思っている。」

「・・・・はい。」

「もう、わかったろう。この事件の直後に、大森政子は、自分と親友のYとで立ち上げたその会社を、去った。」

「はい。」

「そして、今の大森パトロール社を、新たに立ち上げたんだ。だから、大森パトロール社の社是は、里見祥子が遺した、警護の考え方を踏襲している。」

「はい。」

 茂は顔をあげて、波多野を見た。質問があった。

「波多野さん。」

「なんだ?」

「里見さんは、自分の命と引き換えにすることも辞さずに、自分の考え方を貫かれたんだと思います。それは、本当に、よくわかるつもりです。」

「ああ、そうだな。」

「でも・・・警護する側の立場として、大森社長は、この事件について何も疑問を感じることはなかったのでしょうか?」

 波多野は顔を少し上げて、改めて茂の顔を見た。

 かすかな苦笑が浮かんだ。

「それは・・・今、ここで俺に訊いても、答えはない質問だ。」

「・・・・・」

 そして少しの間があいた後、波多野は頭の後ろで両手を組んでソファの背にもたれた。

 茂は、もうひとつの質問も、した。

「大森社長が去った後、その会社は、どうなったんですか?」

「Yが引き続き運営したよ。ただ、どんな風になっていったか、これも茂、想像つくよな?」

「・・・・・はい・・・・。」

「Yは、大森政子そして里見と一致しなかった自分の考え方を、さらに先鋭化させていった。」

「・・・・・」

「どうした?」

 さらに血の気が引いていく茂の顔を、波多野は少し心配そうに見た。

「Yと、大森社長とは、その後、ずっと決別したままなんですか?」

「どういうことだ?」

「二人は、考え方は一致できませんでしたが、波多野さんがおっしゃったとおり、里見さんを・・・そしてクライアントを・・・守りたいというこの一点で一致していたはずです。しかも、一緒に会社を立ち上げた、親友だったはずです。里見さんという人の死は、全てをダメにするくらいの出来事かもしれませんが、でも、二度と二人は・・・?」

「そうだな・・・。茂、お前の言うとおりなんだが。」

「はい。」

「もう、大森社長が、Yと和解することは、できないんだ。」

「・・・・・」

「Yは、その後、不慮の事故で急逝したと聞いている。まあ、詳しい事情は、こちらはよくわからないんだけどね。」

「・・・・!」

 波多野が立ち上がる。

「俺の話は、これで終わりだ。これが、お前がいる、大森パトロール社の存在理由だ。うちでこの先、仕事をする上で、知っておいてほしい内容だ。それだけといえば、それだけだがね。」

「・・・・はい。・・・・波多野さん、もうひとつ、お尋ねしてもよいですか?」

「なんだ?」

 応接室から出て行こうとしていた波多野が、振り返る。

「大森パトロール社が始まったときからのメンバーの、高原さんとか、葛城さんとか・・・・えっと、たしか全部で四人とうかがいましたが・・・」

「ああ、今もいる奴はな。」

「皆、もとの・・・Yと大森社長とが立ち上げた古いほうの会社の、出身なんですか?」

「いや、違う。全員、新たに警護員として雇い入れた。だから、前の会社との因縁はないよ。安心しろ。・・・俺と大森社長とで、優秀な人間を探し回った。当初メンバーは、十人態勢だった。半分は、その後辞めてしまったけどな。」

「半分・・・五人、ですか?」

「そうだ。」

「あ、でも残っているのは四人・・・・」

「そうか・・・。お前は、知らないんだな。このことも。そうだな。」

 波多野は、もう一度、ソファに座った。

「当初からの五人の警護員・・・・・高原、葛城、山添、月ヶ瀬、朝比奈。この五人のうち、朝比奈警護員は・・・朝比奈和人は、大森パトロール社業務が始まってすぐに、殉職した。」




 大森パトロール社の警備員事務所の、従業員用入口をカードキーで開ける音がして、高原晶生が入ってきた。

「あ、高原さん。あの・・・」

 当直事務員はそのあと「葛城さんがずいぶん前からお待ちですよ」と言おうとしたが、高原の表情を見てなにも言えずに口籠った。

 黙って事務室を通り抜け、資料室のほうへ向かった高原が、ドアを開ける前に、内側から資料室のドアを開けて出てきた葛城と向き合う格好となり、足を止めた。

「晶生。メールしたら来てくれと言われていたけれど、とりあえず来た。」

「ごめん、まだ話せるところまで・・・まとまっていないから・・・・」

「・・・・?」

 すらりとした長身の、そしていつもはそつのない同僚を見ながら、葛城は言葉につまった。今日の高原は、まったくの別人だった。

「今日は一度・・・帰るよ。また改めて、話そう。」

「・・・晶生、どうした?」

 高原は答えず、ゆっくりと葛城の横を通り抜け、資料室内の机の脇に置いてあった自分のカバンを取りにいく。その横顔は、血の気が失せ紙のように真っ白だった。

「山添も、呼んでいたはずだね。」

「ああ・・・あいつは先に、帰った。」

「・・・晶生、どうしたんだ、大丈夫か?」

 高原は、カバンを拾い上げながら、机の上に伏せてあった、それまで葛城が読んでいた紙ファイルに目をやった。

 そしてそのまま、机に片手をついて立ち上がりながら、葛城のほうを振り返った。

 高原は前歯で下唇を噛み、そして両目を真っ赤にしていた。

「晶生!」

 葛城は高原の傍まで来て、立ち上がると自分より十センチほど背の高い彼の顔を、まじまじと見上げる。高原が、ようやく口を開いた。

「怜、俺は、朝比奈さんとはほとんど一緒に仕事をしたことはない。」

「・・・ああ。」

「今回も、山添に頼まれて、調査に協力しただけだ。」

「そうだね。」

「だが、同じ警護員として、これは、許し難いよ。」

「・・・どういうことだ?」

「これじゃあ、朝比奈さんは・・・ただの、無駄死にだ。」

 大きく目を見開いた葛城の視界の中で、高原は、再び唇を強く噛み、次の言葉をなんとか話そうと、体の震えを必死で止めようとしていた。


(第六話へつづく)


 第六話は9月中には掲載~完結の予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

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