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CALL Ⅲ

「あの……。外崎先輩……?」

「なんだよ、リツキくん」

「……。もう行っちゃいました。先輩たち」

「は。……根性ないね。もう少し本心を吐露したい気分だったのにな」

 カツキは立ち上がり、トサキに向いた。

「すみません……。リツキが、ご迷惑をおかけして……」

「まあな。迷惑ってほどでもないが……。あちこちの自治会、生徒会、諸々の女子高校生団体から、苦情が来てることは事実だ。まだ一ヶ月も経ってないっていうのにな」

 隠す気はない。そんな素振りで、トサキは肩をすくめた。

「……お前の方が大変だな。この調子じゃ」

 カツキは小さく「いえ……」と応えた。

 察して、トサキは気にかけてくれていた。自惚れではなくて、そうカツキは確信していた。でなければ、こんな絶妙のタイミングで、トサキが現れるはずがない。

 生徒自治会の副会長で、不在中の会長の代理として、新入生を迎え入れるためのイベントが目白押しの一番忙しい時期なのに。

 ほんの少しだけ、トサキに勧められて自治会の手伝いに出向いたカツキとしては、すべてを鮮やかに切り回すトサキの姿を実際目にしていたからこそ、心の底から頭が下がる思いだった。

 はたと、カツキは思い当たった。

「……もかして。美術部に入ればって勧めてくれたのも、何か意味があるんですか?」

 言ってから、しまった、と思った。

 トサキは、何一つ押し付けるような言い方はしていない。イエスかノーか、カツキに決めさせて、何かのついでみたいに誘うのだ。こんな聞き方をしたら、トサキの気遣いの意味がなくなってしまう。

 上目使いで、長身のトサキを伺うと。ニッコリと嬉しそうにしていた。

「勘がいいな、おまえ」

 黒目がちの眼差しは、細めた笑みを残して真顔に戻った。

「生徒会がバックについていると広まれば、手出しする奴は減るんじゃないかと思った。効果があるかどうかは俺自身、確信してたわけじゃない。

 口で言うほど、買い被っちゃいないからな。俺たちは」

 一人称ではない表現に、カツキは少し驚いた。トサキの言葉通り? 自治会ぐるみで?

 ……でも、どうして……?

「美術部は偶然だ。絵が好きそうな気がしたから。

 ただ……」

 言葉を切ったトサキは、少し意地の悪い視線を空中に向けた。

「タイミングのいい選択だったな。

 今の美術部長は、少なくとも校内では最高権力を握っていると考えていい。

 よって、常識的な学生なら、その部員に手出しはできない。考える気にもならんはずだ」

「どういうことですか? 部長さんには、まだ会ったことはないですけど……」

「いずれな。時期がくれば嫌でも顔を会わせるさ」

 静かに、授業開始のチャイムが校舎から流れてくる。

 カツキは慌てた。トサキの方は耳に入らないかのように、ゆったりと構えている。

「ただし、例外はある」

「?」

「この学園の最高権力者にすら平気で反抗しそうな奴が、たった一人。

 岩城リツキ。あいつだけは、誰も御しようがないだろうな……」

 トサキの言う通りだ。リツキは誰にも束縛されない。自由でいたがる。

 縛りつけようとするものすべてに、棘を向け、牙をむき出しにする。

 修正の余地のない考えに沈んだリツキに、紺色のブレザーが差し出された。

 無意識に受け取ってから「え?」っと事態に気付いた。

 生け垣の向こうにトサキの広い背中が消えた。トサキのブレザーを腕に抱えて、ぐるっと迂回する。

 日当たりのいい芝の上に、トサキは手足を伸ばし、長く寝そべっていた。

「何かあったり起こせよ」

 事もなくそう言って、あお向いて目を閉じてしまう。

 カツキはその傍らに膝をついた。

「何かって……。あの、どうして僕が? ? ?」

 片目を開けて、トサキは右手でカツキの胸を軽く指した。

「お前、ここに居る。俺、寝る。お前、俺の目覚ましする。な?」

「…………」

「いやか?」

 そんなことは言えない。健康体に見えるけど、トサキには休養が必要のはずだった。

 校内では生徒会の実務、校外はバンド活動のための資金集めと練習と、寝る暇も惜しんで動き回っている。見た目の、のんびりとした、真夏の陽射しのようなおおらかさからは想像もできないほどの、行動力に裏打ちされたハード・スケジュール。

「親切な誰かが起こしてくんないと、俺、ずーっと眠ってるからな」

 脅迫を受けて、カツキはその場に正座した。

「……。何時に起こせばいいんですか?」

「次の授業開始5分前。六限は出席させてやるからな」

 ニッと子供みたいに笑って、トサキは瞼を閉じた。

 カツキはトサキの寝顔を横目で見下ろしながら、膝を胸に引きつけて顎を乗せた。

 しばらくその姿勢を続けると少し背中が強張った。腕を緩めて、空を眺める。

 地上の緑と同じくらいに輝く、青い透明な空。切れ切れの雲が、静かに位置を変え、時の経過を教えてくれる。

 陽射しはぽかぽかと暖かいし、芝の大地はしっとりとして、確かで柔らかい。

 時計なんて、今は要らない。……眠ってしまいたいくらい、心地いい時間。

「……。目覚ましが、眠るわけにいかないもんね……」

 時々、トサキを伺う。規則正しく、ワイシャツの胸が上下している。

 襟足できっちりと束ねた長髪に、芝の枯れ草が。……それがなんとなく気にかかる。

 手を伸ばして、取った方がいいのか悪いのか。

 伸ばしたくなる手を、ぎゅうっと握り締めた。

 しばらくそうして、忘れようと努力を続けると、今度は新しい悩みを発見してしまう。

 預けられた制服の上着。肩にかけてあげた方がいいのか、悪いのか。体は冷やさない方がいいだろうけど、起こしてしまうかも……。

 カツキの頭を、いろいろな逡巡が順番に駆け巡る。

 さっきみたいに、トサキに庇ってもらうことの連続でいいのか? 迷惑じゃないか? 彼の面倒を増やしているだけではないのか? 入学式の時に言われた、ツイン・ヴォーカルの件、本気なんだろうか? バンドの方、うまくいってるんだろうか……。今は、何のバイトをしているんだろう……? キツイ仕事じゃなければいいけど。

 そんな話しを、切り出していいのか悪いのか。それすらも、カツキのためらいの対象になった。

 話したいことが沢山ある。どうして。なぜ?

 ……疑問をぶつけることは不躾だ。何しろトサキは遠い立場に居る。全学園生徒にとっての、頂点の一人なのだから。

 カツキ一人の為に引きとめられない。

「……どうして、だろ……」

 しまいには、隣りでトサキがぐっすり眠っている事実が、謎に思える。

 謎。不思議。二人そろってエスケープして、こんな場所に隠れるようにしているなんて。

「!」

 もう少しで、大声を上げるところだった。

 唐突に、どこからか、すごく近くから、振動音が鳴り始めたのだ。

 ブルブルという、籠もってはいるが、はっきりとした音色。

「なっ、なっ……何……? 何が?」

 ……早く止めなきゃ。目を覚ましてしまう……。

 焦るが、周囲の芝生には何もない。カツキ自身、音源の覚えはない。

「あ……」

 ほんの少しだけ落ち着いて考えると、トサキの上着から聞こえていることに気付いた。

 ポケットを上から押さえてみる。あった。

 手を差し込んで、硬い金属の冷えた感触。細かい振動を続ける、メタリックブルーの携帯端末。

 騒音の根源は突き止めたものの、鳴り止む気配がない。カツキは焦った。画面に触れてはみると。

「…………あ」

 振動が突然止まった。大きな液晶画面に青く文字が浮かんで消えた。

 ……ショウシュウ・ヒ。

「ヒ、って何だろ? ……非常召集のヒ?」

 非常。イコール緊急事態。

「……どうしよう……、起こした方がいいのかな……」

 寝顔を伺うと、ぐっすりと気持ちよく眠っている。

「……なんだか、そっとしておいてあげたいな……。リツキだったら、叩き起こせるのに」

 リツキ……。思い出すと、ムッとしてくる。

 トサキと一緒なのがリツキに知れたら、また怒るんだろうな……。

 訳もなく、嫌ってるから。トサキは、リツキとは反りの合わないタイプだし。

 ……勝手だよ、リツキは。次から次へと女の子を取り替えて、他の男子の恨みを買って喧嘩しまくって、僕のことなんかずーっと放りっぱなしなのに……。

 僕が勝手なことをしてるって、顔を合わせる度に文句を言うんだ……。

 放課後、僕が美術室に誰も居なくなるのを待ってから、絵を描きに行くのが、気に入らないんだろ……。いつも僕に当たるんだ。自分だって、あんなに身勝手なことをして。

 ……前は、いつも二人きりだったのに……。二人でないと、暮らせなかったのに……。

 カツキは溜め息をついて。端末を上着のポケットに戻し、芝生に横たわった。

 じっとしていると、暖められた芝のぬくもりが、じんわりと体を包んでくれる。

 今更になって、四人の上級生に囲まれた緊張感が、強くカツキを硬直させていた事実に気付かされる。

 トサキが現れて、今度は別の緊張に、自覚のないまま縛られていたらしい。

 今は、もうどうでもいい気分。……身構えるのは止めだ。ここには誰も、カツキを咎める者も、注視する者も居ないから。ただ、一人ぼっちの寂しさはない。誰かが居るんだけど、居ないのと同じ。

 風が空気、木々や草花みたいな、自然な存在感。

 ……大きな樹だ……。この人は……。

「…………!」

 また、あの振動音が鳴り出した。

 反射的に体を起こし、投げ出された上着を前に座り直す。

 ヒ……。ショウシュウ。

 罪悪感に、カツキは押し潰されそうな想いで、泣き出したくなった。

 ……誰かが、トサキの手を借りたがっているのに……。

 ヒ……。ヒトリジメしようとしていた。

 カツキの耳の中で責めたてるみたいに、振動音が大きく、頭の中をかき回し始める。

 空中に持ち上げた片手が、耳を押さえようか、端末を取り出そうか迷う。

 騒々しく硬直した時間の中で、動いたのはトサキの右手だった。

 寝そべったままポケットを探り当て、振動音が止んだ端末を引き出す。空にかざすようにして、画面をチラリと見た。

「たくっ、……いい所だったのに……」

 はっきりと不機嫌な顔で、軽く表示を睨んだ。

 和らげた視線で、カツキを見上げる。

「何で、電源を切らなかったんだ、さっき」

「……え?」

 叱られると、肩を縮めていたカツキは、軽い口調に戸惑った。

「ま、最初から電源を切っておかなかった、俺の不覚だがな」

 無造作にオフ・ボタンを選んで、片方の眉をしかめてみせる。

「……ごめんなさい……。あの、早く行ってあげて下さい」

 トサキの上着を拾い上げ、ぱたぱたと枯れ葉を払いながら、カツキは早口で言った。

 これ以上、甘えてしまわないよう。トサキに悟られない程度に、しっかり唇を引き結んで、自分を律した。

 差し出した上着を受け取るが、トサキは立ち上がろうとせず、溜め息をついた。

「お前って、何んにも欲しがらないんだな……」

「?」

 左肩に上着をひっかけ、トサキは端末を手の上で放って遊びながら言った。

「こいつで俺を呼び出す奴ってのはさ、結構なワルなわけ。この時間に俺がどこかで眠っているのを知っていて、呼び出し入れてるんだよね。

 ……俺の寝起きが悪いってのを知ってて、不機嫌な顔が見たいんだよ」

「そんな……」

 寝起きが悪いようには見えない。いつも通り。砕けた調子に変わりはない。

「側に居てやれば、あれをしろ、これをしろとうるさいし。ほんと、友達少ない猜疑心の強い奴は手がかかるぜ……」

 本心からぼやく姿は、カツキは初めて目にしたような気がする。

 頭をかいて、すこしムスっとした表情。両手を上げ、乱れた髪を解く。肩にかかる長さの後ろ髪。ストレートの黒髪。艶のある髪をすくうようにして束ね、襟足で無造作にまとめる。

 カツキが迷い続けていた芝の屑は、さらりと払い落とされた。

「……。僕、その人の気持ちが、少しだけわかる気がします」

「あ……?」

「……寂しいんだ……」

 しばらく、黙っていてからトサキは尋ねた。

「お前も寂しいのか? それとも、お前の知り合いにそーゆー奴がいるのか?」

 問い掛けに少し驚いたカツキ。そんなふうに聞き返されるとは、思ってもいなかった。

 けれど、ためらいもなくコクンとうなずいた。

「……僕だって同じです。欲しいものは、たくさんあるけど……。

 本当に欲しいのは、言葉にしても手に入るものじゃないから……。どうしたらいいのか、わからなくなる……」

 自分でも、どうしてこんなことを話しているのか、わからない。他人には隠しておきたい感情なのに。混乱した、無い物ねだりの自分勝手な望みなのに……。

「手に入ったような気がしても、少し経つと失っていることに気付く。そんな繰り返しを続けているのは、何もお前だけじゃない」

 静かに諭すトサキを、カツキは吸い込まれるような想いで見た。

「1年D組、岩城カツキ。……泣くのか?」

 そう言って、トサキは笑った。

 呼応するように、突風を受けて木々や緑が、軽く揺れた。

 トサキが立ち去っても、カツキはその場に座り、微かな葉音に耳を傾けていた。

 何かを無くしたような、一抹の寂しさは湧いてこない。一人なのに、一人でない気がして、嬉しさが次々に込み上げてくるから。

 若緑色の呼び声が、カツキを包んでいた。



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